第139話:【餞別】ソフィアの手紙、レプリカに名前を
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
物理と知識で魔法世界を再定義!―拾った助手は2000年前の伝説の管理者(旦那様)でした。追放された天才没落令嬢は、最強の娘たちと共に「世界」を再構築中― - 第139話:【餞別】ソフィアの手紙、レプリカに名前を
本文
出発の朝は、あっけないほど穏やかだった。
クロノスでの滞在は三日。短いけれど、やるべきことは全部やった。マルクの自警団に戦い方を教え、ピッコの通信網を構築し、メロディの歌を世界に届けた。あとは、ここの人たちが自分の足で歩いていく番だ。
朝もやの中、アークの前に小さな影が浮いていた。
ソフィア・クロノス。残った演算球体1基に身を預け、地面から数センチだけ浮遊している。白金の長髪が朝風に揺れ、赤銅色の瞳が私たちを見上げていた。以前より顔色が白い。演算球体を11基も手放した代償が、確実に彼女の身体を蝕んでいる。
「見送りに来てくれたの?」
「当然じゃろう。猿嫁を見送らずに二度寝するほど、ワシは薄情ではないわい」
「猿って言うな」
いつものやり取り。でも、ソフィアの声にはいつもの張りがない。
「ソフィア。本当に、ここに残るのね」
「何度も言わせるでないよ。ワシがこの国の心を殺した。ならばワシの手で、心を返す手伝いをする。……贖罪じゃ」
ソフィアが演算球体を指先で弾いた。球体から小さな光の粒子が飛び出し、ピッコの手元の球体に吸い込まれた。
「何を……」
「餞別じゃよ。ワシの球体の演算パッケージを分割して、プリシラの球体と常時同期させた。どれだけ離れても、ワシとお前たちは繋がっておる。いわば『ホットライン』じゃ」
「ソフィア、これ以上球体を削ったら、あんたの身体が――」
「うるさいのう。ワシが何を贈ろうとワシの勝手じゃ」
ソフィアがぷいと横を向いた。2000歳の科学者の横顔が、一瞬だけ拗ねた子供に見えた。
それから、ソフィアはピッコに向き直った。
「プリシラ。お主に手紙を書いた。紙の手紙じゃ。データではなく、物理的な紙に、ワシの手で」
ソフィアが懐から、折り畳まれた一枚の紙を取り出した。古い、黄ばんだ紙。インクで書かれた文字が透けて見える。
ピッコが受け取り、開いた。
私はピッコの肩越しに覗き込んだ。ソフィアの筆跡は意外なほど丁寧で、一画一画に力が込められていた。
『プリシラへ。
お主はリュウガの医者じゃ。ワシよりあっちが大事なのは当然じゃろう。じゃから行け。ワシのことは心配するな。
お主はアリスの娘であると同時に、エリアーナの末っ子でもある。2000年前と今と、二つの家族を持てるのはお主だけじゃ。どちらも捨てる必要はない。どちらも、お主の居場所じゃ。
次に会う時は、もっと腕を上げておるじゃろうな。楽しみにしておるぞ。
あと、プリシラの寝言がうるさいから録音しておいた。「おばあちゃん、もう一個お菓子……zzz」と申しておった。証拠データはファーファに同期済みじゃ。
ソフィア・クロノスより』
「……クソババア」
ピッコが顔を真っ赤にして呟いた。手紙を握る指が震えている。泣いているのか怒っているのか、たぶん両方だ。
「よ、よよよ、余計なことをッ! 寝言の録音なんて、わたくしは断じて認めませんわ!」
「ほっほっほ。無駄じゃ。ファーファにも同期済みじゃからの」
『同期済みだお!(゚∀゚) ピッコ姉の寝言、永久保存だお!』
「ファーファァァァ!」
ピッコの絶叫が朝もやに響いた。
ソフィアがカラカラと笑い、それからふっと表情を和らげた。ピッコの頭に、皺だらけの小さな手を乗せた。見た目は12歳の少女だけれど、2000年の歳月が刻まれた手だ。
「……おばあちゃん」
ピッコが小さく呟いた。今度は悪態ではなく、ただの呼び名として。
「次に会う時は、もっと腕を上げて見せますわ」
「楽しみにしておるぞ、プリシラ」
ソフィアはリュウガに向き直った。赤銅色の瞳が、かつて自分とアリスが設計した「作品」を見つめている。
「リュウガ。エリーを泣かせたら、2000年分の演算で呪うからの」
「肝に銘じよう」
「……お主を作って一番良かったと思えるのは、今日じゃよ」
ソフィアの声が、微かに震えた。球体の光が揺れ、彼女の身体が僅かに傾ぐ。だがすぐに姿勢を正し、不敵な笑みを作り直した。
