冷血騎士は呪われ令嬢を夜ごと甘やかす
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あらすじ
異世界恋愛ショートドラマ - 冷血騎士は呪われ令嬢を夜ごと甘やかす
本文
リゼット・ノエルは二十二歳。王宮薬草局に勤める、地味で、真面目で、少しだけ意地っ張りな娘だ。淡い金茶の髪はきっちり結い上げ、帳簿の角もきっちり折る。けれど彼女には、きっちりでは済まない秘密がひとつだけあった。
月が高く昇る夜だけ、彼女の肌に呪いが咲く。
白い花の紋様が鎖骨から手首へと這い上がり、触れた相手の熱を静かに奪う。軽ければ悪寒。重ければ失神。だから恋など論外、甘い夢すら胸の奥で凍らせたまま、ずっと生きてきた。
そんな彼女の前に、ある日、戦地から帰った男が現れる。
アシュレイ・ヴァンハルト。二十七歳。王国最強と謳われる近衛騎士団長。黒髪、灰青の瞳、長身、無表情。人の奥まで刺し貫くような眼差しのくせして、まったく笑わない。冷たい。怖い。そのくせ、王都中の令嬢がため息をつくくらい、息を呑むほど美しい。
その男が、王命でリゼットの専属護衛になった。
「……なぜ私に護衛が必要なんですか」
「必要だからだ」
「説明になっていません」
「説明すると、逃げるだろう」
「逃げません」
「では言う。——君の呪いを狙う連中がいる」
いきなり核心。ずばっと。容赦なし。心臓に悪い。
王宮の奥、誰もいない回廊で告げられた真実に、リゼットは息をのんだ。自分の呪いが、古い封印を開く鍵になるらしい。だから保護と監視を兼ねて、最強の騎士が付けられた。そういう話だ。
「監視、ですか」
「そう受け取ってもらって構わない」
あまりにも冷たい言い方だったので、胸がじわりと痛んだ。ああ、この人は本当に仕事として来たのだ。
そう思った瞬間だった。
アシュレイの手が、すっと彼女の頬に触れた。
びくっと肩が跳ねる。昼なのに。人前でもないけれど、こんなに当然みたいに触れてくる人なんて、いなかった。
「顔色が悪い」
「さ、触ると危ないです」
「私には効かない」
低い声が、耳の奥まで静かに落ちてくる。彼の掌は大きくて、少し硬くて、びっくりするほど温かかった。ひんやりしがちな頬が、その一点からじわりと溶けていく感覚に、息が詰まりそうになる。
「な、なぜ効かないんですか」
「あとで話す」
「いま話してください」
「君は動揺すると早口になるな」
「誰のせいですか!」
言い返したのに、アシュレイの口元がほんの少しだけ緩んだ。ほんの少し。幻みたいに。けれど確かに、笑った。
その表情が、リゼットの胸に小さな針を刺した。
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その夜。呪いが発現した。
月明かりがレース越しに差し込み、白い紋様が彼女の肌にじわじわと浮かび上がる。喉の奥が熱いのに、指先だけが冷たい。慣れているはずなのに、いつまでも慣れたくない夜だ。
扉が叩かれた。
「入る」
「ちょ、待っ——」
待てないのがアシュレイだった。入ってきた。しかも寝巻きにガウン姿のリゼットを見るなり、眉ひとつ動かさず扉を閉め、鍵まで掛けた。
「……団長さま?」
「叫ぶと余計に息が乱れる」
「そういう問題じゃありません!」
白い紋様はもう肩まで咲いている。見られた恥ずかしさで、呪いとは別の熱が顔に昇る。なのに彼はまっすぐ近づいてきて、ベッドの端に腰を下ろすと、苦しむ彼女の手を両手で包んだ。
「ゆっくり息をしろ」
「あなた、近い……」
「抑えるにはもっと近くないと足りない」
言うなり、彼は彼女を抱き寄せた。
広い胸板。硬い腕。鎧も剣もないのに、逃げ場のない安心感だけがある。耳もとに落ちる呼吸が一定で、落ち着けと命じる代わりに、その体温でそう教えてくる。
とく、とく、とく。自分の鼓動がうるさい。うるさくて、恥ずかしくて、でも離れたくなかった。
