五年ぶりの再会は最悪
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あらすじ
異世界恋愛ショートドラマ - 五年ぶりの再会は最悪
本文
白手袋の男が、微笑んだ。
鏡のように磨かれた舞踏会の床に、何百ものシャンデリアが映りこんでいる。その中心で、彼はリディア・ヴァレニアの手を取り、完璧な角度で頭を下げた。
「一曲、よろしいでしょうか」
リディアは一瞬だけ、その顔を見つめた。
美しい。知らない人間が見れば、間違いなくそう思う。癖のない金髪、切れ長の灰色の目、礼儀作法の教科書から抜け出たような所作。
「……ありがとうございます」
口では言いながら、爪先が床を噛んでいた。帰りたかった。もう帰りたかった。
でも、帰れない理由があった。
五年前から、ずっとある。
**
最悪。
喧嘩別れをした。
春の王宮は、夜になると残酷なくらい綺麗だ。
白金の燭台。磨き上げられた床。笑いさざめく貴族たち。花の香り。香水。楽団の弦。
なのに、リディア・ヴァレニアの胸の中だけは、ひどく騒々しかった。
「――背、伸びたな」
柱の陰でそう言った男の声は、昔と同じで、少し低くなっただけだった。
銀灰の礼装。夜色の髪。すました横顔。
五年前、隣領へ発つ日に『二度と泣くな、泣き虫』と言い放って去った幼馴染、アシュレイ・クロフォード。王都帰りの公爵家嫡男。いまや近衛騎士団の若き副隊長。腹立たしいことに、驚くほど見目がいい。
そしてリディアは、その顔を見た瞬間、思ったのである。
あ、だめ。
これ、好きだ。
以上、説明は長くなったが、一目惚れである。轟沈。内心でだけ。
「あなたは相変わらず失礼ね」
「そうか? 昔はもっと小さくて、よく木から落ちてた」
「人の黒歴史を挨拶代わりに掘り返す男に、礼儀を説かれる筋合いはないわ」
「黒歴史じゃない。あれは見事だった。枝を折って池まで落ちた」
「忘れなさい!」
「無理だな。泥だらけで俺に噛みついてきた顔、今でも覚えてる」
かあっ、と頬が熱くなる。恋のせいではない。断じてない。羞恥と怒りである。たぶん。
せっかく、せっかく五年ぶりに会ったのに。少しくらい、こう――「会えてよかった」だの「綺麗になった」だの、あるでしょう普通!
「……もう結構ですわ」
リディアは扇を閉じた。
「あなたと話していると、昔の傷まで疼くもの」
「リディア」
「どうせアシュレイ様にとっては、昔の喧嘩相手の一人でしょう」
言ってしまってから、喉が焼けた。
彼が何か言いかけた気配。けれどリディアは見なかった。見たら負ける気がしたからだ。淑女らしからぬ速度で踵を返し、その場を去る。
逃げた。
完敗である。
広間へ戻れば、音楽は華やかで、笑顔は眩しくて、誰も彼も幸福そうだった。
自分だけが間抜けだ。五年ぶりに再会した男に勝手にときめいて、勝手に傷ついて、勝手に怒っている。
ばかみたい。
……どうせあいつだって、こっちのことなんてどうでもいいんだろうし。
そう思って、諦めることにした。
「お顔の色が優れませんね、お嬢さん」
す、と差し出された手袋の白い手。
見上げれば、蜂蜜色の髪を綺麗に撫でつけた、見知らぬ貴公子が微笑んでいた。柔らかい声。非の打ち所のない礼装。いかにも王都らしい洗練。
「よろしければ、次の曲を」
「……ええ」
断る理由はない。リディアは一瞬だけ、広間の端を見た。
ちょうどアシュレイが、侯爵令嬢に話しかけられているところだった。涼しい顔。こちらなど見ていない。
胸の奥で、何かがむっと膨れた。
よろしい。踊ってやろうじゃないの。
「光栄ですわ」
