第125話:【激流】ナイルの激流、カイルの操舵
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あらすじ
物理と知識で魔法世界を再定義!―拾った助手は2000年前の伝説の管理者(旦那様)でした。追放された天才没落令嬢は、最強の娘たちと共に「世界」を再構築中― - 第125話:【激流】ナイルの激流、カイルの操舵
本文
ナイル川は、茶色くなかった。
青かった。
砂漠の縁に立って見下ろした時、最初は目の錯覚だと思った。だが違う。川面が蛍光を帯びた青に輝いている。水しぶきが岩に当たるたびに、青白い火花が散っていた。
「……あれが、ナイル?」
「かつてはな。今はマナの奔流だ」
リュウガが川面を睨んだ。
「二千年分のナノマシンが溶け込んで、水そのものがマナの伝導体になっている。あの水しぶきを浴びれば、体内にナノマシンが即座に侵入する……」
「侵入したらどうなるの?」
「最悪の場合、クロノスの市民と同じだ。感情を抑制され、自我を失う」
ピッコが川面のデータを読み取り、顔をしかめた。
「マナ濃度は大気の800倍以上。シスターズの装甲でも長時間は耐えられませんわ。直接の接触は避けるべきです」
「直接は触るな、と……。で、川は渡るんじゃなくて、遡るのよね?」
「そうだ。エチオピア高原まで約600キロ。川沿いを走れれば2日だが、峡谷区間は陸路が通れない。水面走行するしかない」
カイルがアークの操舵席から身を乗り出した。
「斥力発生装置を使えば、水面に触れずに走行できる。だが操舵は俺がやる。自動航行はマナの干渉で使い物にならん」
「え!? 600キロを手動操舵で!?」
「安心しろ。傭兵時代に、暴風雨の大洋をボロ船で3日走ったことがある。あれに比べりゃ川なんざ水溜りだ」
カイルの目が、久しぶりに笑っていた。操舵輪を握る手に力が入る。この男は、極限状態になるほど据わる目をしている。傭兵舐めてたわ……。
「全車、縦列で俺の後ろにつけ。車間は15メートル。俺の航跡を正確に辿れ。外れたら青い水を被る」
10台のキャラバンが、青い川の上に浮いた。
◇◆◇◆◇
そこからは、ずっと緊張の連続だった。
川幅は場所によって50メートルから200メートルまで変わる。流れは一定ではなく、マナの密度によって局所的な渦や逆流が発生する。青い水柱が突然噴き上がり、アークの横を掠めていく。
「右に3度! 200メートル先に渦!」
オーボエの声が通信に響いた。リディアの偵察型ドローンが上空から川面をスキャンし、そのデータをオーボエが処理してカイルに送る。
「3度了解。――いや、2.5だ」
カイルが操舵輪を微かに切った。
「2.5? データ上は3度が最適ですが?」
「データは水面の話だろう。風が右から0.5度分押してる。補正込みで2.5」
オーボエが一瞬黙り、それからほんの少しだけ声が柔らかくなった。
「……了解。2.5度で修正します」
データと勘。計算と体感。オーボエの精密な数値とカイルの傭兵の嗅覚が噛み合い、アークは青い飛沫の間を縫うように走った。
「左岸に岩礁帯! 全車、右寄せ!」
「寄せすぎるな。右岸の浅瀬はマナ密度が高い。真ん中より2メートルだけ右だ」
カイルの指示は正確だった。魔法は使えない。ナノマシンも、MNWも、量子演算も関係ない。川の流れを読み、風を肌で感じ、水面の色の変化から深度を推測する。人間の技術だけで、10台のキャラバンを導いている。
「カイルさん、惚れ直しそう……」
オーボエが呟いた。通信は全車に繋がっている。
「き、聞こえてるぞ、お嬢さん」
「聞こえるように言いましたわ」
クララがスコープ越しに連写している音が、かすかに聞こえた。
「クララ、今の撮った?」
「3枚。オーボエ、1枚いくらで買う?」
「……後で消しなさい」
「消しませんわぁぁあああ!」
◇◆◇◆◇
峡谷区間に入って4時間目。
最初の異変は、水面の膨らみだった。
「カイル、前方50メートル。水面が盛り上がってる」
リディアの声に緊張が混じった。
「岩か?」
「ち、違う。動いてる!」
水面が割れた。
青い飛沫を撒き散らしながら、巨大な顎が突き出した。
ワニだ。ただし、普通のワニではない。全長は推定30メートル以上。鱗の一枚一枚が青いマナの光を帯び、目が白く濁っている。川のマナを吸い続けて肥大化した変異体。
「セベク……」
リュウガが呟いた。
