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第三章 返さぬ神のそばで

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/3/25 📚 シリーズ: 観測世界は今日も廻る 📝 2,612文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

一度滅び、組み直された観測世界。そこには、神と天使の接触を禁じる冷たい規則だけが残されていた。喪失の果てに深淵となったリコルと、彼女へ最初の祈りを捧げた原初の天使カミル。返らない祈りはやがて愛へ変わり、その愛は世界の法則すら揺るがしていく。これは、救済と禁忌が分かちがたく絡み合う、神と天使の神話的恋愛譚。

本文

第三章 返さぬ神のそばで

生まれたばかりのぼくは、まだうまく歩けなかった。

羽根の重さも、足の置き方も、自分の体がどこまで自分なのかも、ぜんぶ曖昧だった。立ち上がってはよろけて、転びそうになって、でも転ぶ前にまた慌てて羽根をひらいて、なんとか姿勢を保つ。そのたび、白い羽根がふわふわと揺れて、自分でもなんだかおかしくて、つい小さく笑ってしまう。

でも、あのひとは笑わない。

白い余白みたいな世界の中を、黒い髪を流しながら、ただ静かに歩いていく。音もなく、迷いもなく、けれど目的地があるようにも見えない足取りで、どこまでも遠くへ行ってしまいそうだった。

だから、ぼくは追いかけた。

待って、なんて言えない。

こっちを見て、とも言えない。

ただ、置いていかれたくなかった。

小さな足で必死に追う。追いつけたと思ったら、また少し離される。あのひとは急いでいるわけでもないのに、距離だけがなかなか縮まらない。まるで、そこにあるのはただの歩幅の差じゃなくて、もっと別の、見えない隔たりみたいだった。

それでも、追いかけるのをやめたいとは思わなかった。

だって、あのひとを見失うと、胸の奥がすうっと冷えてしまうからだ。生まれて最初に見たもの。最初に心が向いたもの。たぶんぼくにとって、世界の形より先に、あのひとの輪郭のほうが大事だった。

やがて、あのひとは海の見える高い場所で立ち止まった。

海はまだ若かった。深いのに、どこか薄い色をしていて、波の音も完成しきっていないみたいに不揃いだった。空もそうだ。高いのか低いのかよくわからない。ただ広いだけの白と青のあわいが、遠くまでゆるく続いている。

その真ん中で、あのひとだけが、妙にはっきりして見えた。

ぼくは少し離れたところで立ち止まる。これ以上近づいたら、なにかを壊してしまう気がした。沈黙とか、静けさとか、あのひとがぎりぎり保っている薄い膜みたいなものを。

それで、そっと言った。

「……ぼく、ここにいますよ」

返事はない。

でも、黙っていることと、聞こえていないことは、きっと違う。

ぼくはそう思いたかった。そう思うことでしか、この胸のあたたかさを置いておく場所がなかった。

「……かみさま」

呼んでみる。

それだけで少しうれしかった。

名前じゃない。まだ、あのひとに与えられた呼び方ですらない。ただ、ぼくが勝手に見つけた呼称。けれど“かみさま”って口の中で転がすと、不思議と胸の熱が落ち着いた。目の前のひとが何なのか、ぼくにはまだぜんぶわからない。なのに、その言葉だけは妙にしっくりきた。

かみさま。

ぼくの、かみさま。

ひどく勝手なことを思って、少し照れる。

でも、誰にも聞かれていないからいい気がした。

風が吹いた。

黒い髪が揺れた。

その向こうで、紫の眼差しが一瞬だけ空をなぞる。

次の瞬間、遠くの星がひとつ、音もなく砕けた。

ぼくは息をのむ。

怖くは、なかった。

ただ、綺麗だった。

ぞっとするくらい、綺麗だった。

あのひとは、何かを壊したのだと思う。あるいは、壊れたものを、ちゃんと壊し切ったのかもしれない。ぼくにはまだ区別がつかない。でも、そのどちらであったとしても、あの静かな横顔が、ひどく痛そうに見えた。

