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辺境伯の屋敷に転がり込んだら、追い出されるはずが追いかけられた件

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/4/18 📚 シリーズ: 異世界恋愛ショートドラマ 📝 3,517文字 ✅ 全年齢

あらすじ

異世界恋愛ショートドラマ - 辺境伯の屋敷に転がり込んだら、追い出されるはずが追いかけられた件

本文

「出ていけ」

 第一声がそれだった。

 扉を開けた瞬間、顔も見ずにそう言われた。私はまだ、荷物を両手に抱えたまま玄関に立っていた。

「えーと」と私は言った。「初めまして?」

「出ていけと言った」

「聞こえてます。でも出ていきません」

 沈黙。

 辺境伯ゼファー・ドルンハルト、二十九歳。北の最果て、霧の山脈を背負った屋敷の主。黒い軍服のまま書類を持って廊下に出てきた彼は、私を見て、明確に顔をしかめた。

 私はルナ、二十二歳。元・王都の仕立て屋の娘。転生チート能力ゼロ。でも腕力だけは前世の体育会系が残っていて、荷物を両手に抱えたまま一時間歩いてきた。

「あなたの父親から、あなたの世話係として派遣されました」

「父は死んでいる」

「……あ」

「十年前に」

「……失礼しました、では——誰の指示で?」

「知りません。出ていけ」

「荷物が重いので、とりあえず中に入れてください」

 私は返事を待たずに扉を抜けた。

「おい」

「はい」

「今、勝手に入ったぞ」

「気づいてました」

 ---

 なぜこうなったかというと、三日前に婚約破棄された。

 相手は王都の商会の御曹司で、理由は「もっと上の縁談が来た」。それだけ。五年間の約束が、それだけで終わった。

 呆然としていたら、幼馴染のアルマが「北の辺境伯が家政婦を募集してる、気分転換に行ってきたら」と求人票を押し付けてきた。

 私は次の日、荷物をまとめて馬車に乗っていた。

 失うものが何もないと、人間は意外と行動が早い。

 ---

 屋敷の中は、ひどかった。

 ひどい、とは汚いのではなく——人の気配がなかった。広い。広すぎる。家具は上等で、埃もない。でも、生活の音がしない。温かい匂いがしない。

「使用人は?」

「いない」

「全員?」

「全員」

「なぜ」

「うるさいから」

 なるほど。そういう人か。

「わかりました。では私が全部やります」

「断る」

「でも求人票には——」

「撤回した」

「撤回する前に来ました」

 ゼファー様はこめかみを押さえた。

「……頑固だな」

「婚約破棄の翌日に辺境まで来た女ですよ。今更です」

 言ってしまった。

 彼の目が、一瞬だけ止まった。

「……婚約破棄」

「聞かなかったことにしてください」

「聞かなかったことにはできない」

「できます。耳に蓋をしてください」

「そんな蓋はない」

 口が達者だ、この人。

 ---

 その日から、なんとなく居座ることになった。

 ゼファー様は毎朝「出ていけ」と言った。私は毎朝「はい」と返事だけして、朝食を作った。

 彼は最初の三日間、食堂に来なかった。でも朝食の皿は、毎回空になって台所に戻ってきた。

 食べてるじゃないか。

「おいしいですか」と聞いたら、「普通だ」と言われた。

「普通においしい、という意味ですか」

「普通だと言った」

「ありがとうございます」

「褒めていない」

「受け取りました」

 彼は書類に目を戻した。耳の先が、少しだけ赤かった。

 見えてますよ、それ。

 ---

 二週間が過ぎた頃、問題が起きた。

 王都から手紙が届いた。差出人は——元・婚約者の御曹司。

 内容は、「やっぱり縁談がダメになった、戻ってきてほしい」。

 私は台所でそれを読んで、五秒考えて、薪ストーブに入れた。

「何を燃やした」

 背後でゼファー様の声がした。

「手紙です」

「誰からの」

「元・婚約者から」

 沈黙。

「……内容は」

「聞きますか?」

「聞かない」

「燃やしたので読めません」

「そうか」

 彼は台所の入り口に立ったまま、動かなかった。珍しい。いつもは用があれば言い捨てて去るのに。

「戻らないのか」と、彼は言った。

「戻りません」

「なぜ」

「煮炊きしてしまった後なので」

「料理の話ではないだろう」

「……わかってます」

 私は鍋をかき混ぜた。

「五年一緒にいて、上の縁談が来たら即切られる男のところに、戻る理由がありません。それだけです」

「強いな」

「強くないです。ただ——ここが居心地いいので」

 言ってから、しまったと思った。

 彼は何も言わなかった。でも、台所から出なかった。

 夕飯の間中、ずっとそこに立っていた。

 ……何してるんですか、あなた。

 ---

 一ヶ月が経った頃、王都からアルマが訪ねてきた。

「リリちゃん! 元気? ちなみに辺境伯様ってどんな人——」

 アルマは玄関で固まった。

「……誰だ」

 ゼファー様が、玄関でアルマを迎えていた。

「えっ、あの、リリの幼馴染で——」

