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配信16回目 闇バイトの報酬は届かない ――帳簿の余白が減っています

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/5/1 📚 シリーズ: 影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます 📝 7,449文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます - 配信16回目 闇バイトの報酬は届かない ――帳簿の余白が減っています

本文

カフェの窓際の席で、私は目の前の光景に軽く引いていた。

 テーブルの向かいに座っている夜宵やよいるなは、142センチの小さな体に似合わないペースで四品目のチーズケーキを平らげようとしている。

 パンケーキ。ワッフル。クリームソーダ。そして今このチーズケーキ。私のほうは、アイスラテがまだ半分残っている。

「るな、もう四品目なんだけど」

「え〜? まだ全然いけるよぉ~」

「その体のどこに格納してんの」

「べつばら〜」

「別腹にも容量ってもんがあるだろ普通」

 るなは気にせず、フォークの先でチーズケーキの最後のひと切れを刺す。大きなたれ目をきらきらさせながら口に運ぶ姿は、確かにかわいい。かわいいけど理屈がおかしい。この小柄で華奢な体のどこにこの食事量が吸い込まれているのか、物理法則への挑戦を見ているみたいだ。

「ゆらちゃんもっと食べなよぉ」

「私のバイト代だと、このラテ一杯が限界」

「バイト変えたらぁ?」

「変えたいよ! 変えられるなら変えてるよ!」

 るなの前でバイトの愚痴をこぼすのはいつものことだ。もちろん、「死んだり蘇生されたりする」部分は言えない。「上司がクズ」「時給がありえない」「経費を自腹にされる」あたりまでは全部事実なので、そのまま話す。

「ゆらちゃんの上司ってほんと最悪だよねぇ」

「ほんとにね」

「でも顔はいいんでしょぉ?」

「顔だけはね」

「いいなぁ〜」

「よくない。顔がいい分タチが悪い」

 るなはチーズケーキの皿をきれいに空にして、メニュー表にまた手を伸ばした。

「あ、ゆらちゃん、もう一個頼んでいぃ?」

「……何」

「ティラミスぅ」

「五品目!?」

「だってぇ、甘いのとしょっぱいのは別だしぃ、チーズケーキとティラミスも別だしぃ」

「別カウントの基準がゆるすぎるだろ」

「その栄養どこ行ってんだよ」

「えへへ〜」

 笑ってごまかした。答えになってない。でもこの子がにこにこ食べてるのを見てると、なんか安心する。理屈は分からないけど、るなが普通に食べてるうちは世界がまだ平和な気がする。

 カフェの店員がおかわりを持ってくる。「またか」の目は、もう馴染なじみの反応だった。

 このまま、るなが甘いものを片付けるのを眺めていたかった。

 こういう時間が、私にとっては一番大事だ。

 ――スマホが震えた。朔夜さくやからのレイン。

「戻れ。仕事」

 絵文字もスタンプもない。人の心がない。

「……」

「どったのぉ?」

「クズ上司から召集」

「え〜、かわいそぉ。ティラミスまだ来てないのにぃ」

「そこが問題じゃないんだけど」

 るなは私の手を両手でぎゅっと握った。小さくてあったかい手。

「がんばってねぇ。死なないでねぇ」

 それ、冗談ですまないんだよなぁ、と思いながら、私は少ないお小遣いから会計を済ませて事務所に向かった。

 ――――――

 事務所の扉を開けると、見覚えのある柄シャツの男がソファに座っていた。

 銭原ぜにはら呪助じゅすけ。

 派手な柄シャツにくたびれたジャケット。細いサングラスを頭に乗せて、金歯がひとつ、照明を拾って光っている。片耳のピアス。細いヒゲ。一見すると妙に人懐っこいが、目が笑っていない。

