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蔵 (二)

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/4/17 📚 シリーズ: 貴方へ ~もう一つのラブレター~ 📝 6,651文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

一話完結・オムニバス(長めの物語)

本文

蔵 (一) | 小説投稿サイト「あいぺん」

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蔵 (二)

その男が現れたのは、雨の降る火曜日の昼だった。

佐藤純が軽自動車の荷台を閉めようとしたとき、背後から声がした。

「やあ」

振り返ると、見覚えのある顔があった。

ひょろりとした体。飄々とした目。ずいぶん若くなっているが、面影は変わらない。

「……師匠」

「久しぶり。三年ぶり? こっちはもっとか」

師匠は傘も差さずに立っていた。雨が肩を濡らしているのに、まったく気にしていない様子だった。

「どうやって来たんですか」

「扉が開いたから入ったら、こっちだった。あの草原の近くに、また開いたんだよ」

純は思い出した。師匠が言っていた言葉が蘇る。扉は一度開いた場所にまた開く。

「ということは」

「そういうこと。で、近くに泊まれるところある?」

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妻が師匠を見たのは、その夜だった。

二人がリビングに座って向かい合っていると、妻が台所から顔を出した。

「あ、師匠さんが来たっていう」

「はじめまして」

妻はしばらく師匠を見てから、純を見た。

「師匠、前より若いね」

「向こうで十五年生きて帰ってきたら、こっちの時間が十秒しか経ってなかったことがある人が言う?」

「それはそうか」

師匠は声を上げて笑った。

「気に入った。この家の人たち」

妻はそれで完全に警戒を解いた。純にはそれがわかった。妻が誰かを「気に入った」と感じると、肩の位置が少し下がる。長年連れ添ってわかったことだ。

その夜、三人で遅くまで話した。

師匠がこちらの世界に来た理由は、特になかった。

「扉が開いたから来た。それだけ」

「向こうはいいんですか」

「誰も困らない。しばらくいてみようと思って」

「いつまで」

「さあ」

純はそれ以上聞かなかった。師匠という人間は、昔からそういう人だった。

---

翌日、師匠は不動産屋に行き、タワーマンションの一室を借りた。

純が理由を聞くと「新しい街を見渡せる高いところが好きだから」とだけ答えた。

「……高層階ですか」

「三十二階」

「家賃は」

「聞く必要ある?」

純は黙った。師匠の《蔵》の腕前は、純をはるかに上回る。この世界でどうやって資金を用意したのかは、あまり深く考えないことにした。

次の週、師匠は「暇だから手伝う」と、純の運送屋に顔を出した。

「手伝わなくていいです」

「僕が手伝いたいんだ」

「まあいいじゃない」妻が言った。

それで決まった。

【東京タワーと、もう一本】

依頼の電話は、夜に来た。

「突然のご連絡で申し訳ありません」声は落ち着いていたが、どこか切迫した空気があった。

「明朝、どうしても運んでいただきたいものがあります」

「内容を聞かせてください」

「鉄塔です」

純は手帳を持ち直した。「鉄塔」

「正確には、鉄塔の複製模型です。縮尺十分の一。高さ三十三メートル、重量は八トン近くあります」

「三十三メートル」

「展示のために製作したものですが、事故で搬入ルートが封鎖されてしまいました。明日の朝、式典が始まる前に会場に入れなければなりません」

「場所は」

「都内の展示施設の、屋内アトリウムです。天井高は四十メートルあります」

純は師匠を見た。師匠は夜遅いにもかかわらず、純の家のソファでお茶を飲んでいた。純が「鉄塔、三十三メートル」と口の動きだけで伝えると、師匠は指を三本立てた。

三十分で済む、という意味だと純は解釈した。

「承ります。朝五時に現地でいかがでしょう」

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翌朝、師匠と純は現地に向かった。

依頼人は建設会社の担当者で、純たちを見て明らかに困惑した。

「……お二人だけですか」

「はい」

「機材は」

「不要です」

担当者は視線を逃がしたが、もう時間がなかった。

三十三メートルの鉄塔模型は、郊外の製作所に寝かせた状態で置かれていた。朝靄の中で見ると、それは想像より遥かに巨大だった。スチール製の格子が複雑に組み合わさり、地面の上で長々と横たわっていた。

