第135話:【塩海】地中海の夕陽、三頭の竜
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
物理と知識で魔法世界を再定義!―拾った助手は2000年前の伝説の管理者(旦那様)でした。追放された天才没落令嬢は、最強の娘たちと共に「世界」を再構築中― - 第135話:【塩海】地中海の夕陽、三頭の竜
本文
地中海が、溶け始めていた。
行きに渡った時は一面の碧い塩の結晶だった。波もなく音もない、死んだ鏡のような平原。あの時はアークの量子浮揚ユニットで結晶面をホバー走行し、ナノマシン・クラーケンと死闘を演じた場所だ。
それが今、端の方から水が戻りつつある。
「……波よ。本物の波」
私はアークの展望窓に張り付いて、結晶の縁を洗う白い泡を見つめた。2000年ぶりに海水が流れ込んでいる。塩の結晶面と、じわじわと広がる透明な水面が、夕陽を受けてオレンジと碧のグラデーションを描いていた。
「Gaiaの再定義で海洋循環プログラムが再起動した。結晶化していたナノマシンが分解を開始し、塩分濃度が正常値に戻りつつある。数十年もすれば、ここはまた『海』になるだろう」
リュウガが地図を睨みながら淡々と解説する。
「数十年……。私たちが生きてる間に見届けられるかもね」
「ああ。Admin権限がなくなった今の俺は、普通の人間と同じ寿命だからな。数十年は……ちょうどいい」
その言葉に、胸の奥がきゅっとなった。不死の管理者ではなく、いつか死ぬ人間としてここにいる。それがリュウガの選んだ道だ。
感傷に浸っている暇は、この世界がくれなかった。
「母様、前方の結晶面に変化。行きに倒したクラーケンの残骸が海底で分解され、周辺の生態系が急速に変化しています」
ヴィオラがバイザーのデータを読み上げた。
「大型のナノマシン変異体が複数、結晶の下を移動中ですわ。クラーケンの残骸を餌にして肥大化した個体群と推定されます」
「……嫌な予感しかしないわね」
アークが結晶面をホバー走行で渡り始めた。行きと同じルート。だが海面が戻りかけている分、結晶の強度が不安定だ。カイルが慎重に速度を調整し、リディアのスカウト蜂が前方の亀裂を逐一報告する。
穏やかな航行が30分ほど続いた。夕陽が地中海を真っ赤に染め、溶けかけた結晶が宝石のように輝いている。こんなに綺麗な景色なのに、ファーファのセンサーが不穏な数値を叩き出していた。
『母様、下からの振動が3つに増えたお。しかも等間隔で接近してるお。これ、連携してるパターンだお……』
次の瞬間、空が割れた。
比喩じゃない。結晶面の向こう、夕焼けの空そのものに巨大な亀裂が走り、そこからナノマシンの粒子が渦を巻いて噴き出した。Gaiaの旧防衛プログラムの残滓が断末魔の暴走を起こしている。
そして、その渦の中から、3つの巨大な影が実体化した。
ナノマシン・ドラゴン。3体同時!!
「3体同時!? マジで!? 1体でも死にかけたのに!?」
私の絶叫に、ピッコが必死に冷静を装って応じた。
「落ち着きなさい、エリー。再定義後のドラゴンは旧版より出力が30%低下しています。その代わり3体の同期が完璧。1体が空を制圧、1体が海面を攻撃、1体がアーク本体を狙う連携陣形ですわ」
「30%低下しても3体いたら意味ないじゃない!」
「同期を断てば個別撃破できます。3体を繋ぐ同期信号の中継点を特定して破壊すれば――」
ピッコの解析が終わる前に、空のドラゴンが動いた。
翼を広げた巨躯が急降下し、口腔からナノマシンのブレスを吐いた。青白い光の奔流が結晶面を薙ぎ払い、アークの前方100メートルが一瞬で蒸発した。
「全車、散開ッ!」
カイルがハンドルを切り、10台のキャラバンが扇状に広がる。だが海面のドラゴンが結晶の下から巨大な尾を振り上げ、水柱と結晶の破片をキャラバンに叩きつけた。3号車の外装が砕け、ヴォルフの怒号が通信に響く。
「くそっ、3号車の浮揚ユニットに被弾! 高度維持が不安定だ!」
3体目のドラゴンがアーク本体に向かって突進してくる。結晶面を踏み砕きながら、4本の脚で地を蹴る姿は、空を飛ぶ竜というより荒野を駆ける猛獣だった。
「チェロ、テューバ! 正面を止めて!」