「……どうして、平気なんです」
「君の呪いと相性がいい」
「ざっくりしすぎです」
「詳しく話すと今夜は眠れなくなる」
「もう眠れません」
半分泣きそうに言うと、アシュレイは彼女の額に唇を押し当てた。
ちゅ、と音がした。軽い。軽いのに、信じられないほど甘い。
「なら、眠くなるまでこうしている」
そのまま髪を撫でられる。すく、すく、やさしく梳かれるたび、ひどかった痺れがほどけていく。冷酷だと噂の男が、暗い部屋で、誰にも見せない手つきで、まるで壊れものみたいに自分を抱いている。
だめだ。こんなの、好きになる。
思った瞬間、彼の腕がわずかに強くなった。
「……私から離れるな、リゼット」
「命令ですか」
「そうだ」
「ずるい言い方」
「ああ。知っている」
冷たいはずの騎士は、月の下でだけ、誰より熱かった。
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第二章 月夜の護衛は距離感がおかしい
翌朝から、リゼットの日常は静かに崩壊した。
出勤すれば、アシュレイが後ろにいる。薬草庫へ向かえば、扉の外に立っている。重い薬瓶を持てば「貸せ」と横から奪う。昼食のパンをかじろうとすれば、なぜか副菜が増えている。いつのまに。誰が。どうやって。
「監視では?」
「護衛だ」
「昨日は監視って」
「気が変わった」
「そんな軽さで変わるんですか」
「君の世話は思ったより手がかかる」
失礼だ。失礼なのに、彼が朝からわざわざ温かいスープを持ってきた事実のせいで、怒りがふにゃっと弱くなる。悔しい。
しかも彼は、人前では徹底して冷たい。
薬草局の同僚たちに「団長さまって怖いわね」と囁かれ、リゼットは曖昧に笑うしかない。だってその本人は、さっき廊下の陰で彼女の髪に絡んだ乾燥花びらを取るついでに、耳の裏を親指でなぞってきたのだ。ぞく、と背筋が震えて、その場でしゃがみこみたくなるくらい。
「……やめてください」
「何がだ」
「わかってやってますよね」
「さて」
さて、じゃない。絶対わかってる。わかってて、やってる。意地悪だ。
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昼下がり、王宮図書棟へ薬品を届けた帰り道だった。人通りの少ない渡り廊下で、いきなり男たちに囲まれた。貴族服だが、目つきが悪い。香水の甘ったるさに混じって、鉄の匂いがした。
「ノエル嬢、少し同行を」
「お断りします」
「あなたの血と呪いには価値がある」
背筋が凍る。次の瞬間には、もっと冷たい声が落ちた。
「私の護衛対象に、汚い手で触れるな」
アシュレイだった。
空気が変わる。ぴしり、と音がした気がした。彼が剣を抜いたわけでもないのに、男たちの顔色が一気に青くなる。怖い。味方なのに怖い。でも、その恐ろしさが今は頼もしい。
一人が飛びかかり、アシュレイの腕がぶれた。終わり。ほんの一瞬。あっけない。強すぎる。反則だ。
けれど最後の一人が、リゼットの腕を掴んだ。
ぞわり、と呪いが反応する。
「やっ……!」
白い紋様がぱっと咲き、相手の熱を奪いかけた、その前に。アシュレイが彼女を奪い返し、自分の胸へ押し込んだ。
「見るな」
「でも——」
「私だけ見ていろ」
低く言われて、息が止まる。そんな場面じゃないのに。そんな台詞じゃないのに。心が、ばかみたいに跳ねる。
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騒ぎのあと、彼は無傷のまま、彼女だけを中庭の温室へ連れていった。ガラス越しの春光がやわらかい。誰もいない。花の匂い。静かな密室みたいな空間で、アシュレイはようやく手袋を外し、彼女の指先に口づけた。
一度。二度。薬指に、爪の先に、祈るみたいなキスが落ちる。