 いつ見ても胡散臭い。この人がまともな用事で来たことは、一度もない。

「おう、お嬢ちゃん。久しぶりやないか」

「銭原さんが来ると大体ろくなことないんだよなぁ」

「ひどいこと言うなぁ。うちは良心的やけん」

「良心的ぼったくりの人に良心的って言われても」

「ぼったくりちゃう。適正価格に愛情乗せとるだけばい」

「愛情を金額に変換するな」

 朔夜は机に足を乗せたまま、画面から目を上げない。

 銭原が朔夜のほうへ向き直った。今日はどこか、いつもの陽気さの下に焦りが混じっている。テンポがいい口の回りかたは同じなのに、間合いが少しだけ短い。

「朔夜、ちょっと仕事がある。俺じゃ手ぇ出せん案件や」

「珍しいな。お前が手を出さないのは」

「手を出したらまずい案件、ちゅうほうが正しかばい」

 朔夜の目が動いた。銭原の言い方ひとつで温度を読む、あの嫌な勘の良さが出ている。

 内容はこうだった。

 ダークウェブ上の闇オークションに、本物の呪物が出品されている。出品者は素人。闇バイトで「古い建物から箱を回収してこい」という依頼を受けた若い男が、回収した箱を勝手に開けて、中身の画像をネットに上げた。

「それが封帯箱ふうたいばこや」

「なにそれ」

「開けたら終わる箱。周囲に怪異を呼び込む封印済みの怪異容器。封印が解けた状態で画像が出回っとるから、見たやつにまで影響が広がり始めとる」

「闇バイトで呪物回収って、どういう世界観」

「お嬢ちゃん、この世界ちゅうのはな、なんでも金になるとよ。呪いでも怪異でも、値段がつけば商品ばい」

 銭原は笑っている。でも目が笑っていない。

「なんで銭原さんがそれ知ってるの」

「そら、うちも商売やけんな。市場に変なもんが出たら気ぃつくとよ」

 朔夜が低く聞く。

「出所はどこだ」

 ほんの一瞬、銭原の口が止まった。この男の口が止まるのを見たのは初めてかもしれない。

「……昔の知り合いの倉庫みたいなもんや。とっくに潰れとったと思うとったばってん」

「お前の知り合い」

「まあ、そういう時期もあったちゅうことやな」

 それ以上は喋らない。でも「時期」の二文字に、銭原の人生のどこかの扉がちらっと見えた。

 銭原はゆらを見る。

「お嬢ちゃん、あんた向こう側入れるやろ。箱ん中にまだ人がおるかもしれん。闇バイトで入ったガキが、出品止まったまま三日行方不明や」

「なんで私の体質知ってるの」

「商売人はな、商品の性能くらい覚えとくとよ」

「私は商品じゃないんだけど」

「そうやな。商品にしては文句が多かばい」

 朔夜が報酬の話を振った。銭原が渋る。いつもの値段交渉だ。

「経費込みで六十万」

「高か」

「お前の古巣のケツ拭きだ。安いだろ」

「古巣言うな。四十万」

「五十五」

「四十五。端数は嬢ちゃんの危険手当で切り上げたる」

「私の危険手当で交渉するな!」

 今日は銭原のほうが折れるのが早い。五十万で手打ち。それが余計に気持ち悪い。いつもならもう二往復は粘る男が、あっさり金を出した。

 朔夜もそれに気づいている。目が少し細くなった。

 ――――――

 真琴まことに連絡し、ダークウェブの出品ページを確認させた。

「出品者のアカウント、三日前からログインなしです。最後の書き込みが"箱から音がする"。以降の投稿ゼロ」

 声が平坦だが、真琴なりの緊張が混じっている。数字と画面の向こう側の恐怖は、この人がいちばん正確に計る。

「画像の閲覧数は」

「二千超え。コメント欄に"見たら耳鳴りがする"って書いてる人が複数。転載も始まってます」

 朔夜が舌打ちした。

「"拡散停止"スプレッド・ロックが先か。面倒だな」

「面倒で済む話じゃないと思うんだけど」

「面倒は面倒だ。本体を潰さないとネットに散った分は止められない」

 槙野まきの経由で出品者の住所を特定。行方不明届が出ている。築年数のいった単身アパート。

 夜。

 私たちはそのアパートの前に立っていた。

 鉄骨造の古い建物。外廊下の蛍光灯が半分切れていて、錆びた手すりの向こうにベランダが並ぶ。生活感はあるのに、どこか息を止めたみたいな静けさがあった。

 出品者の部屋は二階の角。鍵は開いていた。

 中に入る。

 散らかった部屋だった。コンビニ弁当の空箱。脱ぎ捨てた服。充電器がいくつも差しっぱなし。若い男のひとり暮らし。生活は雑だが、致命的に荒れているわけではない。ただ、三日間誰も戻っていない空気だけが濃く沈んでいた。

