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婚約者を奪われるはずだった聖女見習いは、追放前夜に冷酷辺境伯の“偽装逃亡”へ巻き込まれる

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/4/24 📚 シリーズ: 異世界恋愛ショートドラマ 📝 4,722文字 ✅ 全年齢

あらすじ

異世界恋愛ショートドラマ - 婚約者を奪われるはずだった聖女見習いは、追放前夜に冷酷辺境伯の“偽装逃亡”へ巻き込まれる

本文

冷気。

 鐘の音。石畳に散る、白い息。

 夜の神殿は青く沈み、尖塔の影が長く長く伸びて、まるで誰かの秘密を足元から絡め取るみたいだった。嫌な感じだ。とても。

 その裏門で私は、婚約者に腕を掴まれたまま、追放命令書を胸に押しつけられていた。

「エレノア。君には、辺境修道院へ移ってもらう」

 紙の角が肋骨に当たる。地味に痛い。

 もっと痛いのは、彼の隣にぴたりと寄り添う新聖女候補、アニスの微笑みだ。柔らかい。可愛い。勝者の顔である。

「君の祈りは古いんだ。神殿は変わる。……わかるだろう」

 わかる。

 要するに私は、邪魔になったのだ。

 私はエレノア。二十一歳。神殿育ちの聖女見習い。

 祝福は弱い。愛想も控えめ。だが浄化だけは妙に得意。だから長く使われ、最後に静かに外される。そういう立場の女だった。

「承知しました」

 声は出た。ちゃんと。えらい。

 なのに喉の奥が熱い。情けない。泣くな、今じゃない。

「聞き分けがよくて助かるよ」

 元婚約者――いや、まだ正式には破棄前の婚約者、フェリクス祭司補がほっと息をつく。

 その顔を見た瞬間、胸の底がすうっと冷えた。ああ、この人は本当に、私が悲しむかどうかではなく、面倒が減るかどうかしか見ていない。

 そのとき。

 ――ばさり。

 黒い外套が、頭上から落ちてきた。

 視界が一瞬、闇になる。羊毛の匂い。革の匂い。雪の夜の匂い。

「その紙は、まだ受理されていない」

 低い声。冷えた刃みたいな声が、すぐ横で鳴った。

 外套を払う。

 そこに立っていたのは、神殿にもっとも似つかわしくない男だった。

 黒髪。長身。灰銀の瞳。無駄なく美しい顔立ちに、親切という単語だけが絶望的に似合わない。

 ラウル・ディアス辺境伯。北域の防衛を預かる若き領主にして、王都では“氷狼伯”なんて呼ばれている人だ。

 そして困ったことに。

 私の追放先である辺境修道院の、実質的な保護者でもあった。

「……辺境伯様」

 フェリクスの顔色が変わる。さっと。見事に。

 身分差が音を立てた気がした。

「神殿人事に、世俗の貴族が口を挟むおつもりですか」

「口ではない。手だ」

 ラウル様は、私の胸から命令書を抜いた。するり、と。

 指先が紙越しに触れそうで、触れない。たったそれだけで、なぜか脈が跳ねた。今その心臓の反応は要らない。

 彼は命令書にざっと目を通し、薄く笑う。

「日付が明日だ」

「は?」

「追放は明朝。つまり今夜の彼女はまだ神殿所属だ。私が借りる」

「……はい?」

 私も言った。はい? である。

 フェリクスが眉を吊り上げる。

「借りる、とは」

「神殿の裏門から、身元不明の者が北塔へ出入りしている」

 空気が変わった。

 アニスの笑みが凍る。フェリクスの目が泳ぐ。私はそこではじめて気づく。これは偶然の通りすがりではない。

「聖具庫の浄化ができる者が必要だ。彼女を連れて行く」

「しかし、その者は明朝には――」

「明朝までは、おまえのものではない」

 ひやり。

 言葉そのものは冷たいのに、なぜか胸の奥がじわ、と熱くなる。困る。非常に困る。

 フェリクスが何か言い返そうとした、その前に。

(行きなさい)

 耳の奥で、声。

 神殿の守護像に宿る、古いものの声だ。普段は滅多に喋らないくせに、こういう時だけ妙に断定的。

(あの男のそばにいなさい。今夜だけは)