◇◆◇◆◇
ソフィアとの別れの余韻が残る中、もう一つの出来事が待っていた。
アークが発進準備に入った時、広場の向こうから白銀の影が近づいてきた。一体ではない。10体、20体、30体。街のあちこちで任務を遂行していたレプリカたちが、一人、また一人とアークの前に集まっていた。
攻撃の意思はない。武器も構えていない。ただ、まっすぐに私たちを見ている。
先頭の一体が、口を開いた。
「……名前を、くれ」
声は無機質だった。感情の揺らぎはほとんどない。だが、その「ほとんど」が重要だった。メロディの歌を聴いたあの日から、彼らの中で何かが動き始めている。
「名前を贈ってくれ。番号ではなく。……俺たちを、番号ではないものにしてくれ」
私は一体ずつ、顔を見た。同じ顔。同じ体格。でも、よく見れば一体ずつ微かに違う。立ち方の癖。首の傾げ方。瞬きの間隔。2000年間、番号で管理されながらも、個体ごとに蓄積された微細な「差異」がある。
一体ずつ、名前を贈った。左肩を庇う癖がある04には「ニーナ」を。反応が0.3秒だけ遅い07には「フィル」を。いつも他の個体の後ろに立つ15には「シャドウ」を。
そして、最後の一体。管理番号00。全レプリカの中で最初に製造された個体。
「あんたの名前は、ゼロ。番号の00じゃない。『ゼロ』という名前。全ての始まりを意味する名前よ」
ゼロの瞳に、光が灯った。感情と呼ぶには微かすぎる。だが確かに、何かが「ある」ことを示す輝き。
ゼロが、不器用な敬礼をした。腕の角度は歪んで、姿勢も完璧にはほど遠い。だがそれは、誰かに教わったのではなく、自分で「やろう」と思って初めて試みた動作だった。
横で見ていたソフィアが、赤銅色の瞳を細めた。
「ゼロよ。お主たちはもう兵器ではない。ワシがこの街の再建を技術面で支えるが、実際に動くのはお主たちの腕と脚じゃ。マルクの自治を助け、壊れたインフラを直し、市民を守れ。……ワシが、教えてやるからの」
ゼロが、ソフィアに向き直った。不器用な敬礼をもう一度。ソフィアが鼻で笑ったけれど、その目は笑っていなかった。真剣だった。
マルクの自治。ソフィアの技術支援。ピッコの通信網。そしてゼロたちレプリカの労働力と治安維持。クロノスの再建を支える四本の柱が、ようやく揃った。
マルクがアークの横に立ち、拳を差し出した。
「あんた、本当にお人好しだな。……でも俺がこうして立ってるのも、あんたがくれた名前のおかげだ」
私は拳を合わせた。三度目の、骨が触れる音。
「次に来る時は、もっとマシな街にしておくよ。ゼロたちにも、ちゃんとした仕事を覚えさせておく」
「期待してるわ、マルク」
◇◆◇◆◇
アークが動き出した。
窓の外で、名前を得たレプリカたちが立ち並んでいる。ゼロを先頭に、不揃いな敬礼で見送ってくれている。マルクがその横に立ち、背後にはヴォイスの面々。そして少し離れた場所で、演算球体1基に身を預けたソフィアが、小さく手を振っていた。
「ソフィアおばあちゃんとの常時接続チャンネル、開設完了だお!」
ファーファが虹色に回転しながら宣言した。
ピッコが手紙を白衣の内ポケットにしまった。紙の手紙。データではなく、物理的な紙。ハンダ付けと同じだ。物理的なものは、デリートできない。
「あのクソババア、最後まで余計なことばかり……」
ピッコの声は震えていた。でも、手紙を入れたポケットの上を、小さな手でぎゅっと押さえていた。
リュウガが私の隣で、バックミラーを見ていた。
「ソフィアは、大丈夫だろうか」
「大丈夫よ。あの人は2000年も一人で帝国を支えてきたんだから。……それに今は、マルクとゼロがいる。一人じゃない」
バックミラーの中で、クロノスの街が遠ざかっていく。高い空の下、名前を持つ者たちが自分の足で立ち、自分の手を振っている。ゼロの不器用な敬礼が、最後まで見えていた。
ソフィアの小さな影は、もう見えなくなっていた。
「さあ、次は検疫要塞よ。あそこを通って、カオスゾーンを抜けて、極東に帰るわ」
私は前を向いた。
まだ長い帰り道が続いている。でも、背中にはクロノスの四本の柱がある。マルクの意志と、ソフィアの知恵と、ピッコの通信網と、ゼロたちの新しい命。
直したものを、ちゃんと次の人に渡す。
それが修理屋の仕事だ。