配信22回目 帳簿の余白は、もう少ない(後編)の表紙画像

配信22回目 帳簿の余白は、もう少ない(後編)

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/5/1 📚 シリーズ: 影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます 📝 7,309文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます - 配信22回目 帳簿の余白は、もう少ない(後編)

本文

最初に戻ってきたのは、音じゃなかった。

 光でも、痛みでもない。

 順番で言うなら、たぶん“枠”だった。

 薄い白。

 細い灰色。

 何かを切り抜くための、長方形の輪郭。

 それが、暗いところに無数に浮いている。

 呼吸をしようとして、少し遅れて気づく。

 今の私は、呼吸しなくても立っていられる。

「……あー、はい」

 思わず口から出た声が、自分でもびっくりするくらい乾いていた。

「死んだわ、これ」

 視界がゆっくりと定まっていく。

 白い、というより色が抜けた空間だった。

 広いのか狭いのかも分からない。壁があるのか、ないのかも分からない。

 でもそこらじゅうに、薄いサムネ枠みたいな長方形が浮いている。

 近づいて見る気はなかった。

 けど、見たくなくても見える。

 その中には、顔が入っていた。

 笑っている顔。

 泣いている顔。

 怒っている顔。

 青白い顔。

 口が半分だけ開いた顔。

 目だけが妙に大きく見える顔。

 どれも誰かの“死ぬ前”か、“死んだあと”か、その境目みたいな顔だった。

「最悪」

 呟くと、足元でかつ、と乾いた音がした。

 革靴。

 聞き覚えがあるというか、会いたくない方向で覚えてる音だ。

「……またですか」

 静かな声が、すぐ後ろから落ちてきた。

 振り向く。

 やっぱりいた。

 黒い服。整いすぎた顔。温度の薄い目。

 そして片手には、見覚えのある帳面。

 鬼灯ほおずきなゆは、ひどく事務的な顔で私を見ていた。

「本当に、雑に死にますね、貴方。」

「好きで死んでるわけじゃないんだけど」

「結果として死んでいます」

「うるさい」

 言い返してから、私はなゆの手元を見る。

 帳面はもう開かれていた。ペンもある。

 やめてほしい。

 ほんとに。

「……今回も書くの?」

「書くためにいます」

「それを本人に言うの、だいぶ感じ悪いよ」

「感じの良さでやる仕事ではありません」

 なゆは淡々と返す。

 でも、前みたいな完全な無表情じゃない。ほんの少しだけ、うっすらと嫌そうなのが分かる。

 そこが余計に怖い。

「前回は、一本空けました」

 なゆは帳面から目を上げないまま言う。

「貸しにした、とも言いました」

「……言ってたね」

「今回は高いですよ」

「何が」

「今回です」

 いやだ。

 言い方が完全に会計なんだよ、この死神。

 なゆはすっとペン先を帳面に落とした。

 見ないようにしたのに、視界の端に嫌でも入る。

 私の名前。

 並んだ正の字。

 そして、その隣に増える線。

 一本。

 たった一本なのに、音がした気がした。

 かり。

 そんな軽い音で増えていいものじゃない。

「……ねえ」

 私が言うと、なゆは無言のまま続きを促した。

「まだ、完全に終わってないでしょ」

 周りのサムネ枠を見る。

 どれも死に顔だ。けど、完成してる感じじゃない。妙に“選びかけ”だ。

 なゆは少しだけ視線を動かして、私の周囲を見た。

「ええ」

「即答だ」

「ここは、採用前の顔が並ぶ場所です」

「採用前」

「候補、と言い換えてもいいです」

 ぞわっとする。

 候補。

 やっぱりそうだ。

「ミリアのやつも、まだ決まってない?」

「本採用前です」

「本採用って言うな」

「正確な表現が必要です」

「必要ないって。嫌だって」

 なゆは私の文句を受け流したまま、近くの枠の一つを指先で示した。

 そこに映ったのは、ミリアだった。

 でも今のミリアじゃない。

 青白くて、笑っていて、目だけが冷え切っている。

 次の瞬間には、別の顔に差し替わる。

 泣いている顔。口元に血がある顔。驚いたまま止まった顔。

「うわ……」

 思わず一歩引く。

「近づかないほうがいいです」

「今さら!?」

「近づくと、気に入られます」

