第59話 承認欲求の怪物
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あらすじ
終焉の探偵 - 第59話 承認欲求の怪物
本文
巨大な門をくぐると、そこは肉のトンネルだった。
壁も、床も、天井も。すべてが赤黒い肉塊で構成され、ドクン、ドクンと脈打っている。
まるで、巨大生物の食道だ。
「……気持ち悪い」
靴底に張り付く粘液の感触に耐えながら、私たちは奥へと進む。
道中、何度か千晶ちゃんと同じような「複製体」が襲ってきたけれど、探偵さんと梓さんがそれぞれの武器――パッキーと神器で、なんとか退けてきた。
今の私には、それを見る余裕すらない。ただ、サヤカを助けたい一心で足を動かした。
やがて、トンネルが終わり、開けた空間に出た。
「な……ッ!?」
その光景に、私は息を呑んだ。
そこは、広大な円形のドーム状の空間だった。
壁には一見してわかるサーバーを構成するマシンが肉と融合している。
壁一面に、淡く輝くモニター。
だが、その壁の隙間には、数人の「人間」が埋まっていた。
まるで趣味の悪いオブジェのように。
制服姿の学生、サラリーマン、主婦。
数名の男女が、壁の肉に取り込まれ、首から上だけを出している。
彼らは白目を剥き、口から泡を吹きながら、何かをブツブツと呟いている。
『――にくゑ様』
『――世界に、溶ける』
『――もう、一人じゃない』
繰り返される狂気的な祈りの言葉。
そして。
その中に、サヤカがいた。
彼女もまた、半身を肉に埋められ、ぐったりと目を閉じている。
「サヤカ!!」
私が叫ぶと同時に、広間の奥から「それ」が現れた。
「ああ、来た! 来た来た来たァ!!」
三宅優。
いや、もう彼は人間ではなかった。
下半身は完全にサーバーと一体化し、背中からは無数のケーブルが蜘蛛の足のように伸びている。
その顔は歓喜に歪み、涎を垂らしていた。
「すげぇ! すげぇよ! 視聴者数が桁違いだ! 世界中が僕を見てる! 僕の作ったステージを見てるんだ!」
三宅は両手を広げ、天井に向かって叫ぶ。
「清音様の仰った通りだ! 最高のバズりネタが向こうからやってくるってねぇ!」
「――は?」
その言葉に、反応したのは梓さんだった。
彼女は目を見開き、射抜くような視線を三宅に向けた。
「今……なんて言ったの?」
「あぁ?」
「清音……虚木清音が、このことを知っていると言うの!?」
梓さんの声が震えている。
清音さん。確か、梓さんが探している相棒の名前だ。
「知ってるもなにも、彼女が僕に教えてくれたんだよぉ! 『にくゑ様』の力と、この世界の使い方をね!」
「嘘……そんなはず……!」
梓さんが動揺して後ずさる。
その隙を突いて、三宅の背中から伸びたケーブルが鞭のようにしなり、私たちを襲った。
「危ないッ!」
ガギィンッ!!
硬質な音が響く。
探偵さんが咄嗟に前に出て、手にしたパッキーで触手の一撃を受け止めていた。
「ぐっ……!」
ただのチョコレート菓子にしか見えないそれは、しかし鋼鉄のような強度で怪物の攻撃に耐えている。
けれど、探偵さんの息が荒い。
そういえば探偵さんがいってた「まだ、強いから大丈夫」って。
もしかしたら探偵さん、だんだん弱っていってるの!?
「三宅くん! やめるんだ!」
久我さんが前に出る。
悲痛な面持ちで、かつての後輩に呼びかけた。
「何故こんなことを……! 僕と話したときは、皆を楽しませたいって、新しいエンタメを作りたいって言っていたじゃないか!」
「……あぁ?」
三宅が、首をコテリと傾げる。
その焦点の合わない目で、久我さんをじろりと見た。
「……もしかしてあんた、久我さんか?」
「ああ、そうだ。アプリの開発の時やりとりしたよね?」
「へへ、へへへ……会うのは初めまして……だな」
三宅がニヤリと笑う。
「あんたはいいさ……もうプロで名前の知れたオカルトライターなんだからな」
三宅の声に、どす黒い嫉妬が混じる。
「あんたは高みから、俺の脚本にアドバイスするだけ。ホント……高みの見物だよなぁ!」
「そ、そんなつもりじゃ……僕は君の才能を……」
「才能ぉ? うるせぇよ!!」
ドォン!!
三宅が拳を叩きつけると、肉の床が波打った。
「俺なんて日雇いのエンジニアで、誰も俺のことなんて知っちゃいない! 誰も俺を見ない! 誰も俺を認めない!」
彼の叫びは、悲鳴のようだった。
持たざる者の、強烈なルサンチマン。
「でも、ほら! あの方――清音様の言うとおりにしたら、どうだ!? 今は世界中が俺のことを、M_YOUのことを知っている!!」
背後のモニターに、爆発的に伸びていく視聴者数が映し出される。
その数字こそが、今の彼の命綱であり、唯一の存在証明だった。
「さぁ、世界よ! 俺を見ろ! 俺を知れ! 俺を覚えろ!!」
「……承認欲求……か」
探偵さんが、手の中のパッキーを構え直す。
その身体を動かすのが心なしか辛そうだ。
「真弓くん、ライターくん!」
探偵さんが、視線を逸らさずに小さく呟いた。
私たちの耳にだけはいるような、小さな声で。
「……僕が奴を引きつける。その間に、壁の人たちをっ!」
「えっ……」
「急いで! 彼らが完全に取り込まれる前に!」
「わ、分かりました!」
私の返事を聞くと同時に探偵さんは、三宅に向かって駆け出した。
人とも機械とも肉ともつかないその身体から、無数のコードが飛び出し探偵さんに襲いかかる。
「探偵さんっ!」
思わず叫んだ私の背中を、久我さんが押した。
「行こう、真弓ちゃん! 彼の作ってくれたチャンスを無駄にしちゃいけない!」
「はいっ!」
壁に向かって駆け出す探偵さんにコードが襲いかかる。
だが、それは白い光によって消滅していった。
「手出しはさせないわっ! あなたには聞きたいこともたっぷりあるの!」
「うるさい! 主役ぼくの邪魔をするなァッ!!」
三宅が吠える。
瞬間、彼と一体化したサーバーラックから、複数のコードが寄り合わさった直径が一抱えもありそうな無数の黒いケーブルが一斉に鎌首をもたげた。
まるで、神話に出てくる多頭の蛇!
