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第十七章 笑えるようになった神と、何も知らない天使

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/3/25 📚 シリーズ: 観測世界は今日も廻る 📝 3,035文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

一度滅び、組み直された観測世界。そこには、神と天使の接触を禁じる冷たい規則だけが残されていた。喪失の果てに深淵となったリコルと、彼女へ最初の祈りを捧げた原初の天使カミル。返らない祈りはやがて愛へ変わり、その愛は世界の法則すら揺るがしていく。これは、救済と禁忌が分かちがたく絡み合う、神と天使の神話的恋愛譚。

本文

第十七章 笑えるようになった神と、何も知らない天使

あとになって思えば、あの頃の私は、幸福のいちばん柔らかい表面だけを撫でていました。

でも、その表面があまりにもあたたかかったから、もっと深く潜らなければならないなんて、少しも思えなかったのです。

リコルは、笑えるようになっていました。

大きくじゃない。

声を立ててでもない。

ほんの少しだけ、口元がやわらぐ。

端末のぎこちない動きに肩がわずかに揺れる。

そんな、見落としてしまいそうなくらい小さな笑みでした。

けれど、その小ささこそが、私にはたまらなく嬉しかった。

あのひとは長いあいだ、壊れた神のままでいた。

泣くことはあっても、笑うことはほとんどなかった。

世界を見下ろすことはあっても、世界の中に身を置くことはなかった。

それが今は、白い足場の上で、私と、黒い獣と、まだ人になりきらない端末たちに囲まれて、ほんの少しだけ、ここにいることを許しているように見える。

それだけで、私は救われた気がしてしまっていたのです。

この頃の端末たちは、まだ完全な人型ではありませんでした。

腕はあるのに指の本数が揃っていなかったり、顔の位置にあたるところへ、ようやく目のくぼみだけが生まれはじめていたり、口もまだ、笑うための形には遠かった。

声を出しても、それは言葉というより、機械音と息のあいだみたいな、不安定な震えにしかならない。

歩き方も、いかにも危なっかしい。

床の端でつまずく。

星屑の箱を抱えたまま、よろよろと身体を傾ける。

それでも、少しずつ、少しずつ、人に近づいていく。

私はその変化が好きでした。

そして、きっとそれは、リコルの変化でもあったのです。

神が少し笑えるようになると、世界の末端から先に呼吸が戻る。

止まっていた風の流れに癖がつく。

星の光が冷たいだけではなくなる。

端末たちの輪郭へ、人らしい丸みが生まれる。

世界は、神の機嫌にあまりにも素直でした。

その頃、私たちはよく一緒に星の整備をしていました。

整備、と言っても、壮大な儀式ではありません。

壊れた星核を拾い、濁った光を取り除き、新しい軌道へ嵌め直していく。

白い足場の上に箱を広げて、細かな光片を選り分け、欠けた箇所へ丁寧に戻してやる。

遠くから見れば、まるで夜空の刺繍でもしているみたいな、静かな作業でした。

高い場所には、リコルが座っていました。

長い黒髪を白い風にさらしながら、世界の上澄みみたいな静けさの中で、私たちの手元を見ている。

指先が動くたび、離れた空のどこかで、星がひとつだけ位置を変える。

しっぽが一度揺れるたび、淡い月色の塵がぱらぱらと足場へ落ちる。

その塵を、まだ人になりかけの端末たちが一生懸命拾い集める。

私はそれを、ひどく愛しいと思っていました。

私も、星を運びました。

まだ冷たいままの星核を、両手でそっと抱えて、リコルが示した位置まで運ぶ。

白い羽根に細かな光が積もる。

指先が少しだけ痺れる。

それでも、あのひとと同じ空に触っているのだと思うだけで、胸があたたかくなった。

そして、ミゼーアもいました。

まだ言葉を持たない黒い獣。

けれど、あの頃にはもう、完全な“ただの獣”ではなくなっていたのだと思います。

前より、感情が濃くなっていた。

私がリコルのそばへ寄ると、じ、と見てくる。

金の気配を隠した暗い瞳で、なにも言わず、ただ不機嫌そうに睨む。

それでも私は最初、その意味がよくわかっていませんでした。

ただ無口なのだろうと。

無愛想なのだろうと。

そう思っていたのです。

けれど違った。