差し出した指先を取られた瞬間、相手の目が細くなった。
獲物を見つけた獣のように――見えた気がして、リディアはほんの僅かに眉を寄せる。
だが曲が始まれば、男の足取りは完璧だった。会話も上手い。辺境の気候、王都の流行、宝飾の話。淑女を退屈させない程度に、踏み込まない程度に。
それでも、胸はちっとも弾まない。
違う。
こんなのじゃない。
指先を取られたときに熱くなるのは。
少し乱暴にエスコートされて腹が立つのに安心するのは。
無愛想なくせに、階段ではさりげなく人波から庇ってくるような、ああいう男に対してだけだ。
曲が終わった瞬間、リディアは笑みを作った。
「素敵でしたわ。でも、少し風に当たりたくて」
「では、庭園への回廊までお送りします」
断る隙がない。
しまった、と思った時には、男の指がもう肘を取っていた。
夜風の通る硝子回廊は、広間の喧騒から切り離された別世界だった。
月。白い花。細長い影。
その真ん中で、男はぴたりと歩みを止めた。
「――ヴァレニア辺境伯令嬢。あなたが今夜持っているはずだ」
「何を」
「北門の封鎖符だよ」
ぞくり、と背が冷えた。
父から預かっていた小さな封蝋筒。舞踏会の後、王弟殿下に渡す予定のもの。たしかに、ドレスの隠しポケットにある。
なぜ知っている。
リディアが一歩退くより早く、男の笑みが剥がれた。
ぬるり、と。
「声を上げるな」
低い声。腕を引かれる。壁。息が詰まる。
次の瞬間、手袋越しの掌が口を塞いだ。
「……っ!」
冗談ではない。悲鳴を上げようとしても、喉が潰れる。相手の力は強い。回廊の端には、いつのまにか黒衣の影が二つ。
敵国の紋。見覚えがあった。辺境で何度も報告を受けた徽章だ。
(終わった)
頭が真っ白になる。
違う、終われるわけがない。父も、領地も、こんなところで。
涙が滲んだ。悔しい。怖い。息ができない。
誰でもいい、と思った。いや、嘘だ。
来て。
来なさいよ、ばか。
「ん、――ッ、た、す……!」
塞がれた口の端から、掠れた声が零れた、その時。
ガシャアアアンッ!
耳をつんざく破砕音。
頭上の大窓が一面、星みたいに砕け散った。
降ってきたのは月光ではない。
黒い外套。銀の剣。見慣れた、不機嫌な顔。
「その手を離せ」
アシュレイだった。
男が舌打ちし、リディアを盾にしようと腕を引く。
だが、その前にアシュレイが床へ着地する。砕けた硝子を蹴り、踏み込み、迷いなく剣の柄で男の手首を打った。
骨の鳴る音。悲鳴。口元が解放される。
息を吸った瞬間、腰が抜けた。
けれどアシュレイの腕が先に伸びる。乱暴なくせに、絶対に落とさない抱え方で、リディアを背へ庇った。
「遅い!」
涙声のまま、リディアは叫んだ。
「もっと早く来なさいよ!」
「無茶を言うな。おまえ、わざと怪しい男に釣られただろ」
「そんなわけないでしょう!」
「だったらせめて俺を見ろ。三曲ぶん追いかけた」
「はあ!?」
言い返す間にも、黒衣の一人が短剣を抜いた。
アシュレイはリディアを片腕で抱えたまま、もう片手の剣で相手の手首を払う。金属音。火花。回し蹴り。とどめに肩で突き飛ばす。二人目が逃げようとしたところへ、回廊外から近衛がなだれ込んだ。
「副隊長!」
「生かして捕えろ!」
あっという間だった。
さっきまでの恐怖が、遅れて膝を震わせる。リディアは自分のドレスの裾を握り、ふらついた。
その手首を、アシュレイが掴む。
「帰るぞ」
「命令しないで」
「命令じゃない。頼んでる」
「……そういうの、ずるいのよ」
近衛たちに囲まれ、二人は人気のない小広間へ移された。
扉が閉まる。
静か。途端に、鼓動の音ばかり大きくなる。