「言い方イヤ!」

 最悪だ。

 でも、分かる。

 あの場所で見たものの、もっと本体側。

 画面や鏡の表面じゃなく、その向こうで“どれが一番使えるか”を選んでる場所。

「……蒐集しゅうしゅうの連中、あれ見てたんだ」

 口に出すと、白い空間のどこかが少しだけ軋んだ気がした。

 なゆは小さく目を細める。

「見ています」

「やっぱり」

「完成品だけではありません」

「候補の段階から?」

「ええ」

「趣味悪……」

「趣味で済めば、まだましです」

 なゆの言い方が、妙に冷たかった。

 冷たいくせに、温度がある。そういう嫌な冷たさ。

「……戻る」

 私は言った。

「まだ、ミリアが向こうにいる」

「いますね」

「だったら戻る」

「おすすめしません」

「聞いてない」

 なゆが、今度ははっきりと嫌そうな顔をした。

「今回は、前回より条件が悪いです」

「毎回それ言ってない?」

「毎回悪くなっています」

「笑えないんだけど」

「私も笑っていません」

 そりゃそうだ。

 私は周囲の枠をもう一度見た。

 そこにはミリアだけじゃなく、知らない顔がいくつも浮いている。どれも、まだ“決まりきっていない”感じがして、そこが逆に気持ち悪かった。

 完成してる怪異より、選んでる途中のほうが嫌だ。

 人間でもそうだ。

 悪意が完成してるより、値踏みしてる途中のほうがずっと嫌い。

「ねえ、なゆ」

「何でしょう」

「ミリアを助けるの、無理?」

「私に聞いているのなら、業務外です」

「はい出た業務」

「ただし」

 なゆが言葉を切る。

「あなたが戻るなら、向こう側で“固定される前”にはまだ触れます」

「固定」

「本採用前なら、切り離せる可能性があります」

「だからその言い方やめろって」

 私は額を押さえる。

 でも情報としては十分だった。

 まだ間に合う。

 ゼロじゃない。

「戻る」

 もう一度言う。

「嫌いだけど、あそこで終わらせるのもっと嫌」

 なゆはしばらく黙っていた。

 それから、小さく息を吐く。

「人の好き嫌いは、毎回雑ですね」

「うるさい」

「ですが、雑なほうが戻れることもあります」

「どっち」

「褒めてはいません」

 そう言いながら、なゆは帳面を閉じる。

 その音が、さっきの一本より重く聞こえた。

「一つだけ」

「何」

「戻ったら、二本目はないと思ってください」

「それ、前も似たこと言ってなかった?」

「前回は空けました」

「今回は?」

「今回は、もう薄いです」

 怖いことを自然なトーンで言うな。

「嫌すぎる」

「知っています」

 なゆが一歩近づく。

 いつもの距離なのに、やけに近い。

「向こうで、顔を見すぎないでください」

「顔」

「候補を」

「見たくて見てるわけじゃない」

「あと、名前を呼ばれたら返事をしないでください」

「なんで」

「採用されます」

「だからその言い方!」

 ほんとに最悪だ。

 でも、全部大事な注意だって分かる。

 分かるのが嫌だ。

 なゆは帳面を脇に抱えたまま、もう片方の手を上げる。

 白く細い指先が、私の額の前で止まった。

「今回は戻しても、あまり持ちません」

「値段が高いみたいな言い方すんな」

「実際高いです」

「死に方を価格表にするな」

「していません」

「してるように聞こえるの!」

 言い合ってるのに、空気の向こう側がざらつき始める。

 遠くからノイズが走る。ミリアのいたブースの赤いRECランプの明滅が、こっちにも混線してくるみたいな感覚。

 急がなきゃまずい。

「早く」

 私が言うと、なゆはほんの一瞬だけ、躊躇ためらうような目をした。

 それが何より怖かった。

 でも次の瞬間、指先が額に触れる。

 冷たい。

 白い空間が、一気に縦に裂けた。

*****

 最初に戻ってきたのは、息苦しさだった。

 喉が痛い。

 首も痛い。

 肺が勝手に空気を欲しがって、むせそうになる。

「……っ、げほ、っ!」

 床に両手をついて咳き込む。

 埃っぽい。熱い。現実の匂いがする。

 戻った。

 でも、完全じゃない。

 視界がぶれる。

 耳鳴りもする。

 赤いRECランプの明滅が、まだ網膜の裏に焼きついてる。

「ゆら!」

 ミリアの声。

 思ったより近い。

 顔を上げると、ミリアは床に座り込んだまま、こっちを見ていた。泣いてはいない。でも、泣く寸前の目をしてる。

「……生きてる?」

「半分くらい」

