第57話 血濡れた
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あらすじ
終焉の探偵 - 第57話 血濡れた
本文
逃げられない。
足が竦んで動かない。
それに、逃げたくなかった。
だって、彼女の言う通りだから。
私が生き残ったのは、ただの偶然で。
私がのうのうと生きている今この瞬間も、彼女はずっと痛くて、寂しくて、苦しかったんだとしたら。
私が、償わなきゃいけない。
私の体で、肉で、彼女が癒えるなら――。
「真弓くん、下がって!」
探偵さんが前に出る。
パッキーを構え、千晶ちゃんだったものの腕を受け止める。
ガギィン!
重い衝撃音。
パッキーはその異形の腕を受け止め、一歩も引かない。
しかし、その衝撃で探偵さんの足が床にめり込む。
「くっ……力が強い……!」
探偵さんの顔色が悪い。
やっぱり、まだ本調子じゃないんだ。
それに、相手は床と一体化している。部屋そのものが千晶ちゃんの武器だ。
「先輩! こっちに来て! 一緒に溶けようよぉ!」
千晶ちゃんが叫ぶ。
その顔は、もう元の可愛らしい面影なんてなかった。
目玉が飛び出し、口が裂け、憎悪だけで動く肉の人形。
でも。
それでも、声は千晶ちゃんで。
制服は、あの子のもので。
「嫌……できない……!」
私は動けなかった。
あの子を攻撃するなんて、できない。
だって、私が巻き込んだんだもの。
私が守れなかったんだもの。
「梓くん、援護を!」
「駄目……時間がかかるの!」
梓さんの光の矢が収束してゆく。
しかし、部屋の壁から次々と出てくる触手を打ち落とすことに手を取られ、収束の時間が稼げない!
「くぅ!」
探偵さんが防戦一方になる。
「探偵さん!」
触手の一撃が、探偵さんの肩を掠めた。
赤い血が飛ぶ。
ギィィンと、音を立てパッキーと千晶ちゃんの手から伸びた爪が拮抗する。
「くっ!」
ぶん、と腕を振り、探偵さんは千晶ちゃんを吹き飛ばした。
砲弾のような勢いで吹き飛ばされた彼女は、肉の壁にめり込む。
「真弓くん。今から酷いことをいうよ?」
「え?」
「君がやるんだ。あれは、悪意が作った人形。君の罪悪感を映して、君を取り込むだけのシステムなんだろう……でも、素材には君の後輩くんの情報が使われている」
ギリギリと爪が探偵さんに近寄ってゆく。
「君が否定するんだ。君が彼女を眠らせないと、いけない」
「そんな……」
このままじゃ、全滅する。
誰かが、あの子を止めなきゃいけない。
物理的に。
命を奪う覚悟で。
「そんなことは真弓ちゃんにさせられないっ! それなら僕がっ!」
久我さんが私の前に出る。
が、探偵さんは静かにそれを遮った。
「それが出来ないなら、もうこの先の事件に関わるべきじゃない。真弓くんには、もっと過酷な運命が待っているのだから」
悲しみを浮かべた瞳で、探偵さんは私を見た。
その瞳は、いつになく真剣だった。
私が、決める。
私が、否定する。
千晶ちゃんを?
あんなに可愛い笑顔で、私を慕ってくれた後輩を?
「いやぁああ! 先輩、先輩先輩先輩ッ! 痛いよぉ、暗いよぉ!」
怪物が泣き叫ぶ。
その声は、私の記憶の中の千晶ちゃんと全く同じで。
――でも。
脳裏に浮かぶのは、部室での風景。
恥ずかしそうにイラストを見せてくれた彼女。
『先輩の小説、大好きです』と言ってくれた彼女。
あの子は、こんなこと言わない。
あの子は、誰かを呪ったりしない。
私が生き残ったことを、『よかった』って笑ってくれるような、優しい子だったはずだ。
だから。
こんなの、千晶ちゃんじゃない。
こんな醜い姿で、誰かを傷つける存在にさせられているなんて――。
そんなの、千晶ちゃんへの一番の侮辱だ。
「……違う!」
私は、顔を上げた。
涙が溢れて止まらなかったけど、それでも、しっかりとあの怪物を見た。
私は、床に転がっていたものを拾い上げる。
それは、椅子の脚だったもの。
折れた鉄パイプのような、鋭利な金属片。
それを強く握りしめ、千晶ちゃんへと歩き出した。
「……千晶ちゃん」
私の声は、泣いていた。
「もう、やめて……」
「あ、真弓先輩だ!」
千晶ちゃんが、私に目をやる。
醜く歪んだ顔に、一瞬だけ、いつものような喜びが浮かんだ。
「先輩! 見てくれましたか? 私の絵! 先輩のために描いたんです!」
触手が、嬉しそうに蠢く。
彼女は、本気で喜んでいるんだ。
自分がどんな姿になっているかも気づかずに。
「……うん、見たよ」
私は、後ろ手に凶器を掴んで千晶ちゃんの前に立った。
探偵さんが、静かに私の後ろに立つ。
「上手だね。……千晶ちゃんは、本当に絵が上手だよ」
「えへへ……嬉しい……」
千晶ちゃんが、無邪気に笑う。
その笑顔が、あまりにも哀れで。
あまりにも、残酷で。
「でもね、千晶ちゃん」
私は、鉄パイプを振り上げた。
涙が、頬を伝って落ちる。
「あなたを……こんな姿のままにしておけない」
「え……?」
「千晶ちゃんは、人間なの。……化け物なんかじゃない!」
叫ぶ!
それは、怒りにも似た、悲痛な叫びだった。
「千晶ちゃん……もう眠ってッ!」
私は振り上げた鉄パイプを――