 部屋の中央に、箱がある。

 木製。片手で持てるくらいのサイズ。側面に札のような文字が残っているが、半分剥がれている。蓋は開いたまま。

 壁が、微かに脈打っている。

「……なんか、デジャヴなんだけど」

 ※配信1回目「壁の向こうで拍手する部屋」参照

 でも今回は壁じゃない。脈打っているのは箱の内側だ。蓋の向こうが暗い。覗き込むと、箱の底が見えない。見た目のサイズと、中の奥行きが合わない。境界が箱の中に畳み込まれている。

「朔夜、これ中が広い」

「だろうな。封帯箱は境界を折り畳んで収納する呪具だ。蓋が開いた時点で、中の境界も開いている」

「それ先に言って」

「言った。お前が聞いてなかった」

「聞いてない時に言ったなら言ってないのと同じ!」

 朔夜が"封域指定"エリア・ロックを起動する。部屋を封鎖し、箱の境界がこれ以上広がらないようにする。

「影森、入れ」

「やっぱり私なの」

「お前以外に入って戻ってこれるやつがいない」

「最悪の理由で選ばれてる」

 肩にぬいが飛び乗った。灰白色のふわふわした毛が、薄暗い部屋で少し光っている。

「わしも行くぞ」

「頼れる?」

「匂いくらいは嗅ぐ」

「くらい、って自分で言った」

「偉そうに言うな小娘」

 でも、いてくれるだけで少しだけマシな気がする。それがまた腹立つ。

 ――――――

 箱の縁に手をかけて、足を踏み入れた。

 落ちる感覚はない。ただ、足裏の感触が変わった。フローリングだったのが、コンクリートになった。温度が下がる。空気が乾いている。

 目を開ける。

 倉庫だった。

 金属の棚がいくつも並んでいて、棚には番号札のついた箱が何十個も整然と置かれている。天井は高い。蛍光灯が何本かついているが、半分以上は切れていて、棚の間に長い影が落ちている。

 温度管理の計器が壁に残っている。分類ラベル。管理台帳の跡。棚のひとつひとつに、手書きの記録が貼られている。

 ここは個人の持ち物じゃない。

「……こんなの、一人でやるわけないじゃん」

 誰かが、組織的に、怪異を保管していた。それも相当な数を、相当な期間にわたって。棚のラベルには日付が入っていて、古いものは十年以上前のものもある。

「匂うのう」

 ぬいが鼻をひくつかせる。

「怪異の残り香がぎっしりや。全部が生きとるわけやないが、眠っとるもんがおる」

「起きないでほしいんだけど」

「祈っとけ」

「祈りで解決する案件だったことある?」

「ない」

「だよね!」

 棚の奥を進むと、うずくまっている人影が見えた。

 若い男。二十歳前後。スウェットにスニーカー。生きている。だが目の焦点が合っていない。半分、向こう側に引き込まれた状態。境界と現実の間で意識がぐらぐらしている。

「大丈夫? 聞こえる?」

「……バイトで来ただけなのに」

「うん、うん」

「箱開けたら、出られなくなって……。報酬、まだ振り込まれてない……」

 こんな状況で給料の心配をしている。笑えない。笑えないけど、気持ちは分かる。私だって時給三百円で死後勤務させられてるんだから。

「連れ出すから、立てる?」

「……がんばる」

 男の腕を肩に回して立ち上がらせる。重い。でも動ける。

 ぬいが先行して匂いを嗅ぐ。

「奥じゃ。封印の核はいちばん奥にある」

 保管庫の最奥。棚が途切れた先に、古い木製の台帳が置かれていた。

 分厚い。革の表紙。開くと、筆書きの回収品リストがびっしり並んでいる。品名、回収日、保管番号、状態。何十ページにもわたる記録。これが空間を維持する核になっている。台帳が「ここは倉庫である」と定義し続けることで、境界が開いたまま保たれている。