「重心がずれているな」と師匠が言った。

「わかります?」

「なんとなく。こういうものはここから入れると楽だ」

師匠は鉄塔の中央部に近づき、一点に手を当てた。それからゆっくりと《蔵》に収め始めた。

純は補助についた。

師匠の《蔵》の使い方は、純とまったく異なった。

純の《蔵》は「包む」感覚に近い。対象全体を感じ取り、そのまま内側に引き込む。

師匠の《蔵》は「解く」感覚に近かった。物の在り方をほどいて、別の場所に結び直す、そういう感じがした。

鉄塔が消えた。

製作所の床に、細かい砂埃だけが残った。

担当者は三秒ほど固まっていた。隠蔽ですぐに曖昧になるが。

展示施設に着いたのは、式典の一時間前だった。

アトリウムの中央に、縦長の広大な空間があった。天井から光が降り、床には展示台座がすでに設置されていた。

師匠はアトリウムの中央に立ち、上を見上げた。

「いい空間だ」

「師匠」

「わかってる」

師匠は鉄塔を《蔵》から取り出した。

巨大な構造物が、静かに、まるで最初からそこにあったかのように空間の中に立ち上がった。軋む音も、揺れもなかった。ただ、すっと現れた。

担当者が声を失っていた。

「……水平は」

「見てごらん」

担当者が計測器を取り出して確認すると、水平誤差はゼロだった。

「垂直も」

担当者はしばらく計測器を見つめていた。それから振り返り、深く頭を下げた。

「……ありがとうございます」

「どういたしまして」

帰り道、純は師匠に聞いた。

「さっきのは、どうやったんですか。あの静けさは」

「物には、本来の重さがある。それをきちんと返してやれば、暴れない」

「返す」

「そう。無理に置かない。向こうが落ち着く場所に落ち着かせる」

十五年かけて覚えたことの、さらに奥に、まだ続きがあった。

【地下と、水と、根っこ】

その依頼は、役所から来た。

「市の天然記念物に指定されている樹木があります」と担当者は言った。「根がインフラ設備に絡んでしまっていて、このままでは除去しなければならない。しかし市民の反対が強い」

「はい」

「樹の状態を教えてください」

「樹齢二百年を超えるクスノキです。幹周り四メートル以上、高さ二十五メートル、根の広がりは半径十メートル以上と推定されます」

「地下にあるインフラは」

「水道管と、電気の幹線です。根が深く絡み、通常の重機では根を切らずに済みません」

「移植先は」

「三百メートル先の公園です。広さは確保してあります」

純は、妻を見た。妻は別の書類を見ながら「根っこは難しそうね」と呟いた。

「師匠に聞いてみます」

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師匠の返答は「面白い」だった。

現地に行くと、クスノキは想像を超えていた。

幹は人が両腕を広げても抱えきれないほど太く、枝は四方に伸び、その下に巨大な影を作っていた。葉の間から光が差し込むたびに、影が揺れた。二百年という時間が、空気の中に滲んでいた。

師匠はしばらく樹の前に立っていた。

純は黙って待った。

「根が面白い動き方をしている」

「どういう意味ですか」

「この樹、水道管に絡んでいるんじゃない。水道管の水を飲もうとして、寄り添っている。敵じゃなくて、友達だと思ってる」

純には、その感覚が少しだけわかった。

《蔵》を使っていると、物の「意図」のようなものが、ぼんやりと伝わってくることがある。

「切りたくないな」

「切らなくていいです。根ごと移せますか」

「やってみる」

---

作業は夜明け前に始まった。

師匠が地面に手を当てた。純は正面から樹を支えた。

根と土と、水道管と電気ケーブルの複雑な絡まりを、師匠は少しずつ、ほどくように《蔵》で扱った。切るのではなく、解く。絡まりを維持したまま、全体をひとつの塊として認識し直す。