 ぞくり、と首筋が粟立つ。

 私は守護像の声を、人に言ったことがない。信じられないからではない。信じられすぎるからだ。聞こえる女は、たいてい囲われる。

「……わかりました。同行します」

 私がそう言うと、フェリクスがあからさまに安堵した。

 その顔が、最後のひと押しになった。

 ラウル様は一度だけ私を見た。

 視線は鋭いのに、急かさない。不思議な人だ。

「来い」

 短い。

 けれど歩幅は、私に合わせて遅くなった。

 神殿北塔。閉ざされた回廊。消えかけた燭台。

 途中、彼は一度もこちらを振り返らない。なのに、角を曲がるたび人ひとり分、きっちり前に出る。風よけみたいに。護衛みたいに。……建前だけの借り出しのくせに、ずるい。

「辺境伯様」

「ラウルでいい」

「よくありません」

「では好きに呼べ」

「困らせるおつもりですか」

「最初からそう見えるか」

 見える。

 けれど彼の横顔は無表情で、冗談なのか本気なのか少しもわからない。

 北塔の聖具庫前で、彼は立ち止まった。

 床に、薄い銀粉が撒かれている。見慣れた浄化封じだ。祈りの気配を鈍らせる細工。私にしかわからない程度の、ごく微細な汚れ。

「……あ」

「気づいたか」

「はい。これ、外から持ち込まれたものです。神殿のものではありません」

 ラウル様が、かすかに目を細める。

 その反応でわかった。彼は答え合わせをしている。私を試していたのだ。

「私を疑っておいででしたか」

「半分」

「残り半分は」

「見込んでいた」

 心臓が、どく、と鳴る。

 こういう言い方は卑怯だと思う。冷たい顔で言うから、余計に。

 私は銀粉を指でなぞり、浄化の式を落とした。

 ぴし、と空気が鳴る。扉の向こうから、淀んだ気配があふれた。誰かが禁制の祈具を動かしている。

「中にいます」

「何人だ」

「三……いえ、四」

 言い終える前に、ラウル様が扉を開けた。迷いがない。

 中では黒衣の男たちが聖具箱を運び出そうとしていた。ひとりは祭司補の印章付き。つまり内通者がいる。

「ちっ」

「捕まえろ!」

 どたん、がしゃん、ばき。

 美しい聖具庫は一瞬で修羅場になった。

 私は壁際へ下がる。邪魔にならないように。

 なのに、逃げたひとりがこちらへ来た。短剣。速い。嫌な軌道。

「エレノア!」

 ラウル様の声が鋭く飛ぶ。

 同時に、腕が引かれた。

 強くはない。けれど抗えない。

 背中が彼の胸へぶつかる寸前で止まる。外套の中に囲い込まれるみたいに。熱い。硬い。息が近い。心臓がうるさい。自分のが。

 短剣は床に落ちた。

 ラウル様が投げた短剣で弾かれていた。いつのまに。

「無茶をするな」

「していません、巻き込まれました」

「口が回るなら無事だな」

「誰のせいで」

「私のせいなら後で詫びる」

 その“後で”が妙に耳に残る。

 後で、がある前提なのだ。私と彼に。

 騒ぎはすぐ収まった。

 黒衣の男たちは騎士に押さえられ、内通者の祭司補の名も出た。フェリクス。やはり。

 新聖女候補アニスは、彼に言われるまま書簡を運んでいただけらしい。悪意は薄い。だからこそ、始末が悪い。

「これで追放は撤回ですね」

 私がそう言うと、ラウル様は沈黙した。

 嫌な予感。すごくする。

「……何ですか、その間は」

「撤回はされる」

「では」

「代わりに君は“証人”になる」

「最悪です」

 証人。

 つまり神殿に残って、内通の証言をして、恨みも買う。静かに消える予定だった私には重すぎる役だ。

「嫌なら北へ来い」

 さらり。

 私は目を瞬く。

「証人の保護を名目に、辺境伯領で預かる」

「それ、保護の名目で囲う雑なやり方では」

「そう聞こえるなら失敗だな」

 彼は初めて、ほんの少しだけ困った顔をした。

 珍しい。びっくりするほど。

「君をすぐ私の側に置きたいわけではない」

「……はい」

「置けば、私が油断する」

 意味がわからない。

 いや、半分わかる。わかりたくない方向で。

 回廊の窓から月明かりが差し、彼の横顔を白く切り取る。綺麗だ。悔しいくらいに。

「神殿に残れば、おまえはまた便利に使われる。北へ来れば、証人として守れる。だが」

 一歩、彼が近づく。

 近い。まだ触れない。けれど、指先ひとつ動けば外套の端が重なる距離。もどかしい。息が浅くなる。

「北に来れば、今度は私の噂がつく」

「氷狼伯の愛妾、とかですか」

「もっと品のない言い方をされる」

「最低ですね」

「ああ」

 なのに彼は平然としている。

 私は平然としていられない。頬が熱い。なんでだ。

(選びなさい)