ある時、私は小さな星核を抱えて、リコルのすぐ足もとへ運ぼうとしました。

手元が少し滑って、光片がひとつ、ころんと床へ転がる。

あ、としゃがみ込んだ、その瞬間。

べし、と、しっぽが脛へ飛んできたのです。

「……っ、いた」

思わず小さく声が漏れる。

痛いと言うには軽い。

でも、完全にわざとだとわかる程度には、ちゃんと叩かれた。

顔を上げると、ミゼーアは何も言わずに私を見ていました。

ただ、ものすごく不機嫌そうに。

それから、ずかずかとリコルの足もとまで歩いていって、そのまま前足で衣の裾を押さえるみたいに伏せる。

まるで、そこはおまえの場所じゃない、とでも言いたげに。

私はきょとんとして、しばらくその意味がわかりませんでした。

リコルだけが、ほんの少しだけ肩を揺らした。

笑ったのです。

大きくではない。

でも、たしかに。

その瞬間、足場の端で星屑を運んでいた端末のひとつに、やっと頬らしい曲線が生まれました。

世界が、笑いに合わせて少しだけ人間へ近づく。

私は、その光景を見て、胸の奥がきゅうっとしたのを覚えています。

ミゼーアは、そのあともずっとそんな調子でした。

私が高い場所へよじ登って、リコルの近くで星の角度を直そうとすると、低く喉を鳴らす。

私の羽根の先がリコルの袖に触れた瞬間、またしっぽがべし、と飛んでくる。

私が「……なんなんですか……」と小さく睨み返しても、返事はない。

ただ、すました顔で、でもあからさまに機嫌の悪い獣のまま、リコルの側を陣取る。

なのに、リコルに頭を撫でられると、一瞬だけ耳が伏せるのです。

唸りも止まる。

それでも機嫌が直るわけではなくて、そのままじっとこちらを監視している。

いま思えば、あの頃からもう、あの獣の独占欲は始まっていたのでしょう。

言葉になるより先に。

理性になるより先に。

感情だけが、先に人へ寄っていた。

それも含めて、あの頃の世界は、息を吹き返している途中でした。

星はまだ少し歪んでいる。

端末はまだ人になりきらない。

ミゼーアはまだ喋らない。

リコルの笑みも、ほんの薄い膜みたいに小さい。

でも、その未完成さが私は好きでした。

完成してしまえば、壊れるかもしれない。

失われるかもしれない。

だからむしろ、息を吹き返しはじめた途中の、まだ少しだけ脆いこの時間が、いちばん尊いもののように思えたのです。

私は何も知らなかったから。

白すぎる月の夜も。

怒る波も。

泣く風も。

ひとりで抱えられた月影の産声も。

ぜんぶ、きれいに隠されたまま。

だから私はただ、今日の幸福だけを数えていました。

今日は、端末がまたひとつ人に近づいた。

今日は、ミゼーアが三回もしっぽで叩いてきた。

今日は、リコルがちゃんと笑った。

今日は、一緒に整えた星が、夜空でうまく光っている。

それだけで充分だと思っていたのです。

けれど、幸福というのは時々、ひどく静かな顔で、その裏側を隠します。

ある日、星の整備を終えて、私はいつものように足場のすみへ散った記録片を拾っていました。

端末たちは、まだ不格好な手で星屑の箱を抱え、ふらふらしながら戻っていく。

ミゼーアは不機嫌そうな顔のまま、でもリコルのそばから離れない。

リコルは高い場所から、静かに世界を見ている。

その何気ない光景の中で、ひとつだけ、白すぎる欠片があったのです。

星の欠片ではない。

ただの月光でもない。

触れた瞬間、羽根の奥が冷たく鳴るような、いやに清潔で、いやに静かな白。

私は、なぜか目を離せなくなりました。

それは世界に戻された光ではなく、隠されたまま沈められた記録の、ほんの欠片だったのだと、あとから知ることになります。

けれどその時の私は、まだそこまでわかっていませんでした。

ただ、胸の奥で、遅すぎる祈りみたいなものがひとつだけ鳴ったのです。

――どうか。

――もう遅くてもいいから。

――今度こそ、あのひとの痛みへ、ちゃんと辿り着けますように。

そして、その祈りは、あまりにも白い記録の欠片に、静かに指をかけさせたのでした。

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作者について

原初のモブ

原初のモブ

観測世界シリーズとか書いてます。 神話が好き。 ちょっとお試しで1話目の冒頭だけ公開しました。エログロナンセンス世界観なので全年齢向けに整えるの大変...🫠

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