「その返しやめて」

「無理」

「やめてって言ってんの!」

 怒鳴った声が、最後だけ震えた。

 ミリアの肩口には、さっき貼った”視線濁しノイズ・ヘイズ”の残骸が焦げついている。黒い粉になって崩れていて、もう役に立たないのは見れば分かった。

 ブースの中は、さっきより悪化していた。

 モニターはもう一枚だけじゃない。黒い画面全部に、うっすらとミリアの顔が浮いている。

 違う角度。違う死に顔。違う表情。

 でも全部、ミリアだ。

 しかも部屋の奥から、機械音とは違う音が混ざるようになっていた。

 ざ、……ざざ、

 かすかな囁き。

 再生しかけて止まる音声。

 そして、画面の隅に文字が走る。

 【保存候補】

 【比較中】

 【未採用】

「ほんっと趣味悪……!」

 吐き捨てると、マイクの向きがまた少しだけこっちへ動いた。

 私は反射的に、まだ使えそうな札を探る。

 でも、ポケットの中はさっきより軽い。

 当然だ。大半は焼けたか、使った。

「ねえ」

 ミリアが小さい声で言う。

「今の、見た?」

「何を」

「画面の端」

「文字のやつ?」

「ちがう。その奥」

 私は息を止める。

 見たくない。けど見なきゃまずい。

 部屋の奥、一番小さなRECモニターの向こう側。

 黒い画面のさらに奥に、人影みたいなものが重なっていた。

 何人かいる。

 顔は見えない。

 でも、見てるのは分かる。

 画面越しに、値踏みしてる。

「……蒐集」

 呟いた瞬間、奥の影の一つが微かに動く。

 文字が増える。

 【観覧中】

 【赤い子は保留】

 【もう一人のほうが面白い】

「は?」

 意味を理解するのが一拍遅れた。

 もう一人。

 それ、私じゃない?

「最悪!」

 叫ぶと同時に、床に置きっぱなしだった小型カメラがかたかたと震え始める。

 誰も触ってないのにレンズがこっちを向く。

 ミリアが息を呑んだ。

「ゆら」

「分かってる」

「分かってる顔じゃない」

「分かってるから最悪なんだって!」

 この感じ、嫌というほど知ってる。

 助けに行ったつもりが、別の枠に入れられるやつだ。

 モニターの一つに、今度は私の顔が映った。

 いや、“私っぽい何か”だ。

 首が少し傾いている。

 目の焦点が合ってない。

 口元だけ笑ってる。

「うわっ」

 思わず一歩引く。

 その瞬間、足首に何かが巻きついた。

 ケーブルだ。

「っ!」

 床のケーブルが生き物みたいに這ってくる。

 絡まる。引く。奥へ寄せる。

 私は壁際の机に手をついて踏ん張る。

「ミリア! そっちのマイク、踏め!」

「どれ!?」

「こっち見てるやつ!」

 ミリアが半泣きの顔のまま、転がるマイクスタンドを蹴り飛ばす。

 その衝撃でノイズが一度だけ止む。

 よし、少しだけ効いた。

 私はポケットの奥を探り、最後に残っていた小さな紙片を掴む。

 札じゃない。フィルムの切れ端。

 事務所の机に置いてあった、予備の”視線濁しノイズ・ヘイズ”の残り。

「それ、まだ使えんの?」ミリアが言う。

「知らない!」

 私はそれを、今いちばん強くこっちを見ているモニターに叩きつけた。

 ばちっ、と小さく火花が散る。

 画面が歪む。

 私の死に顔候補が、一瞬だけぶれる。

 そのすきに、私は床のケーブルを蹴り払う。

「効いた!」

「一瞬だけでしょ!」

「知ってる!」

 ほんと、応急処置しかできない。

 でもその一瞬で十分なこともある。

 ミリアのほうを見る。

 まだ画面の引力に足を取られてるけど、完全には持っていかれてない。

「ミリア! 立てる?」

「たぶん!」

「たぶんばっかだな!」

「あんたが言うな!」

 そのやり取りの最中、ブースの扉が外から勢いよく開いた。

 低い舌打ち。

「……だから言っただろ」

 朔夜だった。

 顔がひどい。

 いつもの不機嫌より、もっと低い。怒ってる時の温度だ。

「今は切る時期じゃないって」

「説教はあと!はやくなんとかして!!」

 私は叫ぶ。

「向こう、見てる! 候補選んでる!」

「分かってる」

「蒐集も来てる!」

「それも分かってる」

 朔夜は室内を一瞥しただけで、状況を飲み込んだらしい。

 その視線が、モニター群の奥――画面の向こう側で観覧している影に一瞬だけ向く。

 空気が変わる。

 朔夜はポケットから札を抜くでもなく、そのまま低く言った。

 ”媒体遮断メディア・ブレイク”

