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笑えない王妃は南王の甘さに溶かされる

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/5/1 📚 シリーズ: 異世界恋愛ショートドラマ 📝 6,058文字 ✅ 全年齢

あらすじ

異世界恋愛ショートドラマ - 笑えない王妃は南王の甘さに溶かされる

本文

第一章

 ぱしゃん、と甘い果汁が弾けた。

 婚礼から三日。南国アウレリアの大広間で、黄金色の果実が私の足元に転がる。次の瞬間、王が玉座から飛び降りてきた。

「今のは予定外だ。だが、転び方はどうだった?」

「……とても見事でした、陛下」

 見事に自分で敷いた花びらに足を取られ、王冠まで斜めになっている。なのに顔だけは恐ろしく整っていた。濃い睫毛の影、陽に灼けた肌、白い軍装の肩章。南の海みたいに眩しい男が、子供みたいに私の返答を待っている。

 アルシェラ。二十歳。氷の国フィエルダから、和平の証として嫁いできた王妃。

 そして目の前の男は、レオンハルト・アウレリア二十六歳。この国の王。戦では冷酷、裁きでは容赦がなく、諸侯が目を伏せるほど苛烈だと聞いていた。……聞いていたのに。

「笑ってはくれないか」

「努力はしています」

「努力の気配が氷原より寒い」

 周囲の貴婦人たちがひそひそと息をのむ。王が、王妃に、そんな声音で。甘すぎる。近すぎる。しかも彼は私の前でだけ距離感が壊れる。

 私の頬に果汁が一滴、つうと流れた。

 それを見た彼の目つきが変わる。ふっと細く、獣じみて。

「触れる」

「……どうぞ」

 指先が頬骨の下をなぞった。熱い。南の男の体温は、どうしてこうも容赦がないのだろう。親指で果汁を拭い、そのまま一瞬だけ動きが止まる。唇に運ぶのかと思って、胸の奥がぎゅっと縮んだ。

 けれど彼は、布を受け取って丁寧に拭っただけだった。

 自制。いつもそうだ。触れそうで、触れない。奪えそうで、奪わない。なのに目だけがひどく欲しがっている。

「次はもっと面白いものを用意する」

「王の政務は、そのためにあるのでは」

「知っている。だが君が一度も笑わないのは、国家的損失だ」

「大げさです」

「いや。私にとっては国難だ」

 この人は、こういうことを平然と言う。

 私は笑えない。生まれつきではない。笑わない、と決めたのだ。

 雪に埋もれる祖国を背負って、この陽光の国へ来た日。母に言われた。「あちらで安らいではいけない。おまえが笑えば、氷の宮廷は北を捨てたと見なされる」と。敗戦国の王女の笑顔は、簡単に裏切りの旗印になる。だから私は口元を凍らせたまま、ここへ来た。

