配信11回目 おろしたはずの通知【後編】
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます - 配信11回目 おろしたはずの通知【後編】
本文
「ぬい! 書くもの!」
「あるかそんなもん!」
『使え』
朔夜さくやの声と同時に、黒い線の先から細い釘みたいなものが落ちてきた。
"原版追跡釘"オリジン・スパイクだ。
「え、これで書くの!?」
『贅沢言うな』
「書記具の治安が悪い!」
私は半泣きで、その釘を欄へ突き立てた。
紙じゃない。
感触は、もっとぬるい。
でも書ける。
相談者たちから聞いた名前。
レイン履歴。
送金記録。
途中まで書かれて消えていた名前。
私はそれを、片っ端から"父親欄"へ打ち込んだ。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
書くたびに、部屋のどこかで女の呻き声みたいな息がほどける。
「確認」
怪異かいいが揺れる。
「確認、不要」
「確認、不要」
「確認、不要」
「そうだよ」
私は吐き捨てた。
「もう女の側だけ確認して待たせるの終わり」
最後の一枚へ、いちばん太い名前を書く。
たぶん斡旋あっせん役。
たぶん一番多くを宙吊りにしてきたやつ。
その瞬間、中央の怪異の腹に開いていた空白が、ばちん、と音を立てて閉じた。
同時に、部屋の奥から無数の声が噴き出す。
男の声だ。
ちがう、俺じゃない
ちゃんと話すつもりだった
お金は払った
合意だった
俺の人生終わるんだけど
「知るかよ」
私は本気で言った。
「こっちも終わってんだよ」
その一言で、待合室全体がひび割れた。
ビニール椅子が崩れる。
受付窓口が横に裂ける。
透明ポケットの中の書類が、いっせいに紙吹雪みたいに舞い上がる。
ぬいが叫ぶ。
「今じゃ! 核が裸になった!」
中央の怪異の胸元。
そこだけ、白いエコー写真が一枚、他より濃く残っている。
たぶん最初の傷。
最初に"終わったこと"にされた起点。
『影森かげもり』
朔夜が言った。
『それを破れ』
「雑!」
『今さらだろ』
「くそ!」
私は"原版追跡釘"オリジン・スパイクを握り直して、その写真へ突き立てた。
びし。
乾いた音がする。
エコー写真に亀裂が走る。
その瞬間、朔夜の声が重なった。
『"再帰封止"ループ・ロック』
『"拡散停止"スプレッド・ロック』
『"記録焼却"ログ・イレイズ』
黒い線が、部屋の中心へ一気に収束した。
白い紙の怪異が、初めて悲鳴みたいな音を立てる。
でもそれは、赤ん坊の声じゃない。
通知音。
既読の音。
送金完了音。
自動受付音。
それが全部まとめて壊れる時の音だ。
待合室の椅子に座っていた女たちの輪郭が、少しずつほどけ始める。
泣いてはいない。
叫んでもいない。
ただ、長く止めていた息を、ようやく吐けたみたいな顔をしていた。
その中のひとりが、私を見た。
今度は顔が少しだけ見えた。
知らない人だ。
でも、年齢も、服も、時代も、たぶんひとりじゃない。
「……父親欄」
その人が言う。
「空白じゃなくなった」
「うん」
私は答えた。
「だから、もう待たなくていい」
それが正しい答えかどうかなんて分からない。
でも、その人は少しだけ頷いて、すぐに紙片みたいにほどけて消えた。
待合室が崩れる。
床が抜ける。
天井の通知光が落ちる。
受付窓口が裏返る。
ぬいが私の肩へ飛びついた。
「帰るぞ!」
「どうやって!?」
「知らぬ! でも今帰らねばまた向こうに落ちる!」
『影森』
朔夜の声が近くなる。
『線を掴め』
見ると、黒い処理線の一本だけが、私の目の前まで下りてきていた。
ロープみたいにも見えるし、ひび割れみたいにも見える。
私はそれを掴んだ。
冷たい。
でも、今までの白い手ほど嫌じゃない。
『引く』
「雑!」
叫んだ瞬間、世界が裏返った。
白い待合室。
紙の怪異。
父親欄。
全部が一気に遠ざかる。
代わりに、喉が焼けるみたいに痛くなった。
息が。
入る。
でも痛い。
むせる。
苦しい。
生きてる感じが、ぜんぶ最悪な形で戻ってくる。
私は床へ叩きつけられた。
「――っ、ごほっ!」
咳き込む。
喉が痛い。
腹の奥が気持ち悪い。
でも空気は入る。
視界の端に、夜の校舎の床が見えた。
旧相談室の前だ。
ハンディカムは少し離れたところでまだ回っている。
ぬいは私の胸の上に落ちてきて、ぐえっと潰れた声を出した。
「お、おぬし……っ、重い! 死んで戻ってきた直後に遠慮がない!」
「お前が先に乗ったんだろ……!」
「そういう問題ではない!」
上から、足音が駆けてくる。
速い。
でも無駄がない。
次の瞬間、朔夜が視界に入った。
黒い上着。
いつもの気だるい顔。