『見えてる。台帳が核だ。情報を送れ』

 通話越しの朔夜の声。

「台帳。革の表紙。中は筆書きのリスト。棚の配置図みたいなのもある」

『十分だ。外から閉じる。離れろ』

 朔夜が封印処理を開始する。空間が軋む。棚が震え、蛍光灯がちかちかと明滅した。

 私は闇バイトの男を引きずりながら、出口——箱の開口部に向かって走る。

 あと少し。

 箱の縁が見えた。

 その瞬間、足が止まった。

「っ——?」

 引っ張られている。足首じゃない。体の芯のもっと深いところを、倉庫全体が吸い込もうとしている。保管庫の管理システムが、私の体質を検知している。向こう側との親和性。壊れずに入ってこれる魂。

 箱が、私を「新しい管理者」にしようとしていた。

「足が——動かない!」

「引かれとる!」ぬいが叫ぶ。

 闇バイトの男を片手で掴み、もう片方の手で箱の縁にしがみつく。ぬいが私の裾に噛みつくが、軽すぎる。全然足りない。

「朔夜!」

『聞こえてる』

 "収益変換"マネタイズ。

 朔夜が札束を燃料に変換した。光が粒子になって箱の縁から流れ込み、私を引き留めている力と正面からぶつかる。

 がん、と見えない壁が割れた感触。

 体が自由になる。

 私は男を抱えたまま、箱の外へ転がり出た。

 コメント欄が荒れている。

《またJK死ぬ?》

《札束燃えた》

《経費で落ちる?》

《赤字》

「落ちない」と朔夜が呟いた。たぶんコメントに答えたんじゃなくて、自分の財布の話をしている。

 私は床に転がったまま、しばらく動けなかった。心臓が一回止まった気がする。いや、実際に止まっていたらしい。

 朔夜が蘇生処理をかける。胸が強く痛む。

「がっ……!」

「応急蘇生。最低限だ」

「先に……心配、とか……」

「赤字だ」

「最低……」

 いつもの流れ。いつもの最悪。

 闇バイトの男は槙野に引き渡した。意識は戻っている。「報酬、振り込まれますかね」と槙野に聞いていた。槙野は疲れた顔で「振り込まれない」と答えていた。正しい。

 ――――――

 案件終了後。事務所で後処理をしている最中、銭原が回収された台帳を手に取った。

 ページをめくる。筆書きのリスト。分類番号。日付。

 銭原の笑顔が消えた。

 一瞬だけ。でも確かに消えた。

「……まだ残っとったんか、これ」

 朔夜が詰める。

「知ってたな。出所」

「知っとったちゅうか……昔おった場所のもんやな。もう畳んだ思うとったばってん、箱だけ生きとったか」

「それだけか」

「今はな」

 銭原は誤魔化す。いつもの口の回りかたが、このときだけ半拍遅れた。目が泳がないのは、この男の嘘の付き方が上手いからだ。でも嘘を付くタイミングのほうに、本音が出る。

 帰り際、銭原が私のそばを通りがかった。

 小さな声だった。

「お嬢ちゃん」

「なに」

「あんまり便利に使われすぎんようにな。あんたみたいなんは、目ぇつけられたら面倒ばい」

 冗談なのか本気なのか。銭原の口元は笑っているのに、声だけが笑っていなかった。

 扉が閉まる。銭原の足音が階段を降りていく。

 朔夜は何も言わなかった。

 ――――――

 蘇生直後の体は、いつも泥の中を歩いているみたいに重い。

 朝夜に「帰っていい」と言われて、夜の道をひとりで歩く。コンビニで温かいものでも買おうと思った。

 街灯が並ぶ通りに出た。車の音が遠い。空気が冷たい。人通りはまばらで、高架の影がアスファルトに長く伸びている。

 ふと、隣に人がいることに気づいた。

 いつからいたのかわからない。足音がしなかった。

 街灯の下。白っぽい髪が淡く光っている。白に近い銀か、薄い藤色がかった灰。肩くらいの長さで、きちんと整えられている。薄いコートに白いシャツ。スラックス。清潔だけど、どこか時代のズレた着こなし。ファッション雑誌で見たことのない組み合わせなのに、不思議と違和感がない。

 顔が、やけにきれいだ。

 きれい、というのは「美人」とも「イケメン」とも違う。男なのか女なのか一瞬で判断がつかない、整いすぎた顔。肌が透けそうなくらい白い。穏やかな目元。薄い琥珀みたいな瞳が、街灯の光を拾って少しだけ光る。微笑んでいる。