頭が真っ白になる。近い近い近い。美形が。冷血騎士が。昼間の温室で。そんな丁寧に、そんな大事そうに。
「アシュレイさま……?」
「泣きそうな顔をするな」
「してません」
「ではこれは何だ」
彼の指が目元を拭った。知らないうちに零れていた涙を、まるで宝石でも掬うみたいにそっと拭う。
「君が無事でよかった」
「……そういうこと、外では言わないのに」
「外で言う必要はない」
灰青の瞳が細められる。ああ、またこれだ。二人きりのときだけ、声が低く、熱っぽく、甘くなる。独り占めしたくなるような顔をする。
「君にだけ伝わればいい」
そんなの反則だ。乙女の理性に悪い。全力で悪い。
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その夜、再び呪いが出た。昨日より強い。不安に煽られ、紋様は胸元近くまで広がった。
アシュレイは無言でベッドに上がり込み、背中から抱きしめてきた。
「きゃっ」
「静かに。鎮まるまで数える」
「近いです」
「知っている」
「心臓が……」
「私もだ」
耳元に囁かれたひと言で、思考が吹き飛んだ。
彼の手が彼女の指のあいだに入り、きゅ、と絡む。背中にぴたりと押しつけられた体温が熱い。首筋に触れる吐息がくすぐったくて、ぞわぞわするのに、怖くない。もっと触れてほしいと思ってしまう自分が怖い。
「リゼット」
「……はい」
「私以外に触れられるな」
「命令、ですか」
「懇願だ」
その声音があまりに真剣で、胸がぎゅうっとなった。冷酷なはずの人が、こんなふうに言葉の端を震わせるなんて。
彼の唇が、今度はこめかみに落ちる。次に頬。最後に、目を閉じた彼女の睫毛の際へ、触れるだけのキス。甘い。甘すぎる。溶ける。呪いより先に、自分が駄目になる。
引き離された夜ほど、抱きしめられた記憶は、やさしくて残酷だ。
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第三章 護衛失格、なのに恋だけ加速する
護衛解除は、建前だった。
実際にはリゼットを王宮北塔へ隔離し、外との接触を絶つための処置だ。名目は保護。中身は拘束。窓は細く、空は狭い。春なのに、息が詰まるほど寒い。
アシュレイは来ない。
来られない。来てはいけないのだろう。そう思って耐えた一日目の夜。窓の外で、かすかな音がした。ことり。続いて、するりとカーテンが揺れる。
まさかと思って振り返れば、月明かりの中に黒い影が立っていた。
「侵入ですか」
「救出だ」
「同じです」
「君がそういう顔をしているなら、何と呼んでも構わない」
アシュレイだった。黒装束。窓から入ってくる近衛騎士団長。どう考えても始末書案件だ。なのに彼はまったく動じず、最初にしたことは、彼女の頬に触れることだった。
「痩せた」
「一日です」
「私には長かった」
胸がきゅっと縮む。会いたかった、なんて言えない。言わなくてもたぶん、顔に書いてある。彼はわずかに息をつき、次の瞬間、強く抱きしめてきた。
ぐい、と。遠慮なし。けれど乱暴ではない。待ち続けた分だけ一気に埋めるみたいな抱擁だった。
「会いたかった」
「……」
「返事は」
「ずるいです」
「知っている。返事は」
「……わ、私も」
言った瞬間、首筋に顔を埋められた。熱い。熱い熱い。しっとりした夜気の中、彼の呼吸だけがやけに鮮明で、耳まで赤くなるのが自分でわかる。
「リゼット」
「はい」
「今すぐ連れ出したい」
「でも、あなたの立場が」
「君がいないほうが、私の立場など価値がない」
そんな重い愛を真顔で言う人があるか。あるのだ。ここに。しかも普段は誰より冷たい顔をしている男が、二人きりになるとこんなことを言う。心臓がもつわけがない。
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彼は懐から小さな銀鎖を取り出した。先に古い紋章のついた指輪が通っている。