 それでも夜になると、たまに困る。

 寝所の回廊まで送ってくる王が、扉の前で立ち止まり、私の手の甲に口づけるふりだけして、しないことに。

 今夜もそうだった。

「おやすみ、私の王妃」

「おやすみなさい、陛下」

 白い手袋越しに指先が触れただけで、息が浅くなる。彼はそれを知っていて、知っていて離れる。ひどい。

 扉が閉まる寸前、廊下の影に道化師がいた。鈴のついた帽子。笑顔の仮面。軽やかな一礼。

 けれど私の視線は、その靴先に止まった。

 薄く白い粉。海塩ではない。魔石洞窟の内壁にしか付かない、青銀の燐粉。

 この宮殿の奥、王家が秘匿する海の洞窟。美しい魔石を産む、南国最大の恵み。そして敵国が喉から手を出すほど欲しがっているもの。

 どうして、道化師の靴に。

 ぞくり。氷の国で育った感覚が、危険を告げた。

 翌朝、私は王の執務室へ向かった。だが扉を開けた瞬間、レオンハルトは書類の山から顔を上げ、真顔で言った。

「来たな。今日は猿を連れて海辺で踊る案を却下された」

「陛下」

「怒っている顔も美しい」

 この人は、本当に。

 でも次の瞬間、私が黙って差し出した白い粉に、彼の目の色が変わった。熱の奥にある、冷たい刃。その顔を見てしまうと、胸が変に騒ぐ。

「どこで見た」

「昨夜、道化師の靴先に」

「……そうか」

 彼は立ち上がり、机を回って私の前に来た。低く身を屈める。鼻先が触れそうな距離。柑橘と海風の匂い。鼓動がうるさい。

「この話は、誰にも?」

「していません」

「賢い」

 囁きが耳に近すぎて、肩が跳ねた。彼はそれを見て、口元だけで笑う。

「なら、君に頼みがある。私と洞窟へ来てほしい」

「囮に?」

「違う。私の隣にいてほしい」

 その言い方は、ずるい。建前の衣を着せて、真ん中だけ素肌みたいだ。

 私はうなずいた。

 笑えないかわりに、役には立てる。北の王女は、氷と鉱脈の見分けに長けている。魔石の癖も、きっと読める。

 ただ、そのときはまだ知らなかった。

 道化師の笑い声の裏に、国を裂く刃が潜んでいて。

 そして南の王が、私に笑ってほしい理由を、まだ一つも口にしていないことを。

 ――次に彼が近づくのは、からかうためではなく、守るためだ。

第二章

 海は青い。青すぎて、怖い。

 王家の船が白い航跡を引いて進むたび、潮風が頬を打つ。洞窟の入口は断崖の裂け目に隠れ、満ちる光の下ではただの影にしか見えなかった。

「寒くないか」

「南国でその問いは贅沢です」

「君は氷の国の姫だろう」

「ええ。ですが、陛下の外套は重いです」

 重い。香りも、ぬくもりも。

 船に乗った途端、彼は自分の外套を私の肩にかけた。潮風が強いから、と言って。私は断ったのに、聞かない。結び目まで自分で整え、ついでのように髪を耳へ払った指が、耳朶をかすめた。

 びり、と変な熱が走る。

 周囲には護衛もいる。なのに彼は、私の前だと時々、世界を忘れる。

 洞窟へ入ると、空気が変わった。ひやり、と湿り、壁一面に埋まった魔石が蒼く脈を打つ。海の底の星空。水音が反響し、遠くで鈴が鳴った気がした。

「道化師だ」

 私が囁くと、レオンハルトは無言で頷いた。

 奥へ進むにつれ、私は違和感を拾っていく。削られた痕。わずかな縄の擦れ。魔石の配置を記した印。盗掘の下見だ。それも、洞窟の“息”を知る者の仕事。魔石は下手に触れれば共鳴して崩れる。なのに犯人は、まだ大規模に手を出していない。

「盗むのではなく」

「何だ」

「爆ぜさせる気です。この洞窟ごと」

「……続けろ」

 王の声が低く沈む。好きだ、と場違いに思った。こういうときの彼は恐ろしく冷たい。けれど私の言葉を一つも遮らず、最後まで聞く。

「洞窟が崩れれば、海流が変わる。魔石脈も死にます。敵国は手に入れられなくても、この国の喉を潰せる」

 そのとき。鈴の音が、はっきり響いた。

 道化師が現れた。笑う仮面。派手な衣装。けれど声だけは平坦で、ぞっとするほど大人しい。

「さすが氷の王妃。笑わないぶん、よく見ていらっしゃる」

 護衛が剣を抜く。だが道化師は一歩下がり、洞窟の壁へ手をかざした。青い魔石が不穏に明滅する。

「動かないでいただきたい。ここは少し機嫌を損ねやすい」

 緊張がぴんと張る。私の手首を、レオンハルトが後ろでつかんだ。強くない。けれど絶対に離さない握り方だった。親指が、手首の内側を一度だけなぞる。落ち着け、と言うみたいに。

「要求は」

 王が問う。

「北との和平を破棄し、氷の王妃をこちらへ」

「断る」

「即答ですか」

 道化師の視線が私に向く。仮面越しなのに、生臭い興味がある。

「では取引を。王妃を返せば、洞窟は救われる。どうせこの方は敗戦国の飾りでしょう?」

 その瞬間、レオンハルトの空気が変わった。

 熱が消えた。光も。代わりに、底のない海みたいな静けさが落ちる。

「私の前で、私の妃を値踏みするな」

 低い。凪いでいるのに、ぞっとする。

 私は胸の奥が詰まって、息を呑んだ。嬉しい、などという柔らかい言葉では追いつかない。けれど浮かれた瞬間、足元で小さく魔石が鳴った。危ない。

「陛下、下がって」

「アルシェラ?」

「この音は連鎖です!」

 私は彼の腕を引いた。次の瞬間、蒼い閃光が走る。魔石の棘が床から噴き上がった。護衛の悲鳴。崩れ落ちる岩片。私は咄嗟に洞窟の壁へ掌を押し当て、北国の鉱脈術式を口の中で結んだ。冷気が走る。青い脈動が白く鈍り、連鎖が一瞬だけ止まる。