アシュレイはようやく息をついて、額に散った硝子片を払った。血が一筋、こめかみを伝う。
リディアは反射で一歩寄る。
「怪我してるじゃない」
「かすり傷だ」
「窓を割って飛び込む馬鹿がある!?」
「おまえが泣いてた」
「……っ」
それは卑怯だ。
そんな声音、昔は知らない。
アシュレイは少しだけ目を伏せ、それから苦い顔で笑った。
「五年前から、ずっと後悔してた」
「何を」
「最後に言った言葉だ。二度と泣くな、なんて」
静かな声だった。
「泣かせたかったわけじゃない。俺が王都へ行くのが、たぶん一番つらかったのはおまえなのに、あの時の俺は格好つけて、最低なことを言った」
リディアは息をのむ。
彼は続けた。
「今夜も同じだ。綺麗になった、会いたかった、そう言えばよかったのに。昔の話でからかって、怒らせて」
「本当に、最悪」
「ああ。知ってる」
「侯爵令嬢と楽しそうにしてたくせに」
「任務だ」
「……え」
「今夜、辺境伯家を狙う間者が入ると掴んでいた。だから離れたくなかったのに、おまえが俺を見限る顔をするから」
どくん、と胸が鳴る。
先に傷ついたのは自分だと思っていた。たぶん違った。少なくとも、片方だけではなかった。
「どうせ私のことなんて、と思ったのよ」
「俺は逆だ」
アシュレイは一歩近づく。
「どうせおまえは、昔みたいに俺を嫌ってると思った」
嫌っているものか。
そんなこと、さっき一目見た瞬間に全部終わっていた。
でも、悔しいから、すぐには言わない。
「……バッカじゃないの」
「知ってる」
「五年ぶりなのに、喧嘩しかできないし」
「お互い様だ」
「助けに来るなら、最初から優しくすればよかったのよ」
「それは無理だな」
「なによ」
「優しくしたら、たぶん今より先に我慢がきかなくなる」
リディアの呼吸が止まる。
その沈黙の隙に、アシュレイの手がそっと頬へ触れた。戦いのあとの、少し荒れた指先。なのに震えるほど丁寧だ。
「今すぐ婚約を申し込む気はない」
低く、はっきりと言う。
「おまえが怯えるような真似もしたくない。だから建前を使う。今夜の件で、しばらく俺が辺境伯家の護衛責任者になる」
「……建前、ずるいわね」
「本音は、近くにいたい」
心臓が、もうだめなくらい忙しい。
笑うしかない。泣きそうなくらい。
「その言い方、ずるい」
「おまえが先に言え」
「嫌よ」
「じゃあ、これは喧嘩の続きだ」
そう言って、彼は唇を寄せた。
短く。けれど、逃げ道のない口づけだった。
リディアは目を見開き、それから胸元を拳で叩いた。
「ほんとうに、バッカじゃないの!」
「やっと同意してくれたな」
「してない!」
「じゃあ次は、同意をもらってからにする」
「次がある前提なの!?」
「ある。護衛責任者だからな」
建前の盾を掲げた顔が、少しだけ赤い。
それが可笑しくて、愛しくて、リディアはとうとう吹き出した。
泣き笑いのまま見上げれば、割れた窓の向こうに夜の星。
最悪の再会だった。喧嘩もした。攫われもした。たぶん明日も口論する。
けれど、もう知っている。
助けを求めた時、本当に来るのはこの人だ。
「アシュレイ」
「なんだ」
「今度、昔の話でからかったら――」
「からかったら?」
「もう一枚くらい、ガラスを割らせるわよ」
彼は一瞬きょとんとして、それから声を立てて笑った。
五年ぶりに聞く、ちゃんと嬉しそうな笑いだった。
春の王宮の夜は、まだ終わらない。
けれどたぶん、幼馴染の喧嘩には、ようやく続きができたのだ。
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