 身長は私より頭ひとつ高い。でも朔夜みたいな圧迫感はない。そこにいるのに空気を押していない、不思議な存在感。

 ——なんだろう、この人。怖くはない。でも心臓が一拍だけ止まった。

「影森かげもりゆらさん、ですね」

 丁寧語。穏やかな声。低くもなく高くもなく、どちらとも取れる声。

「……誰ですか」

「鬼灯ほおずきと申します。少しだけ、確認をさせていただきに」

 手元に小さな白い手帳があった。パスポートくらいのサイズ。白い革の表紙。いつの間に取り出したのか、見ていなかった。

 手帳を開く。中身が見えた。

 正の字が並んでいる。何列も、何段も。几帳面な筆跡で、ひとつひとつがきっちり五画。

 本数が——多い。

「現在の未清算回数は七回です。猶予は残っていますが、ペースが少々早いですね」

「何の、話……?」

「お仕事で何度も亡くなられていますよね。その分の帳尻が、まだ合っていないんです」

 背筋が冷える。意味がわかるようなわからないような。でも本能だけが「やばい」と言っている。さっきまでの蘇生後の倦怠感が、一瞬で吹き飛んだ。

「死ぬたびに、誰かが帳簿を書き直して、あなたを戻しています。それ自体は結構なことですが、戻す回数には上限がありまして」

「上限」

「はい。あなた個人の枠を超えた場合、お近くの方から順に——調整が入ります」

「調整って、何」

「帳尻を合わせるということです。あなたが返しきれない分を、あなたの近くにいる方に」

 るなの顔が浮かんだ。幽々ゆゆの顔が浮かんだ。

 鬼灯は手帳を閉じて、微笑んだ。さっきと同じ表情。穏やかで、丁寧で、どこまでも事務的。怒っていないし、脅してもいない。ただ仕組みを説明しているだけ。それが余計に怖い。

「今日は確認だけです。まだ大丈夫ですよ」

「まだ、って……」

「次に亡くなられる時は、少しだけ気をつけてください。帳簿の余白が、だいぶ減っていますので」

 そう言って、鬼灯は歩き去る。振り返らない。

 足音がしない。最初からなかったみたいに。気づいたら、街灯の下に私だけが残っていた。

 コンビニの明かりが視界の端で光っている。車の音が戻ってくる。世界は何も変わっていない。

 でも私の背中だけが、まだ冷たかった。

 ――――――

 事務所に戻った。体はもう限界だったけど、これは今言わないとだめだと思った。

 朔夜はまだ機材を片付けていた。

「朔夜、さっき変な人に会った」

「変な人」

「帳面持ってて。正の字がいっぱい並んでて、私の死亡回数を知ってた。未清算がどうとか、猶予がどうとか」

 朔夜の手が止まった。

 機材を持ったまま、ゆっくりとこちらを見る。

「……どんな顔だった」

「えっと……すごくきれいな人。男か女かわかんなくて、丁寧語で、すごく穏やかで」

「名前は」

「鬼灯、って」

 長い沈黙。

 朔夜がこんな顔をするのを、私は見たことがなかった。怒っているのか、焦っているのか、それとも——怖がっているのか。この男が何かを怖がるところなんて、初めて見た。

「影森。あいつに会ったら逃げろ」

「え、でも優しそうだったよ? 朔夜より全然——」

「俺より優しかったから逃げろって言ってる」

 その声が低すぎて、私はそれ以上何も言えなかった。

 帰り道、スマホの画面を見た。るなからレインが来ていた。

「ティラミスおいしかったよぉ〜 ゆらちゃんの分も食べちゃったぁ〜」

 添付画像は、空の皿が六枚並んだ写真だった。

 私は、その六枚の皿を見て、ちょっとだけ泣きそうになった。

 るなが普通に食べてる。それだけで世界がまだ平和に見える。

 でも、帳簿の余白は、減っている。

 つづく

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作者について

勇者ヨシ君

勇者ヨシ君

愛知県安城市で「ギルド酒場るすと」というゲームバーをやりながら、小説を書いています。 レトロゲーム、ボードゲーム、シーシャ、酒場の空気感が好きです。 異世界×ゲーム×酒場の作品や、 ホラー×...

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