世界を凪ぐ主夫と、魔王をしばく妻
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
一話完結・オムニバス(長めの物語)自由に色々書いています
本文
世界を凪ぐ主夫と、魔王をしばく妻
その朝、佐藤 純(内向型)がトースターにパンを入れた瞬間だった。
「純くん、なんか知らないけど私、異世界の王に就任したっぽい」
純は振り返らなかった。焦げ茶色のマーガリンのフタを開けながら答えた。
「そう。燃えるゴミ、今日までだから出しといてね」
「あ、オッケー」
長年連れ添うと、空間の歪みや次元の裂け目よりも「ゴミの収集日」の方がプライオリティが高くなる。驚くエネルギーを消費するくらいなら、パンの焼き加減に全神経を注ぐべきだ。
しかし、インターホンが連打された。画面を確認すると、インターホンの超広角レンズいっぱいに、フルプレートアーマーを着たゴツいおっさん3人が映っていた。彼らは我が家の16cm四方の石造り玄関タイルに額をめり込ませ、土下座していた。
純は3秒ほど虚無の目で見つめてから、キッチンに戻った。彼の普通は、どんな異常事態も日常の延長にしてしまう。
その無風の気配は、相手の緊張すら奪ってしまうほどだった。
「玄関にコスプレ集団が埋まってる」
「あー、内定通知持ってきた使者ね。ちょっと『15分待て』って言っといて。今バルコニーでシーツ干してるから」
純は玄関を開け、言われた通りに伝えた。
使者のリーダーらしき男が「お、おのれ……新王の伴侶ともあろうお方が、我ら聖騎士団を待たせるとは……ッ!」と顔を上げたが、純の「寝癖+ユニクロのスウェット+手にはバターナイフ」という圧倒的日常のオーラに圧されて硬直した。
純も相手を見た。髭にアリがついていた。お互い何も言うことがなかったので、純はドアを閉め、1杯のコーヒーを丁寧にハンドドリップした。
近所の主婦が通りかかり、「あら大変、お宅もNHKの集金?」と言ったが、誰も何も説明しなかった。
異世界へのゲートが開いたのは昼過ぎだった。
純はサーモスの水筒にコーヒーを詰め、イオンのエコバッグにタオルと、賞味期限が今日までのヤ〇ザキの羊羹を放り込んでついていった。
使者のひとりが「そ、その、聖なる結界を越えるための神聖な御荷物は、我々がお持ちします!」と震え声で言ったが、純は「いいです」と秒で断った。「自分の羊羹は自分で持つ」それが佐藤家の家訓だった。
玉座の間というのは天井が馬鹿みたいに高くて、光熱費の計算が恐ろしくなるほど寒かった。純は少し肩をすくめながら、邪魔にならない石柱の陰にスタンドバイした。
広間の中央では、さっきまで128円のサバ缶の裏の成分表を凝視していた妻が、1000カラットのダイヤモンドが埋め込まれた玉座にどっかりと座っていた。絵面がシュールすぎて脳の処理が追いつかない。
妻は昔から、近所でも“相談されがち”なタイプだった。
PTAでも町内会でも、気づけば誰かの愚痴や悩みを聞いている。
だから異世界の玉座に座っても、妙に板についてしまう。
そして、最初のイベントが発生した。
バリィィィン!!と窓ガラスが割れ、黒いマントに血の色の目をした男がエントリーしてきた。一歩歩くごとに床が震え、騎士団長が「ま、魔王……ッ!」とベタな絶叫をあげる。
魔王は広間の中央で仁王立ちになり、重低音スピーカーのような声で吠えた。
「愚かな人間どもよ! 幾百年の怨嗟、大地を覆う闇の軍勢が今、貴様らを——」
「ちょっと、ボリューム落として?」玉座からの声に、魔王の口が半開きで止まった。
「近所迷惑でしょ、ここ響くんだから。あと純くん、お茶ある?」
純はエコバッグを漁ったが、コーヒーは空っぽで入っているのは羊羹だけ。
目で隣の宮廷魔法使いを脅すと、彼がガタガタ震えながら、詠唱速度を過去最高に縮めて新茶を錬成した。
妻は魔王の目の前に湯気の立つ湯呑みを差し出した。
「ほら、座って座って。あっちの丸椅子空いてるから」
魔王は座った。「え? 俺、座るの?」という顔で、お行儀よくパイプ椅子みたいな丸椅子に座った。
「あんたさ、さっきから『怨嗟』とか『闇』とか言ってるけど、要するに最近、私生活で割に合わないことばっかりあったんでしょ。わかるよ、声にトゲがあるもん」魔王は口を震わせた。
「お、俺は……世界の半分を……」
「怒ってる人ってさ、大体プライベートで誰も話聞いてくれなくて寂しいだけなんだよね」
静寂が訪れた。騎士団長は剣を半分抜いた姿勢のままギックリ腰になりかけていた。
ここで純が動いた。エコバッグから 今日賞味期限の羊羹を取り出し、無言でスッと魔王の前に差し出す。「とりあえず糖分を摂らせれば、大体の哺乳類?は大人しくなる」という、猛獣対策のライフハックだ。
魔王は羊羹を食べた。
一口食べ、二口食べ、その紅蓮の眼がうるみ始めた。
「……あま、辛(から)……いや、甘い。美味(うま)……」
「でしょ? 羊羹は裏切らないから。はい、続き話してごらん?」
そこから2時間、魔王の「経営者としての苦悩」の独白が始まった。
「ぶっちゃけ部下の魔族たち、誰もシフト守らない」「100年前の領土条約の書類が、人間のせいで紛失した」「有給が取れない」など。