「死ねよ! エキストラどもがァッ!!」
ヒュンッ!
風切り音と共に、黒い槍となったケーブルが私たちに降り注ぐ。
「――させないっていってるッ!」
叫んだのは、梓さんだった。
彼女は唇を噛み締め、動揺を無理やり振り払うように弓を引き絞っていた。
「祓え給い、清め給え!」
ヒュオォォッ!
放たれた光の矢が、空中で分裂し、雨のように降り注ぐケーブルを次々と迎撃する。
バチバチバチッ! と火花が散り、切断されたケーブルがのた打ち回る。
「今よ! 走って!」
「ありがとうございます!」
私たちは駆け出した。
探偵さんが囮となり、正面から三宅へと突っ込んでいく。その背中を見送りながら、私たちは部屋の端を回り込み、サヤカのいる祭壇へと走る。
ドロドロとした肉の床に足を取られながら、必死で祭壇を登る。
「サヤカ! サヤカッ!」
駆け寄った先で見た親友の姿は、痛々しかった。
手足は肉の枷かせで固定され、首筋や背中には太いLANケーブルが直接突き刺さっている。
「う、うぅ……」
サヤカはうわ言のように何かを呟き、白目を剥いている。
「ひどい……」
「くそっ、なんてことを!」
久我さんがサヤカの腕を掴み、ケーブルを引き抜こうとする。
「真弓ちゃん、手伝ってくれ! このケーブルを抜くんだ!」
「は、はい!」
私はサヤカの身体を支え、首筋のケーブルに手をかけた。
ヌルリとした感触。
まるで血管のように脈打っている。
「ごめんね、サヤカ。痛いけど、我慢して……!」
ブチリッ!
一本、引き抜いた。
サヤカがビクリと痙攣する。
「その調子だ! 急ごう!」
久我さんの声に励まされ、私は必死に作業を続ける。
その背後では、激しい戦闘音が響いていた。
ガィィンッ! ガギッ!
私はサヤカを抱きしめながら、恐る恐る振り返った。
そこでは、探偵さんが舞っていた。
回避。パリィ。切断。
全方位から襲いかかる三宅の触手を、あの細い棒菓子一本で弾き返している。
きっと本来の力を――あの夜、私を抱きかかえて街を疾走してくれたあの力――使えない状態でありながら、その動きはあまりにも鮮やかで。
「すごい……」
押している。
あの怪物相手に、探偵さんが圧倒している。
これなら勝てる。サヤカを助けて、みんなで帰れる!
「な、なんだよお前……ふざけてんのか? なんでそんな駄菓子一本で……!」
三宅の焦ったような声。
探偵さんはもう、三宅の懐まで迫っていた。
「言ったはずだよ。君は創造者として二流でしかないって。
そんな相手にはこれで十分さ」
探偵さんが、地を蹴った。
三宅の本体――サーバーと肉体がつながっている「核」へ向かって、一気に距離を詰める。
「これで、終わりだ」
探偵さんが、パッキーを振りかぶる。
狙うは三宅の胸元。
そこに一撃を叩き込み、強制的にシステムを停止させる。
いけるッ!
私はサヤカの体を強く抱きしめ、その勝利の瞬間を見届けようとした。
「や、やめろォォォッ!!」
三宅の絶叫。
探偵さんの渾身の一撃が、三宅の鳩尾みぞおちへと叩き込まれた――その瞬間。
バキィッ!!
乾いた音が、戦場に響き渡った。
「……え?」
私の目の前で、信じられないことが起きていた。
探偵さんの手の中で。
あの鋼鉄よりも硬かったはずのパッキーが、無惨にも砕け散っていたのだ。
パッキーは三宅と探偵さんの間に割り込んだ、1人の少女の細い指によって折り砕かれていた。
「――くっ!」
パラパラ……。
茶色いチョコレートの欠片が、虚しく宙に舞う。
時が止まったようだった。
探偵さんの目が見開かれる。
「ああ、来てくださったんですねっ!!」
三宅の顔が、驚愕から歓喜へと歪む。
探偵さんの眼前に立つ少女。
長い黒髪をなびかせ、緋袴と白い巫女服を纏った彼女の名前を――私は知っている。
「清音ぇーーーーッ!」
梓さんが絶叫した。
そう、清音さんの繊手が、探偵さんのパッキーを折り砕いていた。
現実がそうであるように、細い焼き菓子は粉々に砕け、宙を舞う。
「あ……」
私の喉から、音にならない悲鳴が漏れた。
探偵さんの手が、空を切る。
防御も、攻撃手段も失った彼の目の前で。
三宅の背中から、巨大な処刑鎌のような触手が、ギチリと音を立てて持ち上がっていた。