「走って!」

「君を置いてか」

「一緒に走るんです!」

 彼は笑った。こんなときに。けれどすぐ私の腰を抱き寄せ、ほとんど持ち上げるようにして走った。近い。近すぎる。胸板が背に当たり、息が耳元で弾ける。危機の最中なのに、体のほうが勝手に震えて困る。

 崩落の外へ出たあとも、彼はしばらく私を離さなかった。

「怪我は」

「ありません」

「本当に?」

「……少し、指先が」

「見せろ」

 手袋を外される。指先が赤いだけなのに、彼は眉を寄せた。海風の中でその指を唇へ近づけ、触れる寸前で止まる。代わりに額へ押し当てた。

「次からは、私より先に無茶をするな」

「陛下こそ」

「私は王だ。無茶は職務だ」

「横暴です」

「夫でもある」

 その一言に、胸が高く鳴った。

 だが甘さは続かなかった。洞窟の奥で見つかったのは、北の紋章を刻んだ合図札。まるで、私の祖国が黒幕だと言うみたいに。

 王宮へ戻る舟の上で、家臣たちの視線が変わる。刺さる。冷える。私は外套の裾を握りしめた。

 レオンハルトは何も言わない。ただ隣に立ち、甲板の風上に私を置いた。人目につかない角度で、袖の内側から小指だけを絡めてくる。

 誰にも見えない。なのに逃がさない。

 ……ひどい人だ。

 でも、そのひどさに、救われてしまう。

 ――次に突きつけられるのは疑いではない。選べという残酷な優しさだ。

第三章

 別離は、やけに静かに来た。

 翌朝、私の机には祖国の封書があった。青白い蝋印。母の筆跡。短い文だ。

「笑うな。南に心を置くな。さもなくば北は見捨てられる」

 紙が震えた。指ではなく、たぶん心臓のせいで。

 その日の夕刻、謁見の間に全臣下が集められた。道化師もいた。仮面の下で、きっと嗤っている。

 レオンハルトは玉座に座り、冷え切った声で告げた。

「王妃アルシェラを、しばらく離宮へ移す」

 ざわめきが走る。私は息を止めた。

 ああ、そうか。北の紋章が出た以上、疑いを払うために切り離すのだ。守るためかもしれない。国のためかもしれない。わかっている。わかっているのに、胸の真ん中だけが、氷より冷たく割れていく。

