第58話 この手を握りしめる
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あらすじ
終焉の探偵 - 第58話 この手を握りしめる
本文
私は振り上げた鉄パイプを――振り下ろした!
ガッッ!
鈍い音が響き、千晶ちゃんがよろめいた。
鉄パイプが、彼女の肩に深く食い込む。
「あ……」
千晶ちゃんの動きが止まる。
暴れ狂っていた触手が、力を失ったようにだらりと垂れ下がった。
「ごめん……ごめんね……!」
私は泣きながら、二度、三度とパイプを振り下ろそうとした。
けれど。
「……いたぁ……」
その声が、あまりにも人間らしくて。
私はハッとして手を止めた。
見ると、千晶ちゃんの顔から、あの禍々しい憎悪の色が消えていた。
飛び出していた目玉も、裂けた口も、ノイズが走るように揺らぎ――元の、愛らしい後輩の顔に戻っていく。
「……あれ? 先輩……?」
千晶ちゃんが、ぼんやりと私を見上げた。
その瞳は、澄んでいた。
部室で、私の小説を読んで目を輝かせていた、あの時のままの瞳。
「千晶、ちゃん……?」
私は震える手で、鉄パイプを握りしめたまま立ち尽くす。
彼女は自分の体を見て、そして私を見て……ふわりと、笑った。
「あぁ……そっか。私、変になっちゃってたんですね」
「ち、違うの! これは……!」
「いいんです」
千晶ちゃんは、血濡れの私の手――鉄パイプを握る手に、そっと自分の手を重ねた。
その手は、驚くほど温かかった。
「怖かったんです。暗くて、寂しくて……誰かを傷つけたくて仕方なかった。……でも、先輩が止めてくれたから」
「千晶ちゃん……ッ」
「先輩の手、汚しちゃってごめんなさい」
千晶ちゃんは、小さく微笑む。
その唇が、最期の言葉を紡ごうと動いた。
「……ありがと――」
――その時だ。
『あーあーあー! 違う違う違ーうッ!!!』
部屋中のスピーカーから、三宅のヒステリックな絶叫が響き渡った。
空気がビリビリと震えるほどの大音量。
『なんでそこで「イイ話」にしちゃうかなぁ!? 視聴者はそんなの求めてないんだよ! もっと跳ねさせろよ! 血みどろで、恨みと妬みと、人間の汚い所をさぁ! 表現しないとさぁ!!』
「……ッ!?」
三宅の言葉と同時に、千晶ちゃんの体がビクリと跳ねた。
「あ……あ、ガッ……!?」
彼女の顔が歪む。
穏やかだった瞳に、どす黒いノイズが走る。
『ほら、リテイクだ! もっと派手に死ねよ! 盛り上げろよ怪物ゥ!!』
「や、やめて……私、は……先輩……を……!」
千晶ちゃんが頭を抱えて苦悶する。
けれど、強制的なプログラムの書き換えには抗えない。
バキバキと音がして、彼女の顎が外れ、再び口が裂けた。
「何を言ってるんだ、彼は……死者を冒涜するにも程がある……!」
久我さんが苦々しげに呟く。
その目の前で、千晶ちゃんだったものは、完全に表情を失った。
「ゥ、うぁぁぁぁ……コロ、ス……ッ!!」
ゆらりと立ち上がり、私に向かって手を伸ばしてくる。
瞳には無垢な殺意。
爪が刃物のように形を変える。
もう、そこに私の知っている後輩はいなかった。
「あ……あ、あああああッ!」
私は叫んだ。
悲しみも、後悔も、愛しさも。
そして、こんな悪趣味な演出をした姿なき誰かへの、煮えくり返るような怒りも、全部ごちゃ混ぜにして。
彼女を、これ以上辱めさせない。
この悪夢から、私が解放してあげるしかないんだ。
「……おやすみ、千晶ちゃんッ!!」
私は振り上げた鉄パイプを――振り下ろした!
ガスッ!
