第138話:【旋律】メロディの歌、世界を繋ぐ周波数
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
物理と知識で魔法世界を再定義!―拾った助手は2000年前の伝説の管理者(旦那様)でした。追放された天才没落令嬢は、最強の娘たちと共に「世界」を再構築中― - 第138話:【旋律】メロディの歌、世界を繋ぐ周波数
本文
クロノスを離れる前に、もう一箇所だけ寄りたい場所があった。
マルクの仮政府が置かれた中央広場。かつてジャッジメントが市民を番号で管理していた白亜の広場は、今や仮設のテントと手作りの看板で埋まり、雑然とした活気に包まれている。
その広場の片隅から、歌が聞こえていた。
メロディだ。
あの地下で、感情パッチのバグのせいで三つの音だけを口ずさんでいた女性。私がオルゴールを直して渡し、「メロディ」と名付けた彼女が、今は広場の中央に立って歌っている。
三つの音は、いつの間にか旋律になっていた。
歌詞はない。ただ声だけ。高く、低く、時に掠れて、時に澄み渡って。彼女の声が広場を満たすと、行き交う市民たちの足が止まった。配給の列に並んでいた男が顔を上げ、瓦礫を片付けていた女性が手を止め、走り回っていた子供が立ち尽くした。
音楽を知らない人々が、初めて「歌」を聴いている。
「……何だ、これ。胸の中が、揺れる」
列に並んでいた男が、困惑した顔で胸を押さえた。感情パッチで抑え込まれていた「揺さぶられる」という感覚が、音を通じて蘇り始めている。
「あれは先月から始まったんだ」
マルクが私の横に来て説明してくれた。
「メロディが歌い始めたら、聴衆が日に日に増えてな。最初は5人だったのが、今じゃ毎日200人は集まる。音楽が感情のリハビリの中心になってるんだ」
「リハビリ……」
「ピッコの嬢ちゃんが言ってただろ。脳内ナノマシンに直接刺激を与えると危ないが、音を介して少しずつ感覚を取り戻させるのが最適だって。メロディの歌は、まさにそれを天然でやってる」
私はメロディの横に立ち、壊れたままだった広場のスピーカーに手を触れた。配線が切れ、筐体にひびが入っている。直すのに5分もかからない。
ハンダごてを取り出し、断線した配線を繋ぎ直す。腐食した端子を磨き、ひび割れた筐体を予備パーツで補強する。最後にスイッチを入れると、スピーカーから微かなハウリングが響き、メロディの声が広場全体に広がった。
メロディが驚いて振り返った。自分の声が、目の前だけでなく広場の隅々にまで届いている。遠くのテントの影で座り込んでいた老人が顔を上げ、路地の奥にいた子供たちが走り寄ってきた。
ボーンがアークの上でソワソワしていた。
「あたしも実況で負けてらんない! あの声量、あたしのスピーカーに匹敵するんですよぉ!」
だが、メロディの静かな歌声の前で、ボーンは口を閉じた。
「……今日は、黙っとく」
ボーンが大人しく座った。コルネとユーフィが目を丸くして顔を見合わせていた。
◇◆◇◆◇
歌が終わった後、ピッコが動いた。
彼女はソフィアから預かった演算球体を中継ハブとして使い、アークの通信設備と接続し始めた。小さな指が虚空を走り、青い光の回路が広場の空に展開される。
「何してるの、ピッコ?」
「広域通信ネットワークの構築ですわ」
ピッコが振り返りもせずに答えた。
「この球体をハブにすれば、クロノス内だけでなく、検疫要塞を中継局として経由し、極東のセーラ様や南の守り人の集落とも接続できます。13,000キロ以上の超長距離ですから、音声のやり取りが精一杯。しかもノイズだらけで途切れ途切れ。……ですが、繋がることに意味がありますわ」
「世界中を繋ぐってこと……!」
「まだ糸電話に毛が生えた程度ですわ。ファーファの通信帯域をソフィア様が強化してくださった恩恵がなければ、そもそも検疫要塞までも届きません。テスト信号を送ります」
ピッコが球体に触れた瞬間、メロディの歌の録音データが光の粒子となって空に放たれた。クロノスから検疫要塞へ。要塞からカオスゾーンの中継点へ。中継点から極東へ。そして南の守り人の集落へ。
数千キロの距離を、何度もホップしながら。
数分後。球体が光った。
守り人の集落から、子供たちの声が返ってきた。ノイズ混じりで、途切れ途切れで、でも確かに聞こえた。
『きれ……な音が……こえた! ……これ、すごい!』
広場のスピーカーからその声が流れた瞬間、市民たちがざわめいた。遠い、遠い場所から届いた「知らない子供の声」。生まれて初めて聞く、自分たちの世界の「外」の声。
マルクが信じられないという顔で私を見た。