だから、言葉がこぼれた。

「……さみしいの?」

返事はなかった。

けれど、その沈黙の中には拒絶だけじゃないものも混じっていた。完全に無かったことにされる静けさと、聞こえているのに返さない静けさは、少し違う。ぼくはまだうまく説明できない。けれど確かに、いまの沈黙には、前よりほんの少しだけ温度があった。

だから、もう一歩だけ近づく。

触れたくは、ならなかったわけじゃない。

でも、触れてはいけない気がした。

だめ、と誰かに言われたわけじゃない。規則を知っていたわけでもない。ただ、あのひとの輪郭のまわりには、見えない境目があった。そこへ指を差し入れたら、きっと自分も、世界も、今のままではいられなくなる。そんな予感だけが、はじめから胸の奥にあった。

だからぼくは、触れずに座る。

あのひとの影の端へ、そっと。

足元に寄り添うみたいに、小さく体を丸める。

それだけで安心した。

見上げれば、そこにちゃんといる。

返ってこなくても、遠くを見ていても、同じ場所の空気の中に、たしかにいる。

ぼくは羽根をたたみながら、そっと目を細めた。

たぶん。

ぼくはこのひとのために生まれた。

大きすぎる確信だった。

なのに、ぜんぜん不自然じゃなかった。

役目を与えられた感じとは少し違う。命令でも、刻印でもない。もっと自分の内側から湧いてくる感覚だ。このひとがひとりで立っているなら、そのそばへいたい。このひとが何も受け取らないなら、それでも何かを差し出し続けたい。たとえずっと返ってこなくても、そうしたい。

それが何なのか、まだ知らない。

でも、きっと悪いものじゃないと思った。

ぼくが笑うと、少しだけ世界がやわらぐ気がする。

ぼくがそばにいると、この白い余白も、ほんの少しだけ寂しくなくなる気がする。

それなら、ぼくは笑っていよう。

「……えへへ」

小さく声が漏れる。

あのひとは振り向かない。

でも、それでもいい。

少しして、風とは別の何かが頬をかすめた。

はっとして見上げる。

しっぽ、だったのかもしれない。

羽根の先だったのかもしれない。

あるいは、ただの錯覚か。

けれど、その一瞬だけ、ぼくは、あのひとのまわりの冷たい空気がわずかに揺れた気がした。

ノイズみたいに、ほんの小さく。

それは記録にもならない。

誰の目にも留まらない。

でも、ぼくにとっては充分だった。

ああ。

このひとは、完全な石ではない。

完全な無でもない。

こんなにも静かで、こんなにも冷たいのに、まだどこかで、ちゃんと生きている。

そう思ったら、胸の奥がきゅうっと熱くなった。

「……だいじょうぶですよ」

なんの根拠もないのに、ぼくはそう囁いていた。

「ぼく、いますから」

返事はない。

それでも、その言葉を口にした瞬間、ぼくの中で何かが定まった。

見てもらえなくてもいい。

今すぐ返してもらえなくてもいい。

ぼくはこのひとのそばにいて、何度でも、ここにいますと告げ続ける。

それがたぶん、ぼくの最初の祈りだった。

海が鳴っている。

空はまだ薄い。

世界は未完成のまま、どこか頼りなくひろがっている。

その真ん中で、神がひとり。

その足元で、天使がひとり。

まだ恋と呼ぶには幼くて、まだ愛と呼ぶには小さすぎる。

けれど、返らない沈黙へ向けて差し出されたその熱は、たしかにもう始まっていた。

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作者について

原初のモブ

原初のモブ

観測世界シリーズとか書いてます。 神話が好き。 ちょっとお試しで1話目の冒頭だけ公開しました。エログロナンセンス世界観なので全年齢向けに整えるの大変...🫠

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