鈍い音が響いた。
鉄パイプが、千晶ちゃんの頭蓋を砕いた音だった。
「あ……」
千晶ちゃんの目が、見開かれる。
何が起きたのか、分からないという顔で。
「ごめん……ごめんね……!」
私は手を止めなかった。
止められなかった。
中途半端に残せば、また三宅に操られるかもしれない。
だから、跡形もなく壊すしかない。
ドゴッ。
グチャッ。
肉が飛び散る。
黒い血が舞う。
千晶ちゃんだったものが、ただの肉塊へと変わっていく。
残酷だ。
ひどすぎる。
それをやっているのは……私なんだ……。
「……うぁぁぁぁぁぁっ!!」
最後の一撃。
千晶ちゃんの体が、崩れ落ちた。
床の肉へと溶けて、動かなくなる。
――静寂が戻った。
荒い息遣いだけが響く。
私は、鉄パイプを取り落とし、その場に膝をついた。
返り血で、顔も服も真っ赤に染まっている。
手のひらに残るヌルリとした血の感触だけが、彼女がそこにいた証だった。
「……真弓さん」
梓さんが、震える足で私に近づき、背中に手を置いた。
ただ、一緒に泣いてくれた。
――と、その時、再びスピーカーから声が響いた。
◇
『……チッ』
天井から、舌打ちが聞こえた。
M_YOUの声だ。
さっきまでの楽しげな演出家の口調は消え、不機嫌そうな響きに変わっている。
――だが。
この閉鎖空間スタジオの静寂とは裏腹に、世界は爆発的な熱狂に包まれていた。
『OMG what is happening!?!?なんだこれ!?』
『CG? これCGだよな? クオリティ高すぎん?』
『卧槽……这特效神了おい、このエフェクト神レベルだろ…』
『Is this real? That girl is crying for real...マジかよ、あの子本気で泣いてるぞ』
『いや、ガチだろこれ。今の女の子の演技見た? あれで作り物とかありえん』
『#JK #Exorcist #PrayForTokyo』
『ㅠㅠㅠㅠ 마지막에 고마워라고 들렸어...最後にありがとうって聞こえた……』
『Dio mio...なんてことだ……』
『Shut up and take my money!!スパチャ投げさせろ!!』
『東京都心の上空に変な雲出てるのと関係ある?』
『FBI DO SOMETHING!!FBI何してんの!?』
動画配信サイト、SNS、掲示板。
あらゆる言語、あらゆるメディアで、今の映像が拡散されていた。
強制的にインストールされた「にくゑ様」アプリを通じて接続された何百万という端末が、一人の少女が友人を介錯する悲劇を目撃したのだ。
同情。興奮。恐怖。懐疑。
無責任な感情の渦が、電子の海を駆け巡り、世界規模のトレンドを塗り替えていく。
それは奇しくも、久我が望んだ「世界を巻き込む物語」の形そのものだった。
そして。
その熱狂の震源地で、一人の男が地団駄を踏んでいた。
『あーあ! あーあーあーあーッ!!』
スピーカーから、三宅のヒステリックな絶叫が響く。
『壊しちゃった! 僕の傑作を! 感動の再会シナリオだったのに! バグだ! こんなのバグだよぉっ!!』
ガガンッ! と何かを蹴り飛ばすような音がした。
『つまんない! つまんないつまんない! せっかく君たちに「役」を与えてあげたのに! なんで台本通りに踊らないんだよクソがあああッ!!』
三宅の叫びは、友人を失った悲しみなど微塵もない。
ただ、お気に入りの玩具を壊された子供の癇癪そのものだった。
『……もういいよ。萎えた』
不意に、三宅の声がスッと冷たくなる。
その急激な温度差に、私の背筋が凍りついた。
『個別のシナリオ《遊び》は終了だ。
……もう、全部まとめて「処理落ち《フリーズ》」させちゃえばいいや』
ブツンッ。
唐突に、スピーカーからの音声が途切れた。
「支離滅裂ね、この演出家。殺し合えと言ったり感動の再会と言ったり」
梓さんが、呆れたように口を開いた。
「……残酷だな、君は」
不意に、地の底から響くような声がした。
久我さんだった。
彼は、千晶ちゃんだった肉塊から視線を外し、憎悪に濡れた瞳で探偵さんを睨みつけていた。
「これが君のやり方か? 探偵」
「……」
「少女の手を汚させ、友殺しの十字架を背負わせる。……そんなことにどんな意味があるってんだっ!!?」
久我さんが一歩、探偵さんに詰め寄る。
その剣幕は、常識人の彼からは想像もできないほど激しいものだった。
「夢のままでよかったじゃないか! 偽物でも、心がなくても……彼女たちは幸せそうだった! それを暴いて、壊して、現実に引き戻すことが……そんなに偉いことなのかよッ!!」
それは、久我さん自身の叫びなのかも知れない。
柳田先生のことが気にかかっているんだろう。この人にとって、探偵さんの行う「真実の提示」は、希望を奪う死神の鎌に見えたのかも知れない。
「……黙って」
鋭い声が飛ぶ。
梓さんだった。
彼女は私を庇うように立ち、久我さんを射抜くような視線で見据えた。
「私も同じ罪を背負っている。手を汚す覚悟がない人は、ここにいるべきじゃない」
「……ッ」
久我さんは唇を噛み締め、押し黙る。
探偵さんは、何も言い返さなかった。
ただ、悲しげに目を伏せ、甘んじてその非難を受け止めているように見えた。
その時だ。
ズズズ……ズズズズズ……。
部屋全体が、低い振動を始めた。
また何かが来る? 私は身構えた。
けれど、違った。
正面の肉壁が、ゆっくりと左右に裂けていく。
まるで、巨大な生き物の口が開くように。
あるいは、舞台の幕が上がるように。
グググ、グォン……。
そこに現れたのは、巨大な門だった。
肉と骨、そして無数のケーブルが絡み合って形成された、禍々しくも荘厳な門。
その奥には、底知れない闇が広がっており、冷たい風が吹き抜けてくる。
招かれている。
この奥に、全ての元凶がいる。
「……行こうか、真弓くん」
探偵さんが、静かに歩き出した。
その背中は、久我さんの言葉に傷ついた様子も見せず、けれどどこか寂しげで。
「君の友だちは、きっとまだ無事だ。急いで助けないとね」
私は、震える足に力を込めた。
血に濡れたこの手を、ぎゅと握りしめる。
手のひらに残る感触と熱さは、一生消えないだろう。
「……はい」
千晶ちゃん……ごめんね。本当にごめん。
サヤカ。
待ってて。
今、行くから。
私は涙を拭い、巨大な門の奥――ラストステージへと足を踏み入れた。