「ルナなら今、屋根の修繕中です」

「……屋根?」

「北側の瓦が二枚ずれていたので、登ると言い張った。止めたが聞かなかった」

「……あの子相変わらず……」

 私が屋根から降りてくると、アルマがすごい顔で私を見ていた。

「ねえリリ、なんか、辺境伯様が普通に家の説明してくれたんだけど」

「そうでしたか」

「『止めたが』って言ってたよ? 心配してたってことだよね?」

「……深読みです」

「あとなんか私のことジロジロ見てたんだけど」

「客人だから確認したんでしょう」

「リリのことが心配で確認したんじゃないの?」

「違います」

「……絶対違わないよ」

 ---

 アルマが帰り際、ゼファー様に言った。

「ルナ、王都でお嫁さんの話が来てますよ。御曹司より家格も上の方で。どうするか迷ってるみたいで——」

 私の背骨が、ぴんと伸びた。

 アルマ。お前は何を言っている。

「へええ」とアルマは続けた。「辺境まで来ちゃったから断りにくいって言ってましたけど、返事次第ではすぐ王都に戻るかもですよ! 辺境伯様さえよければですけど!」

 ゼファー様は、何も言わなかった。

 ああ、やっぱり何も言わないか。そりゃそうだ。私はただの自称家政婦で、求人を無視して転がり込んだだけで——

「断れ」

 低い声だった。

「……え?」アルマが目を丸くした。

「その縁談は断れ、と言った」

「え、あ、でも、えっと——理由は?」

 ゼファー様はアルマから私に視線を移した。

「屋根を修繕できる嫁が、そうそういると思うか」

「……それ、理由になってますか!?」

「なる」

「ならないと思います!!」

 私は思わず叫んだ。

「じゃあ別の理由がある」

「聞かせてください」

「……毎朝の飯が、普通以上においしい」

 ……それ一ヶ月前も「普通だ」って言いましたよね!!

「それだけですか!?」

「それだけじゃない」

「じゃあ言ってください!!」

 彼は少しの間、私を見ていた。アルマが固唾を飲んでいた。馬車の御者も固唾を飲んでいた。

「……お前が燃やした手紙の内容を、私は三日間気になって眠れなかった」

 場が静止した。

「辺境伯様!!」アルマが叫んだ。「それ告白じゃないですか!!」

「違う」

「どう聞いても告白です!!」

「心配していただけだ」

「心配も告白の一種です!!」

「うるさい」

「うるさくない!!」

 私は今、どういう顔をしているのか自分でわからなかった。顔が熱い。背中も熱い。

「……あの」と私は言った。

「なんだ」

「三日間、眠れなかったんですか」

「……そうは言っていない」

「言いました。今」

 彼は視線を逸らした。今度は耳だけじゃなく、首まで赤かった。

 この人、そういう人だったのか。

「ゼファー様」

「なんだ」

「縁談、断ります」

「そうしろ」

「でも」

「でも?」

「理由がほしいです。屋根修繕と飯以外の」

 長い沈黙。アルマが祈るような顔をしていた。

「……いなくなると、困る」

「もう少し具体的に」

「うるさい奴だ」

「教えてくれるまで聞きます」

「……朝、台所から音がしないと——」

 言いかけて、止まった。

「なんですか」

「……起きる気がしない」

 アルマが天を仰いだ。私も少し天を仰いだ。

「それ、私がいなくなると困るってことですよね」

「そう言った」

「……わかりました」

「断るか」

「断ります。縁談を」

「……そうか」

「でも」

「また『でも』か」

「条件があります」

 彼の眉が上がった。

「……条件」

「私をちゃんと口説いてください。屋根修繕と飯と、眠れなかった話だけじゃ、王都の縁談断る理由として弱い」

「……今、断ると言ったばかりだろう」

「断ける理由が欲しいんです。胸を張って」

 また沈黙。

 ゼファー様は深く息を吐いた。

「……面倒くさい女だ」

「ありがとうございます」

「褒めていない」

「受け取りました」

 彼はしばらく黙って、それから、

「今夜、食堂で飯を食う」

 と言った。

「はい」

「一緒に、食う」

「……はい」

「それで足りるか」

 私は少し考えた。

「今夜は足りません。でも始まりとしては、十分です」

 アルマが後ろで小さくガッツポーズをしていた。

 御者も小さくガッツポーズをしていた。

 ゼファー様はそれを見て、深く、深く、ため息をついた。

 ---

 その夜の食卓は、二人だった。ゼファー様は無口で、私は少し喋りすぎた。でも最後に、「明日も作れ」と言われた。

 明日も、という言葉の重さを、私はしばらく噛んでいた。

 これが求婚なのかどうかは、まだわからない。でも——たぶん、そういう方向に向かっている。

 向かっていると、信じることにした。

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うえはらゆうり

うえはらゆうり

日経ダブルベアで大損し続ける逆張り地獄

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