ソーシャルワーカー(企業編)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
異世界帰り色々な日常 一話完結・オムニバス
本文
企業の相談支援室は、静かで、少しだけ無機質だった。
白い壁、整えられた机、観葉植物、音の小さい空調。誰かが深刻な顔で入ってきて、少しだけ軽い顔で出ていく場所としては、機能的なのだろう。
以前は三人いた部署だが、今は 佐藤 純 ひとりで回している。
一人は相談者の感情を抱え込みすぎて疲れ果て、もう一人は終わりのない調整業務に心を削られて去った。人の問題を扱う仕事は、見た目よりずっと消耗する。
それでも純は、なぜか残り続けている。
相談件数も対応速度も落ちず、休職率や離職率に関わる数字まで改善した。会社がそれを評価し、待遇に反映したのは自然な流れだった。
純自身は、そのことにあまり執着がない。
---
午前最初の面談は、育休から復帰した女性社員だった。
姿勢も受け答えもきちんとしている。ただ、鞄の持ち手だけは最初から最後まで離さなかった。
「戻ってきたかったんです」
彼女はそう言った。
「でも、戻ってみたら、前みたいにできなくて」
時短勤務。急な呼び出しへの不安。子どもの体調。以前なら引き受けていた仕事を断る場面もある。周囲は配慮してくれている。責められてはいない。それでも、自分だけ戦力外になった気がするらしい。
純は静かに相手を『視た』
問題は職場ではなかった。
彼女は、過去の自分と毎日戦っている。
残業できた自分。何でも回していた自分。急な案件にも対応できた自分。その記憶の中の全盛期と、今の自分を比べ続けている。
「以前の自分と比べていますね」
純が言うと、彼女は目を上げた。
「……そんなにわかりますか」
「なんとなくです」純は答えた。
彼女は少し笑い、それから視線を落とした。
「前はもっとできたんです」
「前のあなたは、その時の条件で働いていました」
純は穏やかに言った。
「今のあなたは、別の条件で働いています。同じ仕事に見えて、別の競技です」
彼女は思わず吹き出した。
「競技って……」
「睡眠時間も違いますし、突発対応の頻度も違います。ルールが変わっています」
静かに、現実だけを並べる。
それだけで、彼女の肩から力が抜けていった。
「今の条件で積み上げた方が早いです。昔の自分に勝つ必要はありません」
彼女は小さく息を吐いた。
「私、ずっと一人で焦ってました」
「だいたい皆さんそうです」
「そういう言い方、少し冷たいですね」
「公平です」
少しだけ笑って、彼女は部屋を出ていった。
---
今日 最後の面談は、部署異動後に上司との関係が悪化し、休職を考えている男性社員だった。
姿勢だけ整っている。中身はかなり削れている。
「何をしても怒られます」
報告が遅い。説明不足。勝手に進めるな。確認しろ。会議でも人前でも叱責される。朝、駅まで行って戻った日もあるという。
「休職届を出そうかと思ってます」
純はうなずいた。
否定はしない。追い詰められた状態では、言葉は届かない。
話を聞きながら、純は相手を『視た』
男性は処理能力が高い。頭の中では先まで組み立てられている。ただ、それを途中で省略してしまう癖がある。
一方で上司は、順序と確認を重ねるタイプだった。飛ばされた情報を不安として受け取り、叱責に変える。
噛み合っていない。
だが、壊れているわけではない。
「上司の方、確認が多いですね」
男性が顔を上げる。
「……多いです」
「あなたは説明を省略しがちです」
男性は数秒黙り、やがて小さく笑った。
「それも、あります」
純は紙に四つ書いた。
結論。理由。進捗。次の行動。
「報告はこの順番で、三十秒以内にまとめてください」
「三十秒……」
「長いと途中で切られます」
男性は少しだけ表情を緩めた。
純は続ける。
「確認されそうな点を一つ先に出すといいです。安心します」
さらに、感情と事実を分けて記録すること。叱責の内容は客観的に残すこと。必要なら人事同席で調整できること。
「休職は最後の選択肢でいいです」
静かに言う。
「まだ打てる手はあります」
男性は長く息を吐いた。
「……明日、一回だけやってみます」
「一回で、結果は出ます」
紙を丁寧に折り、胸ポケットへ入れる。来た時より、背筋が少しだけ自然だった。
夕方、記録を終えた頃にメッセージが来た。
『終わった?』
『今です』と返すと、すぐに返事が来る。
『一階にいます』
ロビーを出ると、彼女が柱のそばに立っていた。純に気づくと、少しだけ目を細める。
「その顔、今日もちゃんと片づけてきた顔ですね」
「そんな顔がありますか」
「あります。あと、少しだけ電池残量少なめ」
純は小さく笑った。
「そこまで見ますか」
「見えます」並んで歩き出す。
「今日、どうでした?」
「いつも通り、普通です」
「その普通、だいたい普通じゃないのよね」
「会社では平和です」
「そう言えるのはあなたくらいです」
駅前の灯りが近づく。
「ご飯どうします?」
「任せます」
「じゃあ、いつものところでいいですね。今日はあなた、考える必要ない顔してるので」純は少しだけ黙った。
「そこまでわかりますか」
「長い付き合いですから」
それ以上は何も言わない。
向こうの世界で過ごした十五年は、こちらではわずか十秒だった。帰ってきた時、時計の秒針が少し進んだだけだった。
その十五年で得たものは、伝説の剣でも強大な魔法でもない。人の心の奥底を読み取ること。絡まった事情をほどくこと。壊れそうな人の限界点を、本人より先に見つけること。
けれど、この世界ではそれが、何よりも役立っている。
「また、ぼーっとしてる」
隣から声がして、我に返った。
「店、通り過ぎますよ」
顔を上げると、いつものレストランの優しい灯りがすぐそこにあった。