一時間かかった。

師匠の額に、珍しく汗が光った。

「重い?」

「重くはない。細かい」

「手伝えることは」

「今は待っていてくれ」

純は待った。

東の空が白み始めた頃、師匠が立ち上がった。

「いける」

クスノキが、地面から離れた。根の先まで、土ごと、水ごと。何も切らずに。

純は樹を正面から支え、師匠が後ろを支えた。二人は寄り添って、一本の巨木を、朝の静けさの中、誰にも気づかれないまま、三百メートル先の公園までゆっくりと運んだ。

公園の、あらかじめ掘られた穴の上に樹が下ろされたとき、葉が一枚、純の肩に落ちた。

「……根が切れてないのか」

担当者が地面を覗き込んで言った。

「はい」

「本当に、全部」

「全部です」

担当者はしゃがんで根の先をしばらく確認してから、顔を上げた。目が赤かった。

「この樹、植えたのが先々代なんです。市に寄付した」

純は何も言わなかった。

帰り道、師匠はずっと無口だった。

しばらくしてから、ぽつりと言った。

「あの樹、嬉しそうだった」

「わかるんですか」

「なんとなく」

純はそれ以上聞かなかった。

【美術品と夜の仕事】

三つ目の依頼は、普通ではなかった。

電話口の声は若かった。

「突然で失礼します。父が……以前そちらにお世話になった者です。仏像を移送していただいた」

純は記憶を辿った。あの寺の、担当者。

「はい、覚えています」

「実は今回は父ではなく、私が個人的にお願いしたいことがあって」

「内容を聞かせてください」

「祖母が集めた絵画があります。私財で集めた、小さなコレクションです。点数は六十点。祖母が亡くなって、コレクションを引き継いだのですが、保管場所が……火事になりました」

「それは」

「幸い、絵は無事です。今は仮設の倉庫に置いてあります。早急に正式な保管施設に移したいのですが、運搬中に状態が変わるのが怖くて。湿度、温度、振動……専門業者にも相談しましたが、なかなか条件が合わなくて」

「わかりました。絵の状態を事前に確認させてください」

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仮設倉庫に行くと、絵は想像より多様だった。

油彩、水彩、版画、日本画。大きさも様々で、中には人の背丈を超えるものもあった。どれも、素人目にも丁寧に扱われてきた形跡があった。

師匠は絵の前を、ゆっくりと歩いた。

「好きだったんだね、集めた人が」

「そう見えますか」

「好みがばらばらで、統一感がない。でも全部、誰かが一生懸命描いたものだ。そういうものを選んでいる」

純は改めて絵を見回した。師匠の言う通りだった。高価そうなものも、そうでないものも、同じように扱われていた。

「全部一度に運べますか」

「できます」

「温度と湿度は」

「変わりません」

「本当に」

「はい」

依頼人はしばらく純を見てから、師匠を見た。

「お二人は、どういう方なんですか」

師匠が口を開いた。

「運び屋です」

それだけ言って、師匠はまた絵の方を向いた。

---

搬出は夜に行った。

六十点の絵を、純と師匠で手分けして《蔵》に収めた。

一点ごとに、状態を確認しながら。温度、湿度、向き。絵の具の乾き具合や、支持体の状態も感じ取りながら。

師匠の扱いは、絵に対して特に丁寧だった。

純は途中でそれに気づいた。師匠の動きが、いつもより遅い。

「慎重ですね」

「絵は、一度崩れたら戻らない。樹や石と違う」

「違いますか」

「石は割れても石だ。樹は枯れても土になる。でも絵は……絵じゃなくなる」

師匠はひとつの絵の前で、少し間を置いた。

「描いた人がもういないなら、なおさら」

純は黙って手を動かした。

移送先の保管施設に着いたのは、深夜を過ぎた頃だった。

六十点、全て無事だった。

依頼人が一点ずつ確認して、最後に顔を上げた。

「祖母が喜びます」

「喜んでくれればいいです」

「……本当にありがとうございました」

帰り道、師匠は助手席で空を見ていた。

「師匠」

「うん」

「向こうの世界でも、こういう仕事はしていたんですか」

「似たようなことは。でもここの方が、物の数が多い」

「多い?」

「この世界は物が多い。人が作ったものも、自然のものも。みんな、誰かにとって大事なものを持っている」

師匠は窓の外を見たまま続けた。

「《蔵》がない世界なのに、なんでこんなに大事なものを持てるんだろうと思って」

純はその言葉を、しばらく頭の中で転がした。

《蔵》がない世界。確かにそうだ。この世界の人々は、見えない収納を持っていない。なのにこれだけ多くのものを、丁寧に持ち続けている。

「……それが不思議で、来てみたかったのかもしれませんね」

師匠は少し笑った。答えは言わなかった。

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一年が経つのは、早かった。

師匠は週に三日ほど顔を出し、あとの日はタワーマンションから出ることもあれば、何日も引きこもっていることもあった。何をしているのかは聞かなかった。純も妻も、師匠のペースを自然に受け入れていた。