でも目だけが、まったく笑ってない。
「……戻ったか」
「その確認、軽っ」
「軽く言わないと重いだろ」
「名言ぶるな……」
朔夜はしゃがみこんで、私の喉元へ二本指を当てた。
脈を確認する。
それから、ほんの少しだけ息を吐いた。
「一回止まって、戻った」
「毎回その"戻った"をコンビニ感覚で言うなよ……」
「請求は後で行く」
「やっぱりそこは元気なんだよな!」
るなが、泣きそうな顔で廊下の角から飛び込んできた。
「ゆらちゃぁぁん!」
「うわ近い」
「だってまた死んでたもんんん!」
「だから言い方!」
「でも死んでたぁ……!」
「まあ、それはそう」
幽々ゆゆは少し遅れて来た。
息は乱れていない。
でも顔色が悪い。
「……終わった?」
「一応な」
朔夜が立ち上がる。
「表層は潰した。待機列も切った」
「男側は」
幽々が聞く。
朔夜は、ほんの少しだけ口元を歪めた。
「今ごろ、自分の端末で自分の名前を見てる」
「……最低」
「そうだな」
私は床に転がったまま、半分だけ笑った。
「ざまあ」
「おぬし、品がないのう」
ぬいが言う。
「でも今のはちょっと同意じゃ」
「お前も十分品ないよ」
るながしゃくりあげながら、私の手を握る。
「ゆらちゃん……もう、そういうの、やだよぉ……」
「私もやだよ」
「でも行くんでしょぉ……?」
「報酬次第かな……」
「懲りろ!」
朔夜が、落ちたままだったハンディカムを拾い上げる。
液晶には、最後の数秒が残っていた。
私が"原版追跡釘"オリジン・スパイクを突き立てたところ。
黒い線が落ちたところ。
そして待合室の女たちの輪郭が、少しずつ薄れていったところ。
朔夜はそれを数秒だけ見て、すぐに電源を切った。
「残すの?」
幽々が聞く。
「一部だけだ」
朔夜が答える。
「全部残すと、また入口になる」
「じゃあ、相談者たちは」
「通知は止まる。鏡も薄くなる」
「薄く、か」
「消えはしない」
その言葉に、全員が少しだけ黙った。
そうだ。
消えない。
怪異は潰せても、起きたことそのものは消えない。
妊娠したことも。
終わったことにされたことも。
待たされた時間も。
言えなかったことも。
全部きれいにはならない。
でも、それでも。
「父親欄だけ女側で持たされるより、まだマシだろ」
私は天井を見ながら言った。
朔夜は少しだけ目を細めた。
「今回はな」
「今回は、って予防線張るなよ」
「仕事だ」
「お前ほんとロマンないな」
「あると死ぬ」
「それはそう」
るなが涙声のまま笑う。
幽々は口元だけほんの少し緩める。
ぬいは私の腹の上で偉そうに座り直した。
夜の校舎の空気はまだ冷たい。
でも、さっきまでみたいな"呼ばれる感じ"はもう薄い。
私はゆっくり息を吐いた。
喉は痛い。
腹の奥も気持ち悪い。
でも生きている。
生きていて、最悪で、だからまだ文句が言える。
その時。
ぶる、と幽々のスマホが震えた。
全員、止まる。
「出すな」
朔夜が即答した。
幽々は無言で画面を見る。
レイン通知。
送り主不明。
本文は一行だけ。
『確認ありがとう。次は出生届しゅっしょうとどけです』
「…………」
るなが涙目のまま固まる。
私は床に寝たまま顔をしかめた。
「……終わってねぇじゃん」
「当たり前じゃ」
ぬいが言う。
「こういう類は、次の書式を持ってくる」
「役所みたいに言うなよ……」
「役所みたいな顔をしとったしの」
朔夜は幽々のスマホを取り上げて、その場で通知を削除した。
削除して、電源まで落とす。
「今日はここまでだ」
「珍しく優しい」
「違う。続けるとまた開く」
「やっぱり優しくない」
でも、その言い方が今は少しだけありがたかった。
私は起き上がろうとして、盛大によろけた。
るなが慌てて支えようとして、逆に一緒にぐらつく。
ぬいが巻き込まれて文句を言う。
ぐだぐだだ。
最悪の案件のあとに、最悪の団子みたいな帰還になる。
それでも、さっきの待合室よりはずっとましだ。
「帰るぞ」
朔夜が言う。
「うん」
幽々が答える。
「帰ろぉ……」
るなが鼻をすすりながら言う。
「報酬……」
私は言った。
朔夜が振り返る。
「そこか」
「大事」
「死にかけて一発目がそれ?」
「生きてる証拠だろ」
「最低」
幽々が小さく言った。
「でも、ちょっと安心した」
私はその言葉に、少しだけ笑う。
「だろ」
夜の廊下を歩く。
非常灯ひじょうとうの白さ。
窓ガラスに映る影。
足元の冷たさ。
全部まだ気持ち悪い。
でも、もう"順番待ち"の気配はなかった。
校舎の外へ出た瞬間、春の終わりみたいな風が頬を撫でる。
私はその風を吸い込んで、咳き込んで、結局また最悪だと思った。
それでも。
待合室に座らされてるだけよりは、ずっとましだった。