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公爵様が別の令嬢に口づけしたので家出したら、王都の門を出る前に捕まりました

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/4/14 📚 シリーズ: 異世界恋愛ショートドラマ 📝 2,949文字 ✅ 全年齢

あらすじ

異世界恋愛ショートドラマ - 公爵様が別の令嬢に口づけしたので家出したら、王都の門を出る前に捕まりました

本文

「今夜中に、あの娘は切る」

 扉の向こうで、恋人の声がした。

 聞き間違えるには、低すぎて、冷たすぎた。

 私はその場で息を止めた。喉がきゅっと縮む。胸の真ん中に、薄い刃を差し込まれたみたいだった。しかも続けて見てしまったのだ。応接間の半開きの扉の隙間から、リオンが金髪の令嬢の手を取り、その甲に唇を落とすところを。

 はい、無理。

 無理です。終了です。

 昨日まで、あんなに「君だけだ」と言っていたくせに。私の髪を撫でる手つきで、私以外に触るなんて反則でしょう。しかも「切る」って何。恋人を。雑草みたいに。

 涙は出なかった。かわりに、頭が妙に冴えた。

 よし。じゃあ家出してやる。

 私は自室に駆け戻って、旅行鞄に必要最低限を詰めた。財布、下着、頑丈な靴、薬草ナイフ、日焼け止め、非常食の蜂蜜ビスケット。あと腹が立ったので、彼がくれたリボンは置いていく。いや、捨てるのは負けた気がするから机にきっちり畳んで置いた。礼儀は守る。悔しいけど。

 私は辺境伯家の末娘で、今は王都の公爵邸に住んでいる。表向きは公爵令息リオン・アルヴェーンの婚約者候補の一人――ではなく、薬草管理係だ。建前がひどい。実際には半年前から恋人だった。隠していたのは、彼の家格が高すぎるから。公爵家の次期当主と、辺境上がりの子爵にも満たない家の娘。釣り合わないなんて、私がいちばん知っている。

 知っていた、のに。

 裏口に回る途中、侍女のマルタが目を丸くした。

「セシリア様、その鞄は」

「家出」

「軽っ」

「重いと逃げにくいの」

「追われる前提なんですか」

「追ってこなかったら、そのときは泣く」

 言った瞬間、胸の奥がずきんとした。

 冗談のふりをしたのに、自分で刺さる。最悪だ。

 マルタは何か言いたげだったけれど、結局、小さくため息をついて銀貨を二枚握らせてくれた。

「南門は見張りが多いです。西門へ」

「好き」

「戻ってきたら一発ぶっていいですか」

「内容次第で」

 そして私は、本当に西門まで逃げ切った。

 行ける。いけるかもしれない。少なくとも王都を出て、温泉のある隣町で三日くらい傷心を煮込むことは可能だ。

 そう思ったところで、頭上に影が差した。

 嫌な予感って、当たる。

 見上げた空に、黒い翼竜。

「……うそでしょ」

 王都上空を私用で飛ぶな。税金か。いや公爵家の私費か。どっちでも腹立つ。翼竜は門の外の草地に降り、銀灰色の外套を翻した男が降りてくる。顔が良い。腹が立つくらい顔が良い。私の恋人、だった男――リオンだ。