 彼は一度もこちらを見なかった。

 だから私は、自分から前へ出た。

「承知いたしました、陛下」

 道化師の肩が、ほんの少しだけ揺れた。愉快なのだろう。王妃は見捨てられた、と。

 離宮へ向かう馬車の中で、私は膝の上の手を固く組んでいた。笑えない。泣けない。ただ唇だけが、いつものように動かない。

 夜。窓辺に鈴の音。

「お迎えにあがりました、氷の王妃」

 道化師だった。やはり来た。離宮移送は、餌だ。

 私は外套を羽織り、彼について庭へ降りた。月下の回廊。海へ続く小門。道化師は仮面を外し、別の国の紋章入り短剣を見せた。

「賢い方で助かります。あなたが来れば、北は助かる」

「その嘘を、何人に売ったの」

「王も、北も、使えるものは使う。それだけです」

 刃が私の喉へ寄る。冷たい。けれど次の瞬間、夜気を裂いて剣光が走った。

 短剣が弾かれる。

「私の妃から、刃を離せ」

 レオンハルトだった。

 暗闇から近衛が現れ、道化師を取り囲む。囮。離宮行きも、公開の切り離しも、すべて仕掛けだったのだ。

 私は安堵より先に、腹が立った。

「……言ってくださればよかったのに」

「言えば、君はその顔をしなかった」

 王は私の前まで来て、初めてまっすぐ見た。苦い、けれどどうしようもなく優しい目で。

「私は君に、疑われたかった」

「ひどい方」

「知っている」

 その隙に道化師が走った。海への小門へ。だが私の怒りは、まだ冷えていない。

 私は足元の水盤から氷紋を引き、薄い氷の糸を投げた。北王家の術。月光を含んだ糸は道化師の足首に絡み、転ばせる。鈴がじゃらりと悲鳴みたいに鳴った。

「私を、笑えない飾りだと思った?」

 道化師は呻く。近衛が取り押さえる。

 そこでようやく静かになった庭で、レオンハルトが息をついた。安堵の息。王ではなく、一人の男のもの。

「本当に、君は」

「何です」

「私の予想より、ずっと強い」

 彼が近づく。今度はもう、周囲が見ていても構わない顔で。

「アルシェラ。あの日、君が笑わなかった理由を、私はずっと勘違いしていた」

「……」

「私が嫌われているのだと」

「違います」

 即答してしまってから、遅れて熱が上がる。しまった、と思ったときには、彼の瞳がひどく明るくなっていた。

「では、なぜ」

「笑えば、北を捨てたと思われるからです」

 夜風が止まったみたいだった。

 私は封書のことも、母の言葉も、全部話した。最後まで。自分でも驚くほど静かに。彼は一度も遮らず、聞き終えてから、ただ一歩だけ近づいた。

「なら、君はもう笑わなくていい」

「……え?」

「君の笑顔を、国の旗印になどさせない。北への支援は続ける。公開でな。君が笑おうが泣こうが、誰にも文句は言わせない」

 王の言葉は命令の形をしていた。なのに、私のためだけに作られた逃げ道みたいに温かい。

「私は、君に何かを強いたくて笑わせたかったわけじゃない」

「では」

「ただ見たかった。私の前で、安心した顔を」

 その一言が、駄目だった。

 胸の奥で張りつめていたものが、ふっと緩む。あまりに長く凍らせていたせいで、ほどけ方が下手だった。喉が熱くなって、目の端がじわりと滲む。

 それでも、先に来たのは涙ではなかった。

 口元が、ゆるんだ。

 ほんのわずか。たぶん、他人にはわからないくらいの、小さな小さな変化。

 けれどレオンハルトは、雷に打たれたみたいな顔をした。次の瞬間、片手で目元を覆って、空を仰ぐ。

「陛下?」

「待て。今のは反則だ」

「何がです」

「その程度で私を殺す気か」

 私は、そこで初めて、声を立てて笑ってしまった。

 鈴みたいに。たぶん少しだけ、泣きながら。

 彼は呆然と見つめ、それから堪えきれずに私を抱き寄せた。強い腕。熱い胸。けれど唇は、やはり触れない。額を押しつけ、鼻先をかすめるだけ。焦らすみたいに、大事にするみたいに。

「人前だぞ」

「陛下が始めたのでしょう」

「そうだな。なら責任を取る」

 彼は私の手を取り、臣下たちが見守る庭の真ん中で高らかに告げた。

「北への魔石支援を正式に再開する。王妃の進言によるものだ。彼女を侮る者は、私を侮るのと同じと心得よ」

 道化師は連行され、敵国の工作も暴かれた。洞窟は守られ、北へは食糧と暖炉石が送られることになった。

 その夜、寝所の扉の前で、彼はいつものように私を送ってきた。

 でも、今夜は少し違う。

「おやすみ、アルシェラ」

「おやすみなさい、レオンハルト様」

 名前を呼ぶと、彼の喉が小さく鳴った。

「……もう一度」

「だめです」

「なぜ」

「調子に乗るので」

 言い終える前に、手首をそっと引かれる。扉と彼の腕に挟まれた狭い空間。吐息が近い。睫毛の影まで見える。

「君が笑うと、私はひどく弱くなる」

「知っています」

「なら加減してくれ」

「できません」

 彼は、とうとう困ったように笑った。戦場で誰も見たことがないだろう、甘くて情けない顔で。

 そして今度こそ、手の甲ではなく、指先に口づけた。

 熱い。じん、と痺れて、そこから全身へ広がっていく。南の夜はやわらかいのに、胸の奥だけは嵐だ。

 笑えない王妃だった私を、彼は無理に変えなかった。

 ただ、笑っても壊れない場所を、先に作ってしまったのだ。

 ずるい王様だと思う。

 だからたぶん、これから先も私はたくさん困る。

 彼が近いだけで。声が甘いだけで。触れそうで触れない、その一瞬だけで。

 けれどもう、困ることは少しも不幸ではない。

 だって私は知ってしまったから。

 誰にも見せない熱で、あの冷たい王が、ずっと私を選び続けていることを。

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作者について

うえはらゆうり

うえはらゆうり

日経ダブルベアで大損し続ける逆張り地獄

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