陰陽師(前編)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
異世界帰り色々な日常 「貴方へのラブレター」
本文
気づいたら、駅前だった。
親子がいる。車がいる。早足で歩くサラリーマンがいる。立ち止まって地図を見てる観光客がいる。ビラ配りのお兄さんが「どうぞ」と差し出してくる。
純は反射的に受け取った。
近所の定食屋の割引クーポンだった。本日のランチ、唐揚げ定食八百円。
——ああ、日本だ。
本当にしみじみした。あの世界じゃ唐揚げなんてなかった。
そもそも鶏が喋ってたから食えなかった。
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佐藤 純、陰陽師。
これを言うと百発百中でこういう顔をされる。「え、今? 令和で? 陰陽師?」みたいな顔。わかる。自分でもそう思う。でも家業だからしょうがない。佐藤家は平安から続く陰陽師の一族で、この国の見えないやばい部分を誰にも気づかれないまま代々処理してきた。表に出ない。感謝もされない。それが家訓みたいなものだ。
ちなみに「佐藤」なのは意図的だ。この国で最もありふれた名字。目立たぬに越したことはない。一応、国からそれなりの予算が下りているので、まあ公務員みたいなものだと純は思っている。
そして純は、その佐藤家の三男だ。兄たちはそれぞれ霊視が鋭く術の制御も巧みで、純だけが輪をかけてパッとしなかった。霊視は弱い。術は不安定。呪符は三枚に一枚が不発、たまに暴発して自分の手を焦がす始末だ。長老たちに「まあ……頑張れ」みたいな目で見られ続けた。同情と期待値ゼロが混ざった、あの目。純は見慣れすぎて何も感じなくなっていた。
そんな純が異世界に引きずり込まれたのは、 成人の日の翌日のことだ。前触れなし。予告なし。気づいたらそこにいた。 その瞬間、晩飯のことを考えていた。
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最初は、ひたすら逃げていた。
あの世界は最悪だった。魑魅魍魎が生態系の頂点に君臨していて、人間はおまけみたいな扱いで、夜になると街ごと飲み込まれるような場所だ。純はとにかく逃げた。走って、隠れて、息を殺して、朝になるのを待った。何度も死にかけた。腕を大妖に掴まれて「今日で終わりかな」と思ったことも一度や二度じゃない。それでも死ななかった。しぶとく、しぶとく、生き残った。
逃げ続けるうちに、体が勝手に覚えていった。音と風と空気の変化で気配を読む癖がついた。ある夜、廃屋の隅で呪符を一枚きれいに成功させた。小さな蛍みたいな光がぱっと灯って、すぐ消えた。もう一枚切った。今度も成功した——暴発しなかった。手応えが確信に変わった瞬間だった。
そこから先は、追い詰められるたびに強くなった。震える手で符を切ったら大妖が一瞬ひるんだ。次は止める。止めたら次は祓う。気づいたら逃げる回数が減っていた。追い詰められないと本気出せないのか、と我ながら思う。
一つできると次が見えてくる。一点突破すると芋づる式に全部繋がっていく。長老たちに「まあ……頑張れ」と言われ続けたあの力が、ようやく本気を出し始めていた。遅すぎる。
器はずっとそこにあったのだ。ただ、極限の状況で何度も削られ、磨かれて、ようやく刃の形になった。異世界に感謝するのも癪だが、世話になった。
狩衣を仕立てたのも異世界でのことだ。大蜘蛛の糸を現地調達して、平安装束の形に倣って縫い上げた。丈夫で、式の通りもいい。我ながらいい仕事をしたと思っている。白と金の狩衣に緋色の指貫という格好が傍から見ると相当「絵になった」らしく、気づいたら周囲に妙な目で見られるようになっていた。
純は特に気にしなかった。動きやすければそれでいい。
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大妖を初めて単独で仕留めたとき、周りが固まった。しばらくして一人がぽつりと言った。
「……本当に人間か、あんた」
純は答えなかった。自分でもよくわからなかったから。
そこからは噂が勝手に広まっていった。白い狩衣の男が現れると大妖が逃げる、あいつに頼めばどんな呪いでも祓える——純は頼まれたことを断らなかったし、できることはやった。ただそれだけなのに、気づいたらとんでもない話になっていた。
苛酷で、残酷で、毎日どこかが痛い世界なのに、なぜか充実していた。自分が何かの役に立っているという手応えが、ずっとあった。
気づいたら、帰ってきていた。十五年...なんか短かったなという気分だった。
まあ、十秒しか経ってないんだけど。こっちでは。
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で、今の純がどうしているかというと、コソコソしている。
本人的には「低空飛行で生活する」と言っている。
能力は全力で使うが、誰にもバレないようにやっている。
通勤ラッシュの改札前、柱の裏に薄気味悪い気配がいたとする。歩きながら袖の内側でさっと符を切る。それだけ。誰も気づかない。商店街の裏路地に瘴気が滲んでいたとする。祝詞を鼻歌のリズムに乗せて小声で流す。ただの人間が鼻歌を歌って歩いてるだけに見える。深夜マンションの一室に強い霊が居座っているとする。翌朝ポストに広告チラシを差し込む。裏面に浄化の式が刻まれている。翌日にはきれいさっぱり消える。
誰も気づかない。これが最高に楽しい。
異世界では「狩衣の男が来た!」と大騒ぎされていたわけだが、今は誰も気づかない。その落差が面白くてたまらない。純は根本的に、目立ちたくない人間だったのだ。十五年かけてようやくわかった。長老たちには言っていない。言ったら「その能力を一族のために……」と始まるのが目に見えているから。 たぶんずっと言わない。
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週三回、純が通うカフェがある。駅前の小さな店で、珈琲が美味い。
でも正直、そっちはどうでもいい。
純が来る理由は、カウンターの向こうにいる彼女だ。いつもにこっと笑う。それだけで、なぜか全部どうでもよくなる。異世界で積み上げてきた十五年分が、あの笑顔の前では完全に霞む。
一般人だ、と純は思っている。霊的な素養、ゼロ。術の気配、皆無。完璧な一般人だと純は信じて疑っていない。だからいつもしどろもどろになる。メニューを手に取るのに一瞬間を置く。
今日も彼女は笑った。
「また来てくれたんですね。いつものですか?」
純は一瞬止まった。いつもの。そうか、いつものがある男になっていたのか、自分は。
「……あ、えっと」メニューに目を落とした。季節のラテが書いてある。「これ、にします」
「桜のラテですね」
彼女はにこっとした。純はなぜかそれだけで少し嬉しかった。我ながら単純すぎる。
窓際の席に座る。今日も街は平和だ。遠くのビルの屋上にちょっとした気配があるが、帰り道に片づければいい。三十秒もあれば終わる。誰も気づかない。それでいい。それが楽しい。
そうやって純は今日もこの街の見えない側を、こっそり支えていく。
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カウンターの向こうで、彼女がまたほんの少し微笑んだ。純はそれを見てまた浮かれた。本当に単純な男だ。
異世界のことも、十五年分の武勇伝も、浮かれた今この瞬間の気持ちも
——全部とっくに読まれている。彼女にとって、純の心は開いた本も同然だった。
そして純が命がけで挑む相手に、彼女ならば一人で勝てる。
子どもの頃から異世界ファンタジーを愛読してきた彼女にとって、純はまさに夢で描いてきた理想の人物だった。
『この人のそばにいたい』と思っている。
いつか、純が気づく日が来たとき——彼女はたぶん、またあの顔で笑う。
知ってましたよ、ずっと。と。
その日が来るのは、たぶん、そう遠くない。
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