「あと最近、ドラゴンの火力がインフレしてて管理が大変なんだ……。ちょっと怒るとすぐ城壁が溶けるし、燃費も悪いし、保険料も上がるし……」
純は石柱の陰でお茶をすすりながら、エバーノートにメモを取ってあげた。
会談はスピード和解で終了した。
魔王は「このヨウ・カンという黒い煉瓦は、どこのギルドで配給されているのか」と真剣な顔で尋ねてきたので、純は「イオンの和菓子コーナー」と書いたメモを渡した。魔王はそれを家宝のように懐にしまった。
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次の週は、就職活動の失敗グループみたいな規模の反乱軍が城門に押し寄せた。
数百人が松明を掲げ、「現体制を打破せよー!」と叫んでいる。
純は城壁の上から見下ろし、「あいつら、絶対晩ごはん抜きで来てるな」と察した。
腹が減ると人間はロクなことを考えない。純は妻とアイコンタクトを交わした。
「純くん、業務スーパー行ってくる」
「了解。俺はキャベツ切っとく」
2時間後、城の巨大な大釜には、コンソメスープベースの「絶対に胃に優しい具沢山スープ」がなみなみと湛えられていた。
城の凄腕シェフたちが、なぜか千切りキャベツの速さを純と競い合って敗北し、白目を剥いていた。
純が「門を開けて」と言うと、衛兵は「狂気の沙汰か!?」と叫んだが、純のおたまを持った主夫のプレッシャーに負けて門を開けた。
殺気立って突入してきた反乱軍だったが、城内に充満する「実家の冬の匂い」に完全に足を止められた。
「はい、1列に並んでー。熱いから器は両手で持ってね」
妻の声に、反乱軍の突撃隊長が「は、はい……」と従った。
人間、温かいスープを胃袋に流し込まれると、脳からセロトニンが分泌されて刃物を握る気が失せる。純はそれを知っていた。
「で、何に怒ってたの?」
スープをおかわりしながら、反乱軍は泣きながら喋り出した。
「水路の利権がうんぬん」「税金が高くて子供の学費がうんぬん」「ぶっちゃけ誰も俺らの意見を議会に上げてくれない」
純は途中でコーヒーを淹れ直し、妻は「あー、分かるわ。役所の窓口って本当タライ回しにするよね」と激しく同意していた。
夜明け前、反乱軍は「ごちそうさまでした。次は民主的な手続きで陳情書を出します」と、ゴミを綺麗に分別して帰っていった。
翌朝、大臣たちが「陛下、反乱軍に一体どんな国家機密の裏取引を……!?」と血相を変えて突っ込んできたが、妻は「コンソメスープ」とだけ答えた。大臣たちは国家転覆レベルの混乱に陥ったが、純は静かに頷いていた。
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そんな空間で、1年が経った。
純のポジションは固定だった。
妻の横にいること。コーヒーを淹れること。たまに羊羹やポテチを出すこと。
激戦の野営地でも、世界滅亡の危機でも、純はいつもちょっと後ろのポジションで、マイカップを持って立っていた。
最初、大臣たちは純を「新王の寄生虫」と罵っていたが、やがて「王配殿」、そして「佐藤さん」、最終的には「そこにあって当然のもの」として扱うようになった。実家のリビングにある空気清浄機みたいなものである。
純は別に気にしなかった。Wi-Fiさえ繋がればどこでも良かった。
最後の夜、異世界の全てのトラブルが片付き、純は城の屋上で夜風に吹かれていた。
足音がして、隣に妻が座った。
「純くん」
「うん」
「なんで私が『選定の石』に王として選ばれたか、理由が判明したんだけど」
「へえ。面接とかあったの?」
「ううん。選定の石にね、古代文字でこう書いてあったんだって。
『真の王たる者の隣には、常に世界を強制システムシャットダウンする【絶対の凪(なぎ)】あり』って」
純はコーヒーを飲んだ。
「魔王も竜も反乱軍もさ、私が凄かったんじゃないの。純くんが後ろで、あまりにも普通にコーヒー飲んだり羊羹切ったりしてるから、『あれ? 俺たち何でこんな必死になってんだろ?』って正気に戻っちゃったんだって。つまり、私が王に選ばれたのは、あなたの隣にいる人間だったから、っていうバーター物件だったわけ」
純は、二つの月と見たこともない四角い星座が浮かぶ夜空を見上げた。
「怒らないの? 主役じゃなかったんだよ、ずっと裏方」
純は少し考えた。カルディで買ったコーヒー豆の残量を計算し、それから言った。
「コーヒー飲む?」
妻はぷっと吹き出して、純のマグカップを受け取った。両手で包むように持って、一口すする。
「おいしい。いつもと同じ味」
「そりゃ、同じ豆だし」
世界を凪ぐとか、選定の石のシステムバグとか、そういう壮大なことはどうでもいい。
隣にいる妻が、自分の淹れたコーヒーを「おいしい」と言って、明日も普通に洗濯物を干せるなら、異世界だろうが地球だろうが、どこだって最高の日常だ。
「あ、純くん。明日の朝ごはん、何にする?」
「いつもの食パン。マーガリン多めで」
「オッケー。じゃあ、早く寝て明日に備えなきゃね」
二人の静かな笑い声だけが、静まり返った異世界の夜に、いつまでも優しく溶けていった。
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