第60話 敗退
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あらすじ
終焉の探偵 - 第60話 敗退
本文
「あ……」
私の喉から、音にならない悲鳴が漏れた。
探偵さんの手が、空を切る。
防御も、攻撃手段も失った彼の目の前で、三宅の背中から巨大な処刑鎌のような触手が持ち上がっていた。
「死ねェッ!!」
三宅が狂喜と共に触手を振り下ろす。
ドォォォォンッ!!
触手を受け止めた探偵さんはまるで、巨大なハンマーで殴打されたかのように、真横に吹き飛び、肉の壁に深々とめり込む。
「ガハッ……!」
探偵さんが大量の血を吐き、ぐったりと動かなくなる。
「あはははっ! 硬いなぁ、おい。真っ二つにするつもりだったのに!!」
三宅が手を叩いて喜ぶ。
彼はうっとりとした表情で、自分の隣に立つ巫女――清音さんを見上げた。
「さすがは清音様! ご命令通り、あの女子高生を餌におびき寄せた甲斐がありましたねぇ! 最高のショーになった!」
「ええ。よくやりました、M_YOU」
清音さんは微笑んだ。
慈愛に満ちた、聖母のような笑みで。
「褒美をやりましょう」
「へ? あ、ありがとうござ……」
ブチリッ。
濡れた雑巾を絞るような音がした。
三宅の言葉が途切れる。
清音さんの繊手が、三宅の首を掴み――そのまま、無造作に引きちぎっていた。
「え?」
三宅の生首が、何が起きたのか理解できない表情で宙を舞う。
胴体から鮮血が噴き出す――ことはなかった。
傷口からは赤黒い泥が溢れ出し、即座にサーバーと融合していく。
「お前も、私たちと一つになることを許しましょう」
清音さんは三宅の生首をゴミのように放り捨てると、壁一面のモニターを見上げた。
そこには、世界中の視聴者の反応が映し出されている。
『うわああああ!』
『グロ注意』
『神! 神!』
コメントの滝が流れる中、異変は起きていた。
部屋一面のモニターで映し出された視聴者たちの顔や手に、小さな「目」や「口」が無数に浮かび上がっていたのだ。
「ああ……美しい」
清音さんが恍惚と呟く。
「これで主目的は果たすことができました。私は世界中に、その『芽』を飛ばすことができたのです」
世界が終わる。
モニター越しの光景を見て、私は直感した。
この部屋の狂気は、もう世界中に感染してしまったんだ。
「貴女は……誰?」
震える声が響いた。
梓さんが、弓を構えたまま立ち尽くしている。
「清音じゃない。……貴女は誰!」
「愚問ですね」
清音さんはゆっくりと梓さんに向き直った。
「私はお前たちの神。……『にくゑ』と呼んでいたのは、お前たち人間でしょう?」
「ふざけるなッ! 清音を返せぇッ!!」
ヒョウッ!!
梓さんが、激情のままに矢を放つ。
それは彼女が持つ神器の力。
にくゑという神の概念を否定する力。
パァンッ!!
けれど、光の矢は清音さんに届く前に、見えない壁に弾かれて霧散した。
それだけではない。
梓さんが手にしていた神器が、無数の罅が入ってゆく。
見る間にそれは大きくなり、白い弓はガラスのように砕け散った。
「嘘……」
「神に弓引くとは。……ひれ伏しなさい」
ズズズズズッ!
部屋中の床と壁から、無数の肉の触手が一斉に伸びた。
私、久我さん、梓さん、全員の手足があっという間に拘束され、空中に吊り上げられる。
「ぐっ……離せっ!」
「あが……!」
身動きが取れない。
清音さんは私たちには目もくれず、壁にめり込んだまま動かない探偵さんへと歩み寄った。
「……哀れですね」
彼女は、血に濡れた探偵さんを見下ろして告げた。
「お前は人ではない。我らのような神でもない。……だが、お前もまた我々と同じ彼岸よりやってきた存在。お前には神に等しい力がある」
清音さんの言葉に、探偵さんの指がぴくりと動く。
「故に、お前はもう戦えない。お前がその身にある『枷』を外し、真に力を解放すれば……この脆い世界ごと滅んでしまう。そうでしょう?」
探偵さんは答えない。ただ、苦しげに息を吐く。
「だからお前は、人の真似事をして、玩具のようなお菓子を武器にし、自分を鎖で縛り付けている。……今のお前は、無力に等しい」
清音さんが、くるりと振り返る。
その視線が、吊り下げられた私を射抜いた。
「そして。お前のその『自制』こそが、答え合わせになりました」
「……答え?」
「我々は探していたのです。運命を分かつ分岐器を」
清音さんが私に向かって手をかざす。
「予想通りでした。……それは、お前だ」
心臓が跳ねた。
「何故、三宅を使ってお前の友人を生かしたまま置いておいたと思います?
そうすれば、お前はきっと自分でここに来る。
そして探偵……お前は必ず、この娘を守るために力を消耗する」
そんな、サヤカがさらわれたのは私のせい?
私が探偵さんの力を消耗させた?
「さあ、世界を正しい姿へ戻しましょう」
カッ!!
清音さんの手から、禍々しい光が放たれ、私を包み込んだ。
「ぎゃああああああああッ!?」
激痛。
熱い。痛い。身体の中身が書き換えられるような感覚。
私の悲鳴と共に、部屋中の空間が歪み始めた。
部屋一面に、あの光景が幻のように浮かび上がってゆく。
◇
――息を吸った瞬間、甘い匂いが鼻を刺した。
ここは池袋のはずだった。
いつもの駅前の雑踏、いつものビルの看板、いつもの人の流れ――
その全部が、溶けていた。
ビルの外壁は赤黒い粘膜みたいに脈打ち、東口のロータリーを覆うアスファルトが、胎内の水面のようにふるふると震えている。
甘い匂いに包まれた地面から立ち上る湯気の奥で、道行く人がゆっくりと形を失っていく。
「……え……?」
誰かの腕が溶けた。
誰かの足が、音もなく液体になって崩れた。
笑顔のまま溶けていく人もいる。
泣きながら溶ける人もいる。
でも最後は皆、柔らかな肉の塊となって、地面に吸い込まれていった。
◇
赤黒い空。崩れ落ちるビル群。溶解する人々。
私の夢に出てくる「終わりの光景」が、ホログラムのように部屋全体へ投影されていく。
「見つけた。ついに見つけたぞ! 運命の分岐器を!」
清音さん――にくゑの歓喜の声が響く。
「これで世界は、正しい姿を取り戻す!!」
意識が遠のく。
世界が終わる。
私が、終わらせてしまうの?
そんなのイヤだ!
ごめんなさい。ごめんなさい……。
私の呟きは、誰の耳にも入らず虚空に消えてゆく。
――その時。