第十二章 “それでも好き”――応答のない神へ送り続ける祈り(全年齢版)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
※性的匂わせがあります。 一度滅び、組み直された観測世界。そこには、神と天使の接触を禁じる冷たい規則だけが残されていた。喪失の果てに深淵となったリコルと、彼女へ最初の祈りを捧げた原初の天使カミル。返らない祈りはやがて愛へ変わり、その愛は世界の法則すら揺るがしていく。これは、救済と禁忌が分かちがたく絡み合う、神と天使の神話的恋愛譚。
本文
第十二章 “それでも好き”――応答のない神へ送り続ける祈り
「……すきです……
……かみさま……っ……すき、なんです……っ」
ぼくは何度も、同じことばかり零していた。
絡めた指は、まだほどけない。
白い部屋の沈黙は、相変わらず深い。
けれど今夜の沈黙は、もう前みたいな無ではなかった。
声で返してくれないまま、かみさまの身体だけが、少しずつ、ほんの少しずつ、ぼくへ応えはじめている。
それが、たまらなく愛しかった。
ぼくはもう知ってしまっている。
このひとの奥にあるのが、ただの無貌の深淵ではないことを。
ニャルの夜のその下に、もっと黒く、もっとやわらかく、もっと痛みを抱えた核があることを。
抱えるための場所。
産むための場所。
そして、まだ癒えていない傷を、そのまま深く脈打たせているシュブの核。
知ってしまったのに、ぼくはなお、そこへ祈りを落とし続けてしまう。
「……すきで、すきで……どうしようも、なくて……っ」
声が掠れる。
涙と熱が喉に絡んで、うまく息ができない。
それでも、言葉を止めたくなかった。
好き。
好き。
好き。
それしかまだ持っていないみたいに。
でも、それだけではもう足りないと、胸のどこかではっきりわかっているのに。
指を絡めたまま、ぼくは何度もその名のない熱を差し出す。
祈りだった。
愛だった。
あるいはそのどちらでもある、まだうまく言葉になりきらないものだった。
その時だった。
かみさまの肩が、ふるり、と震えた。
ほんの小さな変化。
見落としてしまいそうなくらい微かな揺れ。
それなのに、ぼくにははっきりわかった。
いま、届いた。
ぼくの熱が。
ぼくの祈りが。
ぼくの「すき」が、凍ったままだった深淵のいちばん近いところへ、ちゃんと落ちた。
「……いま……」
喉が熱くなる。
息が止まる。
指先へ返ってくる、ごくわずかな力。
しっぽの揺れ。
羽根の微かな震え。
どれも小さくて、声ではないのに、だからこそ嘘がない。
「……いま、応えてくれた……?」
問いかけた声は、ほとんど泣き声だった。
期待するのがこわい。
勘違いだったら、また壊れてしまいそうで。
でも、もう疑えない。
かみさまの身体はたしかに、ぼくの祈りへ返事をしていた。
前みたいな、止まれなかった絶望の延長じゃない。
前みたいな、拒まれなかったことの痛みでもない。
いまここで、ぼくが差し出したものへ、ちゃんと返ってきた小さな応答。
それだけで、涙がいっきに溢れた。
「……すき……っ、すきです……っ……」
ぼくは泣きながら、何度も同じ言葉を落とす。
好き。
でも、もう、それだけじゃ足りない。
このひとの奥にある痛みも。
神格も。
傷も。
やわらかさも。
ぜんぶ知ってしまったあとでは、“好き”だけでは抱えきれない。
胸の奥で、ことばが変わる。
祈りが、形を変える。
恋が、もっと重い名を欲しがる。
そして、気づいた時には、もう、ぼくはその名前を胸の中だけのものにしていられなかった。
「……リコル……」
はじめて、その固有名が、声になる。
かみさま。
そう呼ぶたびに見上げていた遠い存在。
でも今は違う。
この痛みも、核も、女の子の部分も、深淵も、全部抱えたまま、ここにいてくれるひと。
リコル。
その名前を呼んだ瞬間、ぼくの中で何かが、取り返しのつかないくらい変わった。
喉が熱い。
涙でうまく息が継げない。
それでも、もう止めたくなかった。
「……愛してます……っ」
声が崩れる。
でも、たしかに言えた。
「……リコル……っ、ぼく……愛してます……っ……!」
ただの告白じゃない。
ただの恋じゃない。
痛みを知って。
神格を知って。
応えてくれないかもしれない絶望を知って。
それでもなお、祈りをやめられなかった、その先にようやく辿り着いた言葉だった。
声で返事は、まだ来ない。
けれど、もうよかった。
だって、今夜はもう、身体が先に答えてくれたから。
凍った深淵の内側から、たしかにリコルが、ぼくの祈りへ小さく触れ返してくれたから。
そのわずかな応答だけで、ぼくは泣きながら、何度でもこのひとを愛していけると思ってしまった。
絡めた指は、まだほどけない。
沈黙はまだ、深い。
それでもその沈黙の奥で、祈りはたしかに届いた。
だからぼくは、熱に濡れた声で、もう一度だけ、泣きながら囁く。
「……愛してます……リコル……」
その言葉は、もう以前の“好き”には戻れない祈りとして、白い部屋のいちばん深いところへ静かに沈んでいった。