「これを知っているか」
「……幼い頃、持っていた護符の紋と同じ」
「そうだ」
そこでようやく、すべての違和感が繋がった。彼の手袋の下にある痕。呪いが効かない理由。熱にうなされ、森で倒れた幼いリゼットを救った、名前も知らない少年。
「あの日、君の呪いは暴走しかけていた。半分を私が引き受けた」
「……え」
「だから効かない。だから、最初から私だけは触れられた」
世界が静かにひっくり返る。
彼は昔から知っていた。昔から守っていた。なのに何も言わず、仕事みたいな顔でそばにいたのだ。
「どうして黙って……」
「言えば、君は私を選ぶ理由にしてしまう」
「選びますよ、そんなの……!」
「だろうな。だから黙った」
あまりにも彼らしい不器用さに、泣き笑いになった。ひどい。優しい。ずるい。全部ひどい。
彼は涙を拭い、唇を重ねる寸前で止まった。触れそうで触れない、焦れる距離。目が合う。時間が止まる。
「……して、いい」
「聞くんですか、いま」
「君には全部聞く」
「じゃあ……してください」
次の瞬間、口づけが落ちた。
深くはない。甘く、静かで、でも逃がさない。上唇、下唇、もう一度。啄むみたいなキスが繰り返されるたび、全身の力が抜けていく。肩に回した指に、彼の髪が触れる。さらり。やわらかい。こんな人に、こんなふうに抱かれて、好きでいないほうが無理だ。
「好きだ」
「……」
「リゼット、好きだ」
「そんな何回も」
「足りない」
囁くたびに、彼の声が掠れる。冷静な顔の下で、同じだけ焦がれてくれていたのだと思い知らされて、胸がいっぱいになる。
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密書を流した黒幕は、王弟派。狙いはリゼットではなく、アシュレイだった。
「今夜、塔が襲われる」
「じゃああなたは……」
「囮になる」
「嫌です」
即答だった。珍しく、彼が目を見開く。
「嫌。絶対に嫌です。今さら守られて待つだけなんて無理です」
「リゼット」
「私だって、あなたを守りたい……!」
たぶんそれが、彼の何かを決定的に壊した。あるいは、救った。
アシュレイは苦しそうに笑い、額を彼女の額にこつんと合わせた。
「……君には、一生敵わない」
今度の夜は、守られるだけの恋じゃない。ふたりで奪い返す夜になる。
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第四章 冷たい騎士の、誰にも見せない求婚
襲撃は真夜中に来た。
北塔の回廊に火が放たれ、悲鳴と足音が重なる。王弟派の私兵たちが押し寄せるなか、アシュレイは単身で前に出た。黒い外套が翻る。剣が鳴る。美しいという感想すら失礼なくらい、凄絶だった。
リゼットは逃げなかった。
彼の指輪と、自分の護符の欠片。薬草局で積み上げた知識。呪いは封印の鍵であると同時に、反転させれば閉じる楔にもなる。血ではなく、共鳴。半分ずつ分けた呪いなら、重ねて戻せばいい。
問題は、それをやるには——触れ合う必要があること。
剣戟のあいだを縫って、リゼットは彼のもとへ走った。
「来るな!」
「行きます!」
「危険だ!」
「あなたがいるでしょう!」
言い返しながら、彼の背に飛びつくみたいに腕を回す。周囲が一瞬だけ固まった。でしょうね。戦場で何をやっているのか。けれど理屈より先に、これしかないとわかったのだ。
彼の呪いの痕と、自分の紋様が触れ合う。
びり、と光が走った。
痛い。でも怖くない。アシュレイが即座に片腕で彼女を抱え込み、もう片手の剣で敵を払う。なんだこの体勢。戦闘中なのに密着が過ぎる。でも離れたらだめだ。
「アシュレイ、息を合わせて!」
「……言われなくても」
「三つ数えたら、同時に」
「了解」
三、二、一。
重ねた呪いが反転し、白い光になって回廊を駆け抜けた。火が鎮まり、魔法陣がぱきぱきと逆向きに割れる。
決着は一瞬だった。
