第2章:擬似的な大地(Simulated Ground)④
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
太陽系内移動が普遍化した時代。エリート戦闘艇パイロット候補生のカイ・セリザワは、突如として開発中の人型兵器『G-STRIKE』への兵科転換を命じられる。 そこには、重力アンカーを用いた「空間を蹴る」という、従来の物理法則を根底から覆す超機動技術が投入されていた。
本文
「ハウンド・リーダーより各機へ。ターゲットを確認。……フッ、あれが噂の『踊り子』か。随分と不格好な演し物だな」
通信(コミュ)に混じったのは、かつての同僚、リードの声だった。 全天周囲モニターの向こう側、漆黒の宇宙を背景に、三機の『スティングレイ』が美しい三角形(デルタ)を形成して接近してくる。 無駄のない加減速、精密な回頭。 それはカイがかつて、この世で最も尊いと信じていた「慣性の調和」そのものだった。
「セリザワ候補生、聞こえるか」 バロウズの声が、割り込むように響く。 「向こうは本気だ。お前の旧友どもは、そのガラクタを鉄屑に変えて、お前を連れ戻すつもりでいるぞ」
カイは答えなかった。 汗が目に入り、視界が滲む。 首筋のG-ステインが、エレーナに触れられた時よりも熱く、脈打つように疼いていた。 スティングレイが散開する。 三方向からの同時一撃離脱(一斉航過)。 戦闘艇乗りとしてのカイの脳が、瞬時に最適解を導き出した。 ――回避不能。
「っ……!」
リードの機体から放たれた模擬レーザーが、G-STRIKEの肩を焼く。 機体警告音がコクピットに鳴り響き、不完全な慣性制御ユニットが激しく火花を散らした。 戦闘艇の速度域では、人型兵器の質量はただの鈍重な標的でしかない。 スティングレイが再び距離を取り、次の「計算通りの」旋回に入る。
(……見えている。奴らの軌道は、完璧すぎて、退屈だ)
カイの脳内で、何かが弾けた。 疼く首筋から、熱い電流のような感覚が四肢へと流れ込む。 彼は操縦桿(スティック)を、これまで教わったどのマニュアルにもない角度で叩き折った。
「重力アンカー、定着(アンカー・オン)……。全基、最大出力!」
空間が、捻じれた。 機体の右腕、左足、そして腰部のノードが、真空の何もない一点を「掴む」。 慣性制御が限界を超え、カイの視界から色が消えた。 グレイアウト。 だが、視覚が失われる代わりに、彼は感じていた。 空間に打ち込まれた「楔」の手応えを。
「何っ……消えたか!?」 リードの驚愕の声。
G-STRIKEは、慣性の法則を嘲笑うように、その場で「真横」へ跳躍した。 スラスターの噴射による移動ではない。 空間を蹴り、反作用を強引に推進力へ変換した、物理的な瞬間移動に近い加速。 カイの身体はシートにめり込み、内臓が押し潰される悲鳴を上げたが、彼の指先は狂ったようにスロットルを操作し続ける。
「そこだ……!」
盲目的に、しかし確信を持って放った一撃。 スティングレイが描くはずだった「未来の軌道」の先を、G-STRIKEの巨大なマニピュレーターが強引に掴み取った。 真空中で、二つの機体が激しく衝突し、火花が散る。
「馬鹿な……計算が合わん! 今のGに人間が耐えられるはずが――」 リードの悲鳴を、カイは冷淡に遮断した。
モニターが再び光を取り戻した時、そこにはスティングレイの機首を掴み、空間に「静止」する異形の巨人の姿があった。 背景では、残りの二機が、予測不能な位置に現れたカイを捉えきれず、無様に軌道を乱している。
カイは、荒い呼吸を繰り返しながら、自分の手を見つめた。 感覚が、おかしい。 コクピットの壁と、自分の皮膚の境界が曖昧になっている。 自分が機体なのか、機体が自分なのか。 ただ一つ確かなのは、彼が今、かつて愛した「檻」を壊し、誰もいない荒野へと踏み出したということだった。
「……バロウズ中佐。聞こえますか」 カイの声は、自分でも驚くほど低く、冷え切っていた。 「見えました。……この空間の、『足場』が」
通信の向こうで、バロウズが短く、満足げに鼻を鳴らす音が聞こえた。 それは、地獄への門を潜った教え子に対する、唯一の祝辞だった。