第9話 待ち合わせの傘
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
祓い師見習いの蓮は、怖がりだ。 怪異を前にすれば足は震える。 札を握る指は汗ばみ、喉は乾く。 それでも、目を逸らすことだけはできなかった。 先輩祓い師の沙耶とともに、蓮は各地に残る怪異を訪ねていく。 灰をまとった狼。 雨の降らない町に増え続ける赤い傘。 誰もいない駅で鳴る鈴。 消えない灯り。 閉じた家に残る声。 だが、怪異はただの化け物ではない。 怒り。 悲しみ。 後悔。 待ち続けた想い。 言えなかった言葉。 見て見ぬふりをされた痛み。 人が受け取れなかった感情は、やがて形を持ち、夜の中を歩き出す。 蓮が使うのは、怪異の奥にある感情を観る札。 沙耶が鳴らすのは、届かなかった声を届ける鈴。 二人の祓いは、怪異を殺すためのものではない。 形になってしまった痛みを、もう一度、人が受け取れるものへ戻すためのものだ。 怖いまま、見る。 震えながら、聞く。 消すのではなく、ほどく。 これは、見習い祓い師・蓮と、過去に向き合い続ける祓い師・沙耶が、各地の怪異と未処理の感情をめぐる連作怪異譚。 祓うべきは、怪物か。 それとも、誰かが見なかったことにした痛みか。
本文
町で聞き込みをした。
昼下がりの商店街は、シャッターが降りている店の方が多い。
たまに開いている八百屋や金物屋も、店先には乾いた風が吹き込んでいるだけだった。
店主に話を聞いても、皆一様に面倒くさそうな顔をした。
「ああ、あれな」
赤い傘について尋ねると、どの口からも同じような答えが返ってきた。
一ヶ月ほど前から、急に増え始めたらしい。
最初は、駅前のベンチに一本だけだった。
誰かの忘れ物だと思った駅員が、交番に届けた。
翌朝。
同じベンチに、同じ赤い傘が戻っていた。
交番の巡査が返しに来たのか。
別の誰かが、新しく置いたのか。
誰も調べなかった。
気味が悪いと片付けた家もあった。
だが次の日には、家の前の電柱に立てかけられていた。
捨てても、壊しても、翌日には新しい傘がどこかに現れた。
少しずつ、本数が増えていった。
俺と沙耶さんは、傘がある場所を地図に書き込んだ。
駅前。
バス停。
駄菓子屋の前。
神社の石段。
古い団地の入り口。
交番で話を聞いた後、町を半周した。
行く先々で、同じ光景を見た。
剥がれかけた横断歩道の白線の上。
自販機のゴミ箱の横。
閉鎖された児童公園のブランコの支柱。
どこにでもあった。
風景の一部として、完全に町に溶け込んでいる。
住民たちは、傘を避けて歩くことすらしない。
傘のすぐ横で立ち話をし、傘のすぐ横でタバコを吸い、吸い殻を捨てる。
誰も、傘に触れようとはしなかった。
地図を見て、すぐに気がついた。
どの場所も。
かつて、誰かが誰かを待っていた場所だ。
シャッターの閉まった店の並び。
一軒だけ、まだ開いている古い商店があった。
軒先には、色あせたガチャガチャの機械が二台並んでいる。
日よけのビニールテントは破れ、骨組みがむき出しだった。
ガラスケースの中に、色あせた駄菓子が並んでいる。
埃と、甘ったるい匂いが混ざったような空気が漂っていた。
店の中は薄暗い。
扇風機が、生ぬるい風をかき回しているだけだ。
奥の畳敷きの上が、老婆の定位置らしかった。
白髪の老婆は、団扇を持ったまま、しわだらけの顔をこちらへ向けた。
目はひどく濁っている。
店番をしていた老婆が、俺たちの持つ地図を見て、深くため息をついた。
「アカリちゃんやねぇ」
老婆は、しわがれた声で言った。
十数年前。
雨無町に「アカリ」という少女がいた。
いつも、赤い傘を持っていた。
晴れの日も。曇りの日も。
雨など滅多に降らないこの町で、彼女は自分の背丈ほどもある赤い傘を引きずって歩いていた。
当然、目立つ。
子どもたちからは、少しからかわれていたらしい。
傘を取り上げられそうになったこともあった。
それでも、アカリは傘を手放さなかった。
しがみつくように、柄を握りしめていた。
理由は、母親との約束だった。
「雨の日に迎えに来るからね」
母親はそう言って、町を出ていった。
雨無町には、ほとんど雨が降らない。
空はいつもひび割れている。
地面は白く乾いている。
夏は熱風が吹き抜け、冬は空っ風が町を叩く。
傘など必要のない町だ。
傘屋はとうの昔に潰れ、コンビニの傘立ても常に埃をかぶっている。
そんな場所で、小さな子どもが自分の背丈より大きな傘を引きずる姿は、どれほど異様だっただろうか。
それでもアカリは、赤い傘を持ち歩いた。
駅前で。バス停で。
いつか降る雨を。
いつか来る母親を、待ち続けた。
「あの子、どうなったんですか」
俺が聞くと、老婆は首を振った。
施設に引き取られたとも、遠くの親戚に預けられたとも言われている。
誰も、正確な行方は知らなかった。
ただ、彼女の『待つ時間』だけが、この町に取り残された。
灰ヶ谷村の時とは違う。
あの灰狼は、誰にも届かなかった強い怒りだった。
血の匂いがした。
暴力の気配があった。
でも、これは違う。
待ち続けたまま、からからに乾いてしまった悲しみだ。
ただ、町中に赤い傘を立てて、水滴をこぼし続けている。
「すぐに祓わないんですか」
帰り道。
西日が、乾いたアスファルトを赤く染めていた。
俺は、前を歩く沙耶さんの背中に尋ねた。
「……待つ怪異は、急いで祓うとこじれる」
沙耶さんは、歩みを止めずに静かに言った。
声のトーンは、いつもよりずっと低かった。
「待っていた時間ごと、折ってしまうから」
折る。
その言葉が、やけに生々しく耳に残った。
骨が砕けるような、残酷な響きがあった。
夕暮れの駅前に戻ってきた。
空はもう、深い藍色に沈みかけている。
改札口には誰もいない。
駅前のロータリーには、乾いた風だけが吹いている。
西日が、駅舎の白い壁を血のように赤く染めている。
長く伸びた影が、アスファルトの上を這っていた。
遠くで、カラスが二羽鳴いた。
それ以外は、完全な無音だった。
電車の来る気配もない。
タクシーも停まっていない。
世界から切り取られたような、静かで、乾ききった空間。
ベンチの隣。
昼間と同じ場所に、赤い傘が立っている。
いや。
立っているのではない。
俺は立ち止まった。
傘の下に。
少女の影が、立っていた。
顔は見えない。
足元はアスファルトに溶け込んでいる。
ただ、赤い傘を握る小さな手だけが、そこにあった。
手は、透き通るほど白かった。
骨と皮だけのような、か細い腕。
その腕が、傘の柄を痛いほど強く握りしめている。
誰にも奪われないように。
約束を、絶対に手放さないように。
風はない。
けれど、傘の内側から水滴が落ちている。
ぽたり。ぽたり。
乾いた地面に、黒い染みを作っていく。
その水音に混じって。
傘の下で、少女が誰かの名前を呼んでいた。
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