「音楽で世界が繋がるなんてな……」
続いて、極東からセーラの声が届いた。こちらはさらにノイズが酷く、単語の半分が潰れている。だが聞き取れた。
『……エリー……生きて……安心……報告……山ほど……帰って……覚悟して……』
「セーラ! 通じてるの!?」
『……聞こえ……わよ。……あと、バルガス殿が……問が……』
途切れた。13,000キロの超長距離通信。繋がったこと自体が奇跡のようなものだ。だが確かに、セーラの声を聞いた。帰りを待っている人がいる。
遠隔通信越しにソフィアの声も割り込んだ。こちらはクロノス内なのでクリアだ。
『ほう、プリシラの通信網がここまで届くとはのう。……マルクよ、そっちの物資状況を報告せい。こちらから技術支援の追加パッケージを送る準備がある』
「はいはい、おばあちゃん。データ送るから待ってくれ」
マルクがソフィアを「おばあちゃん」と呼んだことに、ピッコが一瞬だけ目を見開いた。
「……わたくし以外にもそう呼ぶ人間がいましたのね」
「ピッコ、あんたが広めたんでしょ?」
「だ、断じて違いますわ!」
◇◆◇◆◇
通信テストの喧騒が落ち着いた後、私は広場の隅で不思議な光景を目にした。
レプリカの一体が、立ち止まって歌を聴いていた。
白銀の甲冑。リュウガと同じ顔。胸には番号が刻まれている。管理者個体。感情を完全に去勢された、ジャッジメントの道具だったはずの存在。
だが、攻撃の意思はない。首を傾げ、何かを感じようとしている。メロディの歌声に反応して、その無表情な顔に、微かな――本当に微かな揺らぎが走った。
ピッコがそれを遠くから観測し、演算球体のデータを読み上げた。
「……感情パッチなしでも、音に反応している。ナノマシンの振動が脳幹レベルで微細な変化を起こしていますわ。……彼らにも、『心の種』はあるのですわ」
ピッコの声が、静かに震えていた。
「ピッコ?」
「……わたくしは、リュウガ『様』専属の医者でした。あの方一人を直すために2000年眠り、起きてからもずっとあの方だけを診てきた」
ピッコが広場を見回した。歌を聴く市民たち。名前を呼び合い始めた元番号の人々。そして、音に反応したレプリカ。
「でも今のわたくしの使命は、リュウガだけではありませんわ。感情を失った全ての存在を『直す』こと。エリーが機械を直すように、わたくしは命と心を直す。……それが、この旅で見つけた答えですわ」
リュウガが、ピッコの頭にそっと手を置いた。
「……立派になったな、プリシラ」
「名前で呼ばないでくださいまし。……照れますから」
ピッコが顔を赤くして俯いた。
◇◆◇◆◇
夕方。出発の準備を始めた私たちに、ファーファが通信ログを表示した。
『本日の通信接続テスト結果だお。クロノス~検疫要塞~極東セーラ様、接続成功。品質は最悪だけど繋がったお。クロノス~南の守り人集落、接続成功。こっちはまあまあだお。ピッコ姉が構築した中継ハブ、ちゃんと動いてるお!』
「ピッコの通信網が、分断された世界を繋ぐ最初の一歩になったわけね」
私はアークの甲板に出て、高くなった空を見上げた。300メートルの天蓋が消えた空は、夕焼けでオレンジに染まっている。その空の下で、メロディの歌声がまだ微かに聞こえていた。
リュウガが隣に来た。
「2000年経っても音楽は消えない」
リュウガが目を閉じた。その旋律はオルゴールの旋律。アリスが口ずさんでいた曲だ。
私はその横顔をそっと見つめた。
『……てぇてぇのサンプルとして保存しますわ』
ピッコの声がMNWに流れた。いつもの尊大な口調が戻っている。
「ピッコ! てぇてぇって、あんたいつの間にクララに感化されたのよ!」
「断じて感化などされておりません。学術的な観察記録ですわ」
『ピッコ姉が仲間入りだお! てぇてぇ観測チーム、新メンバー追加だお!』
ファーファの虹色の液晶がぱっと輝いた。
『歓迎しますわ、ピッコ様。観測データの共有、楽しみにしていますわ』
クララの声がMNWに滑り込み、ヴィオラが『解説はわたくしが担当しますわ』と名乗りを上げ、ボーンが『実況はあたしに任せろだよぉ!』と割り込んだ。
「いつの間にかてぇてぇ観測が組織化されてるじゃないのよ!」
私の絶叫を背景に、アークのエンジンが唸りを上げた。
広場ではメロディがまだ歌っている。その歌声は、ピッコの通信網を通じて、今この瞬間も世界の各地に届いている。ノイズだらけで、途切れ途切れで、完璧には程遠い。
でも、繋がっている。
音楽が、ふたたび共通言語になった日だった。
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