ある日の昼、師匠が事務所に入ってくるなり言った。

「そろそろ行こうかと思って」

純は書類から顔を上げた。

「向こうにですか」

「いや、こっちをもう少し」

「え」

「この国だけじゃなくて、他の国も見てみたい。海の向こうとか」

妻が台所から顔を出した。

「一人で?」

「一人で」

「言葉は」

「なんとかなる」

「まあ師匠さんならなんとかなるか」

「ご飯は食べてくださいよ」

「食べる」

「無理な依頼は断っていいんですよ」

「面白い依頼は断らない」

「それが心配なんです」

師匠は声を立てて笑った。

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翌朝、師匠はタワーマンションを出た。

荷物は、小さなリュックひとつ。

残りは全部蔵の中に入れているのだろうと純は思った。

純と妻は、マンションの前で見送った。

「世話になった」

「こちらこそ」

「イルカ、元気かな」

「そればっかりは確認しに行けないですけど」

「まあ元気だろう」

師匠は妻に向かって軽く頭を下げた。妻は笑顔で会釈した。

「向こうの世界に帰るときは、また寄ってください」

「扉がどこに開くかわからないからね」

「じゃあもし近くに開いたら」

「そのときは」「またお茶を一杯」

それだけ言って、師匠は歩き出した。

振り返らなかった。

純と妻は、その背中が角を曲がって見えなくなるまで、並んで立っていた。

---

「元気そうだったね」

「最初から元気でしたよ、あの人は」

「そうだけど」妻は笑った。

「なんか、こっちの世界を気に入ってくれたみたいで、よかった」

純も同じことを思っていた。

師匠がこの世界で何を見て、何を感じたのかは、おそらく誰も全部は知らない。でも師匠がタワーマンションの三十二階から、毎朝この街を見下ろしていたことは確かだ。《蔵》を持たない人間たちが、大事なものを抱えながら歩いている街を。

「次の配達、何時でしたっけ」

「二時。でも一時間以上あるよ」

「じゃあお昼にしましょう」

「何食べたい」

「なんでも」

「それが一番困る」

「じゃあ、あなたの好きなもの」

「私の?」

「今日はあなたの好きなものを食べる日です」

妻はしばらく純を見てから、くすりと笑った。

「……急に何?」

「師匠がいなくなって、少し感傷的になってるんだと思います」

「正直だ」

「正直な方がいい」

妻は純の腕に自分の腕を絡めた。午後の光が、二人の足元に落ちた。

「パスタ」

「どこの」

「駅前の、ちょっと高いやつ」

「行きましょう」

二人は並んで歩き出した。

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空は青い。月は一つ。

軽自動車は今日も走る。

荷物の大きさは問わない。重さも、形も、問わない。

「どうやって運んでるんですか」とたまに聞かれる。

「丁寧に」と純は答える。

それは今も変わらない。

ただ、この一年で少しだけ変わったことがある。

《蔵》に物を収めるとき、純は時々、師匠の言葉を思い出す。

物には、本来の重さがある。それをきちんと返してやれば、暴れない。

向こうが落ち着く場所に落ち着かせる。

それが、運ぶということだと、今の純は思っている。

届け先で、依頼人が荷物を受け取る瞬間。その顔を見るのが、純はやっぱり好きだ。

妻も同じだと知っている。いつも純より一歩前に出て、荷物を手渡す。その顔は、どの依頼でも同じように、穏やかに笑っている。

「ねえ」

「うん」

「師匠さん、向こうの世界に帰ったら、また若返るんだよね」

「そうなりますね」

「じゃあこっちでしばらく、向こうでちょっといて戻ってきたら、また同じくらいの見た目で来るってこと?」

「理屈ではそうです」

妻が明るい声で言った。

「なんか、すごいね」

純は笑った。

「師匠のことだから、そういうことは全部わかった上で、何も考えずに来てるんだと思います」

「それが一番すごい」

「それが師匠ですよ」

妻もつられて笑った。

車の中に、笑い声が続いた。

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その夜、純は夕食の後でふと空を見た。

月が出ていた。一つだけ。

純は確認してから、また部屋に戻った。

妻がソファで本を読んでいた。

純はその隣に座った。

妻が本から顔を上げずに、少しだけ体を傾けて、純の肩に頭をのせた。

それだけだった。

でも純には、それが今日一番の出来事のような気がした。

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JJ

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