 また、耳の奥で守護像の声。

 うるさい。今それを言うな。

「……辺境伯様」

「ラウル」

「まだそれを言いますか」

「諦めが悪い質だ」

 知っている。たぶん。

 今夜だけでわかった。

「一つだけ、聞かせてください」

 私は息を整える。

 これは大事だ。とても。

「どうして、あの場で私を助けたんですか。浄化役なら他にもいたでしょう」

 沈黙。

 長い。わざとか。わざとだな、この人。

「二番目の理由は、君が最適だったからだ」

「では一番目は」

「言えば、今夜の建前が崩れる」

 どくん。

 ひどい。意地悪。わかっているのに言わない。

「では、聞かなかったことにします」

「そうしろ」

 それなのに。

 彼の手が、私の頬のすぐ横まで上がる。触れない。髪にさえ触れない。けれど逃がさない壁みたいに、そこにある。

「ただし、一つ訂正する」

 低い声。近い。

 視線が絡む。逃げられない。

「助けたんじゃない。先に連れ出した」

「……は?」

「奪われる前に」

 心臓が、盛大に転ぶ。

 ぼてっ、と。音がした気がした。私の中で。

 それが一段目のオチだった。

 私は追放される娘ではなく、神殿と内通者に都合よく使い潰される前に、先に連れ出された側だったのだ。

 けれど、まだ終わらない。

 翌朝。

 神殿は騒然となった。フェリクスは拘束。追放命令は無効。私は証人として王命の保護下――になるはずだった。

 なのに、王の使者が告げたのは別の話だった。

「エレノア殿には、北辺巡礼路再建の監査役を命じる。ラウル辺境伯の協力のもと、現地にて任に当たれ」

 ……監査役?

 私が目を丸くしていると、使者はにこりと笑った。

「王太子殿下のご意向です。“神殿に返すな。あの辺境伯なら、ようやく本気で困るだろうから面白い”と」

 最低である。王族の感想が。

 使者が去ったあと、私はゆっくりラウル様を見た。

 彼は珍しく眉間を押さえている。困っている。ほんとうに困っている。

「……ご存じでした?」

「昨日の時点では知らない」

「では今のお気持ちは」

「非常に不本意だ」

「まあ」

「王命は断れない」

「ええ」

「だから君を北へ連れて行く」

「はい」

 ここまで聞けば、また建前なのだと思うだろう。

 私も、半分そう思った。

 でも。

 彼は一度、きっちり目を閉じてから言った。

「不本意なのは、命令されて君を連れて行くことだ。……私としては、私の意思で頼みたかった」

 静か。

 でも、その静けさの下にある熱は、昨夜よりずっと隠せていなかった。

「エレノア。北へ来てくれ」

 初めてだ。

 命令でも提案でもなく、お願いだった。

「監査役として。証人として。修道院の浄化師として。好きな肩書きを選べ」

「ずいぶん多いですね」

「最後の一つだけ、まだ言っていない」

「何ですか」

 彼は少しだけ視線を逸らし、すぐ戻した。

 覚悟を決めた人の目だった。

「……私が、帰る場所として望む人として」

 息が、止まった。

 それから遅れて、全身が熱を思い出す。指先まで。耳まで。喉まで。

 最後の反転はそこだった。

 私は保護されるのではない。選ばれるだけでもない。彼の帰る場所として、請われている。

 ずるい。

 優しい。意地悪。甘い。全部まとめて、ひどい。

 だから私は、少しだけ顎を上げた。

 最後に優位に立つのは、今夜くらい私でいい。

「でしたら、条件があります」

「聞こう」

「北へ着くまで、勝手に庇わないでください。私は自分で立てます」

「……善処する」

「それと」

「まだあるのか」

「あります。触れそうで触れない距離で人を困らせるの、たぶん癖ですよね。あれ、禁止です」

「難しい要求だ」

「認めましたね?」

 ほんの一瞬。

 ラウル様の口元が、悔しそうに、でも嬉しそうに緩んだ。

「では訂正する。禁止は無理だ。努力する」

「減点です」

「北へ着いたら挽回する」

 そんな約束の仕方があるか。

 あるのか。あるらしい。困る。

 神殿の尖塔の上で、朝の鐘が鳴る。

 追放の鐘ではない。出立の鐘だ。

 私は彼の差し出した手を見た。大きい。けれど急がない手。

 少し迷って、わざと一拍置いてから、自分の指を乗せる。

 触れた。

 ほんの一瞬だけ。なのに、胸の奥がじゅわ、と甘く疼いた。

 ああもう。

 辺境の冬は、たぶんとても寒い。

 けれど――この人の隣は、少し困るくらい、あたたかい。

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うえはらゆうり

うえはらゆうり

日経ダブルベアで大損し続ける逆張り地獄

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