「セシリア」

「来ないでください、裏切り者」

「その一言で済ませるには事情が多い」

「じゃあ長く苦しんでください」

 踵を返したのに、三歩で腕を取られた。強くない。けれど絶対に離さないつかみ方だった。手袋越しでも熱い。くやしい。覚えている。この指の温度。

「放して」

「放したらまた逃げるだろう」

「当たり前でしょう。恋人を切る男のそばになんていたくありません」

「……誰を?」

 彼の眉がぴくりと動く。演技ならアカデミー賞をあげたい。異世界にあるか知らないけど。

「聞きました。『今夜中に、あの娘は切る』って。しかもその直後に、金髪の令嬢に口づけまでしていた」

「甲にだ」

「部位の問題ですか!?」

「大問題だ。君へのものと同列にされては困る」

 顔が熱くなる。

 こういうところがずるい。責めているのに、平然と私の心臓を殴ってくる。

 でも、そこで流されるほど甘くない。今日は怒っているのだ。ちゃんと。

「じゃあ何ですか。説明してください」

「先に言う。切るのは君じゃない」

「じゃあ誰」

「私にしつこく縁談を持ち込んでいた、ハイルン侯爵家の令嬢だ」

「……は?」

 風が止まったみたいに、耳がしんとした。

 彼は私の手首をつかんだまま、低く続ける。

「今日、正式に断るつもりだった。あの令嬢の父親が、君の実家の借財を肩代わりにして縁談を押し込んできたから」

「え」

「君には言えなかった。君はきっと、自分のせいで家に迷惑がかかると思う」

 思うに決まっている。

 今この瞬間だって思っている。胃のあたりが冷たくなった。

「甲への口づけは、断りの前の社交儀礼だ。向こうが最後の面談を望んだ。君に誤解される可能性は考えたが、まさか家出するとは」

「しますよ! 恋人の声で『切る』なんて聞いたら!」

「だから誰を切る話なのか確認してから逃げろ」

 もっともで腹が立つ。

 私は黙り込んで、視線をそらした。草の匂いがした。夕方の風が頬に冷たい。

 リオンの指先が、つかむ力を少しだけ緩める。

「……それと、もうひとつ」

「まだあるんですか」

「今夜、父に話すつもりだった」

 心臓がどくんと鳴った。

 嫌な予感と、期待は、似た場所を刺す。

「何を」

「君を薬草管理係としてではなく、私の伴侶候補として迎えたいと」

 息が、今度は別の意味で止まる。

 目の前が少し白くなった。さっきまで怒っていたのに、そんなの卑怯だ。順番が悪い。最悪だ。

「……でも、私は辺境の娘で」

「知っている」

「公爵家にはもっと相応しい方が」

「知っている」

「なのに?」

「それでも君がいい」

 短く、断ち切るように言われて、胸の奥がぐらついた。

 この人はこういうときだけ、信じられないくらいまっすぐだ。

「君が私の屋敷の薬草庫を勝手に並べ替えたときから、ずっと面倒だった」

「告白の語彙がひどい」

「面倒なくらい目で追った。面倒なくらい他の男に腹が立った。面倒なくらい、君がいない部屋は静かすぎる」

 笑いそうになるのに、先に涙がにじんだ。

 悔しい。さっきまで家出する気満々だったのに。

「セシリア、君はよく自分から逃げる。家格からも、好意からも」

「……逃げたのは今、あなたからです」

「追った」

 即答だった。

 その一言が、いちばん効いた。

 私は唇を噛んだ。泣き顔なんて見せたくないのに、視界がもうだめだ。ぼやける。ほんとうに、ほんとうにずるい。

「すぐ自分のものにするみたいに言わないでください」

「しない」

 彼ははっきり言った。

 そのあと、珍しく少しだけ困った顔をする。

「だから追いついた今、改めて頼む。今夜だけでも戻って、私の話を最後まで聞いてほしい。父への話も、君の家への手当ても、全部建前なしで説明する」

「……それは、命令?」

「懇願だ」

 公爵令息がそんな顔をするのは反則だ。

 しかも往来の外れ、夕暮れの草地で。翼竜まで黙って見ている。なんなのこの状況。逃亡劇の締めとして絵面が強すぎる。

 私は鼻をすすって、彼の外套の裾をつまんだ。

「三つ条件があります」

「言って」

「ひとつ、もう聞き間違えそうな言い方をしない」

「努力する」

「ふたつ、別の令嬢の手に口づけするなら先に私に許可を取る」

「それは二度とない」

「みっつ――」

 ここで急に喉が詰まった。

 言いたいのに、恥ずかしくて、声が裏返りそうになる。

「みっつ?」

「……追いかけてくるなら、最後までにしてください」

 リオンが目を見開く。

 次の瞬間、どうしようもなく甘い顔で笑った。

「最初からそのつもりだ」

 それから彼は、いきなり抱きしめたりはしなかった。

 ただ、私の震えていた指先を、自分の手袋の中にそっと包んだだけだ。帰り道のあいだじゅう、離さずに。

 王都の門が夕焼けの中で赤く見えた。

 家出は失敗。完全敗北。けれど少なくとも、捕まったのは檻に戻されるためじゃない。

 隣に戻るためだ。

 あとでマルタには一発ぶたれた。

 内容次第と言ったから、約束どおりである。

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うえはらゆうり

うえはらゆうり

日経ダブルベアで大損し続ける逆張り地獄

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