チェロの重力斧が地面を打ち、局所重力場が展開された。突進してくるドラゴンの前脚が重力に捕まり、速度が鈍る。テューバが無言でハンマーを構え、鈍った前脚を真正面から叩いた。衝撃波が結晶面を蜘蛛の巣状に砕く。
だがドラゴンは止まらない。重力場を力ずくで引き剥がし、再び加速する。
「オルガ、シールド!」
オルガがビットを全展開し、電磁シールドをアークの前面に張った。ドラゴンの頭突きがシールドに激突し、金属の悲鳴のような音が地中海に響き渡った。
混戦の最中、リュウガが私の手を握った。
「帰るぞ、必ず」
「約束よ。破ったらスパナで叩くから」
私はタクトを握り直した。
◇◆◇◆◇
「ピッコ、同期信号の中継点は!?」
「解析中ですわ! ヴィオラ、クララ、データを共有して! リディア様のドローンで3体の通信パターンを三角測量しますわ!」
ピッコが演算球体をフル回転させ、ヴィオラがバイザーで電磁波の流れを追い、クララがスカウト蜂から届く位置データを統合していく。リディアが100機のドローンを3体のドラゴンの周囲に散開させ、通信の波形を片っ端から拾い上げた。
その間にも、空のドラゴンがブレスを連射し、海面のドラゴンが結晶を砕いてキャラバンの足場を奪っていく。
「闇雲に突っ込んでも各個撃破されるだけですわ。3班に分かれます」
オーボエの冷徹な声がMNWを切り裂いた。ハルバードの石突が結晶面を打ち、統制音が全員の体内に響く。
「A班――チェロ姉様、テューバ、オルガ姉様。防御壁を展開しアークを守りながら地上のドラゴンを拘束。B班――コルネ、ユーフィ、ボーン、ルーテ、ハープ。空のドラゴンに対空戦闘。C班――ヴィオラ姉様、クララ。リディア様のドローン100機と連携し、同期信号の中継点を特定・狙撃」
一気に言い切り、さらに続ける。
「カイル殿、キャラバン全車の固定砲座を海面に向けてください。海中のドラゴンへの砲撃で行動を制限し、A班の負担を軽減します」
「了解。全車、左舷砲座を海面に指向! 弾種は徹甲弾、結晶面を貫通させろ!」
カイルの号令が飛び、10台のキャラバンの砲座が一斉に旋回した。
「セフィラ。あなたはアークの側で待機。同期が断たれた後の各個撃破が、あなたの本番ですわ。それまでは温存」
「了解。……最後に、全部片付けます」
セフィラが真紅の瞳を細め、振動剣の柄に手を添えた。
「わたくしは全体統制に徹します。3班の連携タイミングを0.01秒単位で管理しますわ。各班長はわたくしのカウントに絶対服従」
オーボエがハルバードを肩に担ぎ、全員を見回した。
(……この子に任せれば大丈夫ね)
私は内心で深く息を吐いた。末っ子のくせに、戦場の全体像を瞬時に把握し、全員の特性を活かした配置を組み上げる。いつの間にか、私がタクトを振るよりもずっと精密な指揮を執れるようになっていた。あの高飛車な口調の裏に、姉妹全員への深い理解と信頼がある。
この子がいる限り、うちの家族は負けない。
「「「「了解!」」」」
11人が3つに分かれた。
B班が結晶面を蹴ってバイクで空へ跳んだ。
コルネの炎がドラゴンの視界を焼き、ユーフィの衝撃波が翼を叩く。ボーンがランスのブースターで急上昇し、ドラゴンの下顎に一撃を叩き込んだ。ルーテとハープが影から翼の関節を狙い、ドラゴンの飛行を不安定にさせていく。
A班はアークを盾にして地上のドラゴンと対峙していた。チェロの重力場が前脚を縫い付け、テューバのハンマーが頭部を殴りつけ、オルガのビットが攻撃の隙間を電磁パルスで埋めていく。
海面では、カイル率いる従者隊の砲撃が集中した。10台の固定砲座から徹甲弾の雨が結晶面を貫通し、海中で爆発する。直接のダメージは小さいが、着弾のたびにドラゴンの突進が鈍る。その一瞬一瞬がA班の命綱だった。
C班のヴィオラとクララが、リディア様のドローン100機と連携して同期信号の波形を追い続けている。だが弾幕の嵐の中、解析は遅々として進まない。
「C班、まだ!?」
「もう少しですわ! ……あと5秒!」
ヴィオラが叫んだ。クララが鉄扇で風を読み、リディア様のドローンが最後のデータを送り込む。
「特定しましたわ! 中継点は3体のドラゴンの中心座標、高度200メートル!」
「200メートル!? 弾幕の一番激しい場所じゃない!」
だが、オーボエの声に迷いはなかった。
「全班、最終フェーズ。0.3秒の射線確保を全班に要求します」