陰陽師(続編)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
異世界帰り色々な日常 「貴方へのラブレター」
本文
陰陽師(前編) | 小説投稿サイト「あいぺん」
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異世界への扉は、いつも予告なく開く。
佐藤 純が最初の異世界から帰還して、どれほどの時間が経ったころだろうか。ある日、また引き寄せられるように別の世界へと落ちていった。気づけばそこにいた、というだけの話だ。まったく、せめて一言くらい断ってほしいものだと純は思った。思ったところで、誰に言えばいいのかはわからないのだが。
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その世界に落ちた瞬間、純は直感した。――ここは、前とは違う。
空気が、重さが、世界の根そのものが歪んでいた。魑魅魍魎は無数にいた。しかしそれ以上に恐ろしいのは、姿も意志も持たず、在るだけで触れるものすべてを静かに溶かしていく、名もなき何かだった。
それでも純は、ひるまなかった。
夜の廃城で百を超える魑魅魍魎を一人で散らした夜も、名もなき闇が街ごと飲み込もうとした朝も、純はただ静かに、その中心に立ち続けた。叫ばず、誇らず、名乗りもせず。気づけば脅威は消え、人々は何が起きたかも知らぬまま、朝の光の中で目を覚ます。それでよかった。それが純のやり方だった。
十五年、そうして戦い続けた。
傷の数など、もはや数える気にもなれなかった。それでも純が倒れなかったのは、技でも体力でもなく、ただ、折れない心ひとつ。
世界が、来た時とは少し違って見えた気がした。
純には、それだけが報いだった。
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帰還は唐突だった。
気づけば純は、見慣れた街角に立っていた。どこか遠くで救急車のサイレンが鳴っている。腕時計を確認すると、あの世界に落ちてから、こちらでは十秒しか経っていなかった。
十五年。 こちらでは十秒。
純はふっと息をついて、空を見上げた。
向こうでは全身傷だらけだったはずの体は、今や完全に元通りだ。皮膚は滑らかで、痛みもなく、年齢すら一日も進んでいない。十五年間の記憶だけが、ずっしりと胸の中に沈んでいる。
彼はゆっくりと歩き出した。いつもの喫茶店へ向かって。
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コーヒーの香りが漂う、小さな店。窓際の席に腰を下ろした純は、何も言わずにブラックを注文した。
彼女がカップをそっと置いた。いつもと変わらない所作で。
その瞬間、純は気づいた。
今まで気づいていなかったのが、むしろ恥ずかしいくらいに、あまりにも明確に。
異世界で十五年を過ごし、無数の魑魅魍魎と向き合い、人知を超えた脅威を感じ取り続けた末に研ぎ澄まされた純の感覚が、静かに、しかし確実にそれを告げていた。彼女の内側に在るものは、自分と同質だ。いや、もしかしたら自分と同等か、あるいはそれ以上かもしれない。
なのに彼女はこうして、何でもない顔でコーヒーを運んでいる。
純はカップを手に取りながら、内心で深く納得した。そうか、だからずっと気になっていたのか、と。十五年かけて異世界を渡り歩いた男が、目の前の女性一人を見抜けていなかったというのは、なかなか間抜けな話である。
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純は彼女と結婚した。
彼女の家は小林家という。
陰陽師の世界では、名前の一字を聞けばわかる者にはわかる、そういう家だ。しかし彼らは決して表に出てこない。政治家でも財界人でもなく、メディアにも登場しない。日本の陰陽師を束ねる総帥の家でありながら、その名を一般の人間が耳にすることはまずない。目立たないことを、まるで呼吸するように体に染み込ませている一族だ。
なるほど、と純は思った。そういう人だから、好きになったのかもしれない。
純はその家に婿として入った。佐藤家の長老たちが喜んだのは、言うまでもない。
小林家に入り、純は初めてこの世界の全体像を把握した。思っていた以上に、状況は複雑だった。魑魅魍魎の類は言うまでもない。しかし純が驚いたのは、人間が引き起こしている問題の根深さだった。差別、搾取、理不尽な暴力、見て見ぬふりをされた不条理。霊的な脅威よりも、人の心の闇のほうが、ある意味ではよほど手強かった。向こうの魑魅魍魎は少なくとも、建前を使わない分だけまだ正直だった。
彼女はそれをずっと知っていて、ずっと戦っていた。一人で、静かに、誰にも気づかれないように。
純は改めて、この人と生きていこうと思った。かなわないな、とも思った。
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子供は三人生まれた。
上二人は男の子だった。生まれた瞬間からすでに、何かを持っているのがわかった。育てていくうちにそれは確信に変わった。とんでもない素質を持ち、しかも性格がいい。まっすぐで、優しくて、強い。この子たちは、きっと俺たちより、もっと深いところで人を大切にできる人間になる。純はそう感じていた。
そして三番目に、女の子が生まれた。 小さな手に触れた瞬間、嬉しくて涙が溢れた。
三人の子供たちは 今、それぞれの形でこの戦いに加わり始めている。魑魅魍魎との戦いはもちろん、純と彼女が向き合ってきた世の中の不条理に対しても、子供たちなりの感覚で、子供たちなりの力で、少しずつ働きかけている。世の中が、少しずつ変わり始めているのを、純は肌で感じていた。劇的な変化ではない。ほとんど誰も気づかないような、ごく微かな変化だ。
この子たちは、自分たちよりもっと遠くへ行くだろう、と純は思った。それが少し誇らしく、少し悔しく、そして とても嬉しかった。
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ある夜、二人で縁側に並んで座っていた時、彼女が口を開いた。
「十五年、って何だったんだろうね」
純は少し考えてから答えた。
「わからない。でも、意味がないとは思えない」
「十秒で帰ってくる、ってことも?」
「それも。何か、繋がってる気がするんだけど」
二人はしばらく黙って、夜の庭を眺めた。答えは出なかった。おそらくすぐに出るものでもない。
「まあ、そのうちわかるんじゃないか」と純は言った。
彼女は微笑んだ。
純は今日も、誰かのヒーローではない。どこかの英雄でも、語り継がれる存在でもない。昨日も明日も、目立たない場所で、静かに、確かに、在り続けるだけだ。
ただ、この人を愛し続けることだけは、永遠に変わらないと思っている。
純はそっと、彼女の手を握った。この先も、ずっとそうしていたいと思った。