 部屋の空気が、ぴし、と割れる。

 黒い画面全部にひびが入ったみたいにノイズが走り、観覧していた影が一瞬だけ遠のく。

 でも、消えない。

 向こうも粘る。

 朔夜が眉をしかめる。

「深いな」

「だから言ったじゃない!」

「お前は黙ってろ」

「何でよ!」

「喋ると増えるタイプだ!」

 それ、さっきまでの口論でもっと早く言えよ、というツッコミが喉まで出たけど、今はやめた。

 朔夜は今度は明確に術式を切り替える。

 声がさらに低くなる。

 ”採用拒否リジェクト”

 ぞん、と重い音がした。

 ミリアの死に顔候補が並んでいた画面のいくつかが、まとめて暗転する。

「まだ!」

 私は叫ぶ。

「私のほうも来てる!」

「見えてる」

 朔夜の視線が一度だけ私を掠める。

 その一秒未満で、説教と呆れと怒りが全部乗ってて腹が立った。

「あとで殺す」

「もう一回死ぬのはやだ!」

「そういう意味じゃない!」

 その瞬間、視界が急にぐらついた。

 嫌な感覚。

 引き戻された直後の不安定さじゃない。もっと悪い。

 向こう側とこっち側の間で、私の輪郭がまた少し削れてる感じ。

 耳の奥で、かり、と音がした気がした。

 帳面。

 やめて。

 今それ思い出すのやめて。

「ゆら?」

 ミリアの声が遠い。

 足元がふらつく。

 モニターの一つに映った私の顔が、さっきより鮮明になっている。

 まずい。

「朔夜!」

 私が叫ぶより早く、朔夜が舌打ちして手を伸ばす。

 ”位相固定フェイズ・ロック”

 見えない何かに、肩から殴られたみたいな衝撃が来た。

「っ、あ゛!」

 膝が床につく。

 吐きそう。

 でも、輪郭が戻る。

 削れかけてた何かが、ぎりぎりで止まる。

「二回目はさせるなよ」

 朔夜の声がやけに近かった。

「してない! 勝手に来てる!」

「それを防ぐのがお前の仕事じゃない」

「女子高生に言うな!」

 反射で返した私の声に、ノイズが混ざる。

 まだ終わってない。

 ブース奥のRECモニターだけが、しつこく赤く光っていた。

 その向こう側で、観覧している影もまだいる。

 朔夜は苛立った顔のまま、モニターへ踏み込む。

「見世物じゃない」

 低い声。

「帰れ」

 その一言だけで、空気が凍った。

 続けて、鋭く切る。

 ”拡散停止スプレッド・ロック”

 ”残響回収エコー・リカバー”

 ”登録者焼却サブスク・バーン”

