恋愛小説家
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
異世界帰り色々な日常 一話完結・オムニバス
本文
佐藤 純 が 異世界に飛ばされて、十五年が経った。
――こちらの世界では、まだ十秒しか経っていなかった。
気づけば俺は、元の世界に戻っていた。築十年の普通のマンション。
どこにでもあるような間取り。3LDK、家賃十五万円、駅徒歩八分。
エアコンの風。冷蔵庫の音。窓の外には、見慣れたコンビニの看板が光っている。
何も変わっていない。
十秒前と、何一つ。
俺だけが、十五年分、変わっていた。
異世界では、空の色が違った。二つの月が夜を照らし、魔法の光が街を彩っていた。
剣を持てば大陸が震え、名を呼べば神々が振り返った。
十五年間、死にかけたことも数えきれないくらいあった。
それなのに今、俺の目の前にあるのは、くたびれた二人掛けソファーと、脱ぎ捨てられた靴下と、再放送ドラマを「また見逃した」という妻の独り言だ。
悪くない。全然、悪くない。
むしろ、これが見たかった。
十五年間、ずっと。
---
向こうでの俺は、随分と「経験を積んだ」らしい。
いや、「らしい...」じゃなくて、積んだ。めちゃくちゃ積んだ。
望んでいたかどうかは今となっては少し怪しいけれど、気づけば向こうの世界では割と引っ張りだこだった。
我ながら謎のモテ期だった。異世界限定で。こっちの世界では妻一筋だったのに、どうして向こうではああなったのか、今でもよくわからない。
たぶん、大剣を持って颯爽と現れたのが良かったんだと思う。 知らんけど。
サキュバスたちは甘くて、危なくて、でもどこか寂しそうだった。
夜ごと訪れる彼女たちの囁きに、最初こそ「いや待って、これ完全に罠だろ」と警戒していたのに、気づけば朝まで睦み合っていた。
「また来てね」「行くとは言ってない」「でも来るでしょ」「……行くわ」というやり取りが定番になった頃には、もはや何の関係なのかよくわからなくなっていた。
結局、俺が落としたのか落とされたのか、今でもよくわからない。
たぶん、お互い様だったんだと思う。
陰魔の里では、艶やかな着物から覗く白いうなじに心を揺らした。
しなやかな指先と流れるような所作に、気づけば何度も足を運んでいた。
あの子たちが実は女性だと知ったのは、涙をこらえた別れ際のことだった。
「最初から言ってくれよ」と思ったけど、言えなかった。
あの笑顔を前にしたら何も言えなくなるって、ずっとわかってたから。
魔王は強敵だった――剣の意味でも、ほかの意味でも。
最初は「打倒魔王!」の勢いで乗り込んだくせに、玉座に一人座るあの孤独な瞳が愛おしくて、気づけば何度でも城へ向かっていた。
側近の悪魔たちには「また勇者が来ました」「お通ししますか」
「……どうせ止めても来るだろ」という感じで、いつの間にか完全に顔パスになっていた。
最終的には魔王と二人で城の屋上から夜景を眺めながら、お互いの孤独について語り合うような仲になっていた。
「お前は本当に懲りないな」という言葉が、最後の別れの言葉だった。
今でも時々、あの不思議な魔界の夜景を思い出す。
エルフの女王は、千年生きた情の深さで、俺に人の儚さと愛の重さを教えてくれた。
「人間は短命だから、愛し方が激しい」と言われて泣きそうになったけど、
「じゃあ俺、濃いめでいきます」と返したら静かに笑ってくれた。
千年生きてる人に「ずるい」と思うのも変な話だけど、それがまた 美しく甘美な経験だった。
___etc___
そうして俺は、愛し方を学んだ。
たっぷりと。十五年かけて。
こちらの世界の時間で言うと、十秒で。
---
十五年分の記憶を抱えて元の世界に戻った俺は、気づけば小説を書いていた。
あの日の熱を、言葉に変えずにはいられなかったから。
文章に多少の「魅了」が入ってしまったのは、まぁしかたない。
職業、恋愛小説家。
気づけば累計百万部。
担当編集は打ち合わせのたびに
「先生の書く恋愛は、どうしてこんなにリアルなんですか」と目を輝かせる。
サイン会には毎回長蛇の列ができて、文芸誌のインタビューでは「愛とは何だと思いますか」なんて神妙な顔で聞かれる。
そのたびに俺は少し考えるふりをして、「経験、ですかね...」と答える。
嘘はついていない。
ただ、その「経験」の内訳が異世界十五年分だとは、誰も思うまい。
登場人物のモデルが全員実在するのも、同じく墓場まで持っていく。
異世界の皆さん、ごめんなさい。
でもいい話にしたから許してください。
サキュバスの皆さんも、魔王も、エルフも、読んでくれてたら嬉しいです。
...読めないか。
ちなみに妻は俺の小説を読んで
「なんか嫌だ」
と言っていた。鋭いところを突いてくる。
---
それでも、 俺はこの人がいい 。
帰ってきたあの瞬間、妻はソファに座って、 ひときわ大きなプリンを頬張っていた。十秒前と全く同じ顔で。俺が十五年間、異世界で何をしてきたか、何を感じてきたか、誰と出会って誰と別れてきたか、何ひとつ知らない顔で。
当たり前だ。まだ十秒しか経っていないんだから。
でも俺にとっては、十五年ぶりの妻の横顔だった。
しばらく黙って見ていたら、妻が顔を上げた。
「なに、ぼーっとして」
「いや、なんでもない」
「変なの」
そう言ってまた プリン に向き直る。ふっくらした頬がうれしそうに動いている。
テーブルのどら焼きが、そろそろ自分の番だと待ち構えている。
俺は少し笑って、隣に座った。
「なぁ」
「なぁに」
「好きだよ♡」
妻は スプーンを止めた。三秒くらい固まって、それからゆっくりこちらを向いた。
ふっくらした頬がまあるくなって、耳がじわりと赤くなった。
「……急にどうしたの」
「十五年分、溜まってたから」
「は? 十五年? さっきまで普通にいたじゃない」
「まあ、そうなんだけど」
「 バカね。でも、私も大好きよ♡」
そう言いながら、口元が微笑んでいた。
照れると憎まれ口をきくのは、十五年前から変わっていない。十秒前からも。
俺はソファに深く腰を下ろして、妻の隣で目を閉じた。
甘い匂いと、エアコンの風と、テレビの笑い声。
どら焼の袋をがさがさと開ける音。
ああ、帰ってきた。本当に、帰ってきた。
サキュバスも魔王もエルフも、みんな良かった。全員、本当に良かった。
でも。
十五年かけて学んだ愛し方の、全部を捧げる相手は、どら焼きを頬張るこの人だけだ。
累計百万部より、この笑顔の隣にいることが嬉しい。