「エジプト神話のワニの神か。皮肉な名前だな」
「名前はどうでもいいわ! あれ、こっちに来てるわよ!?」
「マナの塊であるシスターズに反応している。餌だと思われているな」
「やだやだ! あーし、餌だなんて思われたくないんだけど!?」
セベクが水面を滑り、アークに向かって突進してきた。速い。水上を走る10台のキャラバンなど、あの巨体の前では木の葉だ。
「全車、散開! ぶつかるな!」
カイルが操舵輪を切り、アークを右に回避させた。セベクの巨体がアークの左舷を掠め、青い波が甲板に迫る。
「水を被るなッ!」
ルーテとハープが甲板の縁に立ち、双剣で水飛沫を切り払った。斬られた水滴が青い光を散らして霧になる。
「攻撃はどうする!? あのサイズ、表面を叩いても――」
「だったら、内側から壊す!」
ボーンが、ランスを担いで甲板に立っていた。
「内側って、どうやって!?」
「口を開けさせて、ハープ。あたしが突っ込む」
「正気!?」
「正気じゃないけど、正解でしょ、ルーテ?」
正気じゃないが、正解だった。外側の鱗はマナで硬化している。内側なら、柔らかい。
「テューバ、援護よろしくだよぉ!」
「分かってる」
テューバがハンマーを構えた。ボーンとテューバ。力と力。脳筋コンビと呼ばれることを本人たちは嫌がるが、こういう時に頼れるのはこの2人だ。
「セベク、もう1回来る! 正面から!」
リディアの警告と同時に、セベクが水面から跳び上がった。大口を開け、アークを丸呑みにしようとする。
「ボーンの援護よ。コルネ、目を焼いて!」
「了解、エリーちゃん!」
コルネの炎がセベクの白い眼球を直撃した。怯んで口が止まる。その一瞬。
「ボーン、今ッ!」
「行くぞォォォッ!」
ボーンが甲板から跳んだ。ランスを両手で握り、セベクの上顎と下顎の間に突き立てる。顎がこじ開けられ、口腔が露出した。
「テューバッ!」
「任せてッ!」
テューバが跳んだ。ハンマーではなく、左腕に装着した物理弾道弾のランチャー。ボーンがこじ開けた口の中に、零距離で叩き込む。
ドドドオオオオォォォォォオオオオオン!!
轟音が谷に響く。
セベクの体内で爆発が起き、巨体が痙攣した。青いマナが霧になって噴き出し、顎の力が抜ける。ボーンがランスを引き抜き、テューバの腕を掴んで水面に着地した。
「ルーテ、ハープ!」
「了解!」
2人が加速空間を展開し、落下するボーンとテューバをキャッチしてアークの甲板に引き戻す。
セベクは青い光を失いながら、ゆっくりと川底に沈んでいった。
「……倒した?」
「うん。コアを破壊した。もう再生しない」
リュウガが確認し、私は息を吐いた。
「ボーン、テューバ、無事!?」
「無事ー! ランスまた曲がったけどー!」
「あたしのランチャーも反動で歪んだ。……まあ、ママに直してもらう」
「直すわよ。全部直す。――カイル、進路は!?」
「問題ない。このまま遡上を続ける」
カイルの手は、操舵輪から一度も離れていなかった。セベクとの戦闘の間も、10台のキャラバンを青い飛沫から守り続けていた。
◇◆◇◆◇
ナイルの青い光が薄れ始めたのは、遡上開始から14時間後だった。
川幅が狭くなり、水の色が青から透明に変わっていく。マナ濃度が下がっている。上流に近づくほど、水は本来の姿を取り戻していた。
「……水が、普通の水に戻ってる」
「源流に近いほどマナ汚染が薄い。Gaiaのオリジン・サーバーが健全に機能していた頃の名残だろう」
そして、川の向こうに山が見えた。
赤い岩肌と緑の森。切り立った崖の上に、広大な高原が広がっているのが見える。
「見えたぞ。エチオピア高原だ」
リュウガが静かに言った。
「あの上に、世界の心臓がある」
カイルが操舵輪から手を離し、指を鳴らした。
「到着だ。全車、接岸する」
10台のキャラバンが、透明な水の上に止まった。
『ナイル完走だお! ファーファ、船酔いしたお!』
「お前にバランス感覚あったの?」
『ないお! だから酔ったお!』
ボーンが曲がったランスを肩に担ぎ、崖を見上げた。
「……ねぇ、母様。登るの、これ?」
「登るのよ」
「お風呂は?」
「山の上にあるといいわね」
「なかったら?」
「川の水で我慢しなさい。もう青くないんだから」
「そんなぁぁぁああああ」
世界の心臓が、山の上で待っている。
あと少し。あと、ほんの少しだ。
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