 最後の一つで、赤いRECランプがばちん、と潰れたみたいに消える。

 観覧していた影が、まとめてノイズの向こうへ押し戻される。

 モニターが一斉に暗転する。

 マイクが床に倒れ、今度こそ沈黙した。

 静かになった。

 びっくりするくらい、急に。

 私はその場にへたり込んだまま、床を見つめる。

 ミリアも壁に寄りかかって、肩で息をしていた。

 誰もすぐには喋らない。

 やっと先に動いたのは、ミリアだった。

「……助かった?」

「まだ半分」

 私が答えると、ミリアが泣きそうな顔のまま笑った。

「その言い方やめて」

「無理」

「ほんと最悪」

 でも、その“最悪”はさっきまでと少し違った。

 今はまだ、生きてる側の最悪だ。

*****

 帰り道は、行きより静かだった。

 蒐集の視線はまだ消えてない気がする。

 でも露骨には見えない。

 向こうも、いったん引いたらしい。

 事務所に戻ると、真琴が一目で状況を察した顔をした。

 ぬいは露骨に嫌そうな顔で私を見る。

「死んだか」

「一回」

「一回で済んだならまだ安い」

「安くない!」

 叫ぶと、喉が痛かった。

 死んだ直後の体ってほんと最悪だ。

 ミリアは黙ったまま、ソファの端に座る。

 さっきまでの強気は半分くらいどこかへ飛んでいた。

 朔夜は机の前に戻るなり、何かを書き始めた。

「……何してんの」

 私が聞くと、朔夜は顔も上げずに答える。

「請求」

「は?」

「使った分」

「このタイミングで!?」

 朔夜は淡々と指を折る。

「”視線濁しノイズ・ヘイズ”二枚」

「予備込み」

「”口封札ミュート・タグ”一枚」

「”還呪杭リターン・ステイク”一枚、破損」

「あと机からの無断持ち出し」

「待って最後おかしくない!?」

「横領扱い」

「横領!?」

「罰金上乗せ」

「人が二回くらい死にかけたあとにする話!?」

 すると、黙っていたミリアが顔を上げた。

「……それ、私が払う」

 部屋が一瞬静かになる。

 私が振り向くと、ミリアはまだ顔色が悪いまま、でも妙に真っ直ぐな目をしていた。

「は?」

「原因、半分以上こっちでしょ」

「いや、でも勝手に持ってったの私だし」

「物品代は私」

「えっ」

「それで」

 ミリアはスマホを取り出し、少しだけ唇を尖らせる。

「これで貸しなしだから!」

 一拍おいて、私は叫んだ。

「貸しなしどころか増えてんだけど!?」

 朔夜が紙から目も上げずに言う。

「物は清算済み」

「無断持ち出しは別」

「別なの!?」

「別だ」

「そこ分ける!?」

「当然だ。分ける」

 最悪だ。

 ほんとに最悪だ。

 ミリアが「はぁ!?」って顔をしたあと、今度は朔夜に食ってかかる。

「そこ別計算なの、性格悪すぎない?」

「悪い」

「即答すんな!」

「お前に言われたくない」

 そこで、ぬいが小さく鼻を鳴らした。

「現世の帳尻はよう分からん」

「私も分からない!」

 るながいたらたぶん「じゃあプラマイちょいマイナス〜?」とか言いそうだな、と思って、今はいなくてよかったと少しだけ思った。

 ミリアは不機嫌そうな顔のまま、でもちゃんと送金した。

 真琴が横から確認して、「物品代分だけ入りました」と妙に事務的に告げる。

 私は机に突っ伏したくなった。

「じゃあ結局、私の借金だけ増えたってこと?」

「そうなる」

「助けたのに!?」

「勝手に持っていったからな」

「うわ、むかつく!」

 叫ぶと、ミリアがそっぽを向いたままぼそっと言う。

「……でも、助けられたのは事実だし」

 小さい声だった。

 でも聞こえた。

 私は顔を上げる。

 ミリアはこっちを見ない。

「何」

「何でもない」

「今なんか言った」

「言ってない!」

「言ったでしょ」

「うるさい! これで貸しなし! もうこの話終わり!」

 強引だ。

 でも、その強引さが少し戻ってきたことに、ちょっとだけ安心した。

 よかった。

 あのまま壊れきらなくて。

 ただ、そこで話が終わるほど、今日は優しくなかった。

*****

 夜。

 白い空間は、相変わらず静かだった。

 鬼灯ほおずきなゆは帳面を開く。

 そこには、きっちり一本増えた線がある。

 その隣。

 もう一本分の位置に、薄く、ほんの薄く、書きかけの痕が残っている。

 あと少し深く削れていたら、そこまで行っていた。

 その程度には、近かった。

「……貸しなし、ですか」

 なゆは小さく呟く。

 誰に聞かせるでもない声だった。

「人の世の帳尻は、そうかもしれませんね」

 ページをなぞる指先が止まる。

「でも、こちらはまだ残っています」

 帳面は閉じられる。

 音は小さい。

 でも、余白が減る音としては、充分すぎるくらい重かった。

 ミリアとの貸し借りは、たぶんそれで終わった。

 終わってないのは、もっと嫌なほうだった。

―――――

ゆら「そのうち“何回目か”より、“何回死んだか”のほうが大事になりそう。」

ジャンル・タグ

, , , , , , ,

作品統計

👁️ 閲覧数: 0 👍 いいね: 0 📚 本棚登録: 0

作者について

勇者ヨシ君

勇者ヨシ君

愛知県安城市で「ギルド酒場るすと」というゲームバーをやりながら、小説を書いています。 レトロゲーム、ボードゲーム、シーシャ、酒場の空気感が好きです。 異世界×ゲーム×酒場の作品や、 ホラー×...

👥 フォロワー: 2人

作者ページを見る