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すべてが終わったあと、リゼットはその場にへたりこんだ。足が震える。遅れて怖さが来る。泣きそうだ。いやたぶんもう泣いている。
アシュレイは剣を鞘へ収めると、膝をついて彼女の前に来た。
「怪我は」
「ない、です」
「本当に?」
「ちょっと腰が抜けただけで」
「それを怪我の一歩手前という」
そう言って、彼は人目も気にせず彼女を抱き上げた。横抱き。いわゆるお姫さま抱っこ。近衛騎士団が見ている。侍女たちも見ている。見ているけれど、もうどうでもよくなっている自分がいる。
「お、降ろしてください」
「嫌だ」
「即答……」
「君はいつも限界まで頑張る。今くらい甘やかされろ」
低く言われて、胸がじんと熱くなった。この人は、ずっとこうだった。誰にも見せないところで、ひどくやさしく、過保護で、独占欲が強くて、たまに言葉が重い。
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数日後。王宮の中庭で正式な褒賞式が開かれた。
リゼットは緊張で指が冷たい。けれど隣に立つアシュレイが、袖口の陰でそっと小指を絡めてきたから、もうだめだった。誰にも見えない位置で、そんなことをする。外では冷静なくせに。ずるい。好き。
国王から功績を称えられたあと、アシュレイが前へ出た。
「陛下、褒賞を一つ願います」
「申してみよ」
「リゼット・ノエルとの婚姻を」
場がざわめく。そりゃそうだ。王都中の令嬢が憧れる冷血騎士が、いきなり求婚したのだから。しかも彼は一歩も引かなかった。
「彼女がいなければ私はここにいない。昔も、今も、これからも」
「ふむ。本人の意思は?」
「もちろん、彼女が望めば、です」
そこで初めて彼が振り返る。灰青の瞳が、まっすぐリゼットだけを見つめる。誰もが見ている場なのに、その視線だけで世界が静かになる。
ずるい。ほんとうにずるい。普段は冷たいのに。肝心なときは、こんなふうに何もかもさらっていく。
リゼットは息を吸って、裾をつまみ、きちんと礼をした。
「……望みます」
次の瞬間、彼の顔が崩れた。あの、めったに笑わない男が。春の氷が音もなく解けるみたいに、やわらかく、甘く。周囲から感嘆のざわめきが起きる。
---
その夜。婚約が正式に決まり、ようやく二人きりになった私室で、アシュレイはリゼットを膝に乗せた。
「ちょ、ちょっと……」
「婚約者の特権だ」
「横暴です」
「今さらだな」
背中に腕を回され、逃げ道をなくされる。けれど苦しくない。心地いい。彼は彼女の耳元に唇を寄せ、囁いた。
「これからは隠さない」
「……みんな、驚いていました」
「構わない」
「嫉妬されますよ」
「知っている」
「それでも?」
「君を大事にしていると、世界中に知られても構わない」
だめだ。泣く。こういうのに弱い。しかも彼はさらに追い打ちみたいに、首筋へ軽くキスを落とし、頬を撫で、指先にまで順番に口づけていくのだ。丁寧に。執拗に。甘やかすように。
「アシュレイ……」
「何度でも言う。好きだ」
「……私も」
「足りない」
「欲張り」
「君に関してはな」
最後に落ちた口づけは、深くないのに、これまででいちばん熱かった。
窓の外では春の夜風が花を揺らし、もう呪いは痛みではなく、二人を結ぶ淡い光の名残みたいに肌に残っている。
冷たい騎士は、やっぱり冷たい顔で外を歩くだろう。誰にも簡単には笑わないだろう。けれど知っている。その氷の奥に、自分だけに触れるときだけ震えるほど熱い愛があることを。
そしてそれは、きっとこれからも、夜ごと少しずつ甘くなっていく。
婚約者になった彼は、護衛のときよりずっと、ずっと距離感がおかしい。
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