第145話:【残照】帝国の残照、バルガスの拳
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あらすじ
物理と知識で魔法世界を再定義!―拾った助手は2000年前の伝説の管理者(旦那様)でした。追放された天才没落令嬢は、最強の娘たちと共に「世界」を再構築中― - 第145話:【残照】帝国の残照、バルガスの拳
本文
万里の長城を越えて2日。
景色が変わった。荒野に道がある。瓦礫を退かし、土を均し、人の手で作られた道だ。轍が残っている。キャラバンの車輪ではない。もっと細い——馬車の跡。
「道がある……」
アークの甲板から見下ろすと、道の両脇に杭が打たれ、等間隔で布の旗が結ばれている。色は薄い青。風に揺れるたびに、砂埃の中で小さく光る。
「帝国軍の道標ですわね。500メートル間隔、正確に配置されています」
オーボエが双眼鏡を下ろした。
「バルガスの部隊だ。軍をインフラ整備に再編したって通信で聞いたけど、本当にやってたのね」
旧ガレリア帝国領。かつて皇帝の傀儡政権が支配し、宰相ロジウスが暗躍した土地。私たちがガレリア帝都を発って——もう半年近くになる。あの時は戦争の真っ只中だった。今、同じ大地に道標が立っている。
『前方2キロに熱源反応だお。人型、12。馬型、12。武装あり——でも敵性反応じゃないお』
ファーファの報告に、カイルが砲座に手をかけたまま動きを止めた。
「……迎え、か」
砂塵が上がった。
12騎の馬が、こちらに向かって走ってくる。先頭の1騎が異様に速い。黒い軍馬に跨がった大柄な男——逆光で顔は見えないが、あの体格を見間違えるはずがない。
「——遅いぞ、修理屋ァ!」
先頭の大男。バルガスだ。
声が先に届いた。馬がアークの前で砂塵を巻き上げて止まる。黒い軍服は以前と同じだが、左袖に青い布が巻かれている。道標と同じ色。
馬から飛び降りたバルガスは、以前より少し痩せていた。頬の傷は増えている。でも目の光は変わらない。むしろ前より澄んでいる。
「バルガス……!」
私がタラップを駆け降りると、バルガスは巨大な手を差し出した。握手——じゃない。拳だ。
「英雄の帰還を、拳で迎えるのが軍人の礼儀だ!」
「聞いたことないけど、どこの礼儀よ、それ」
でも、拳を合わせた。硬い。バルガスの拳は岩みたいだけど、震えていた。……この人、ずっと待っていたんだ。
「あれ? オメガは?」
「帝都でスラムの再建指揮だ。あいつはあいつで忙しい。だが伝言を預かっている——『早く帰ってこい、馬鹿ども』だと」
「オメガらしいわね」
後ろから降りてきたリュウガに、バルガスが視線を向けた。一瞬、空気が張り詰める。この2人の間には、帝国を巡る長い因縁がある。
「……管理者。いや、元管理者か」
「ただのデータベースだ。今は」
「そうか」
バルガスが手を伸ばした。今度は握手だ。リュウガが無言で応じる。2人の手が重なり、離れた。それだけで十分だった。
「帝国の今を見ていけ。ほんの少しだが」
バルガスの護衛12騎がキャラバンの左右に並び、道標に沿って進む。旧帝国領の街が見えてきた。
瓦礫の街——だったはずだ。
壁は崩れたままの箇所もある。屋根のない建物もある。でも、その隙間に人がいた。石を積み直している男たち。木材を運ぶ女たち。そして——子供が、走り回っている。
「魔導炉を民生エネルギー装置に転用した。オメガの発案だ。あいつ、頭だけは良い」
バルガスが馬上から指さす先に、かつて帝国軍の兵器だった魔導炉が据えられていた。今は暖房と照明の動力源になっている。その周りで子供たちが遊んでいる。
「ロジウスの残党は?」
「掃討は終わった。ただ、降伏した連中の中に使える技術将校がいてな。今はオメガの下でインフラ整備に回している」
「敵を使うの?」
「技術に罪はない。使う人間の問題だ。——お前が教えたんだぞ、修理屋」
私が?
「壊すな、直せ。お前がクロノスでやったことは、もうこっちにも届いてる。ピッコの通信網のおかげだ」
バルガスが笑った。厳つい顔に皺が寄る。こんな顔で笑う人だったのか。
「ねぇねぇバルガスのおっちゃん! ボーンちゃんのこと覚えてる?」
「……おっちゃん言うな」
「ヴォルフと同じこと言ってる……」
ボーンがアークの窓から身を乗り出し、バルガスが眉間に皺を寄せる。後ろでヴォルフが「仲間だな」と笑い、リディアが「おじさん同盟ね」と呟いた。
キャラバンは街を抜け、南へ向かう分岐点に差しかかった。ここから先は王国領——アステリアへの道だ。
「ここまでだ」
バルガスが馬を止めた。
「俺の管轄は帝国領まで。王国はセーラ嬢の領分だ。……あいつ、毎日のように通信で催促してきてたぞ。『まだ着かないの』って」
「セーラらしい……」
「伝えておけ。帝国は立っている。まだガタガタだが、自分の足で立っている、とな」
バルガスが拳を掲げた。12騎の護衛も同時に拳を上げる。帝国軍式の敬礼。
私も拳を上げた。シスターズが、カイルの部隊が、ヴォルフとリディアが——全員が、拳を上げた。
「——また来るわ。壊れたら直しに」
「いいや、壊れる前に呼ぶさ。点検って言うんだろう、それは」
バルガスが馬を返した。砂塵が舞い、12騎の影が北へ遠ざかっていく。
青い道標の旗が、風に揺れていた。
南の空に、アステリアの方角がある。
「ファーファ、王都アステリアまでの距離は?」
『直線距離で約800キロだお。道標ルートを辿れば……3日ってところかな』
「3日——」
あと3日で、帰れる。
リュウガが隣に立った。
「エリー」
「なに?」
「……帰るぞ」
ただそれだけ。でも、その声は少しだけ震えていた。二千年。この人がどれだけ長い時間を過ごしたか、私には想像もつかない。その二千年の旅の終わりが、あと3日先にある。
「——帰りましょ!」
キャラバンが南へ動き出した。バルガスが作った道の上を、10台の車輪が回る。
空は、高い。300メートルの天蓋はもうない。どこまでも蒼い空が広がっている。