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第9話 待ち合わせの傘

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/1 📚 シリーズ: 祓い師沙耶は、怪異を祓わない ――鳴らない鈴と見習いの記録―― 📝 2,324文字 ✅ 全年齢

あらすじ

祓い師見習いの蓮は、怖がりだ。 怪異を前にすれば足は震える。 札を握る指は汗ばみ、喉は乾く。 それでも、目を逸らすことだけはできなかった。 先輩祓い師の沙耶とともに、蓮は各地に残る怪異を訪ねていく。 灰をまとった狼。 雨の降らない町に増え続ける赤い傘。 誰もいない駅で鳴る鈴。 消えない灯り。 閉じた家に残る声。 だが、怪異はただの化け物ではない。 怒り。 悲しみ。 後悔。 待ち続けた想い。 言えなかった言葉。 見て見ぬふりをされた痛み。 人が受け取れなかった感情は、やがて形を持ち、夜の中を歩き出す。 蓮が使うのは、怪異の奥にある感情を観る札。 沙耶が鳴らすのは、届かなかった声を届ける鈴。 二人の祓いは、怪異を殺すためのものではない。 形になってしまった痛みを、もう一度、人が受け取れるものへ戻すためのものだ。 怖いまま、見る。 震えながら、聞く。 消すのではなく、ほどく。 これは、見習い祓い師・蓮と、過去に向き合い続ける祓い師・沙耶が、各地の怪異と未処理の感情をめぐる連作怪異譚。 祓うべきは、怪物か。 それとも、誰かが見なかったことにした痛みか。

本文

町で聞き込みをした。

昼下がりの商店街は、シャッターが降りている店の方が多い。

たまに開いている八百屋や金物屋も、店先には乾いた風が吹き込んでいるだけだった。

店主に話を聞いても、皆一様に面倒くさそうな顔をした。

「ああ、あれな」

赤い傘について尋ねると、どの口からも同じような答えが返ってきた。

一ヶ月ほど前から、急に増え始めたらしい。

最初は、駅前のベンチに一本だけだった。

誰かの忘れ物だと思った駅員が、交番に届けた。

翌朝。

同じベンチに、同じ赤い傘が戻っていた。

交番の巡査が返しに来たのか。

別の誰かが、新しく置いたのか。

誰も調べなかった。

気味が悪いと片付けた家もあった。

だが次の日には、家の前の電柱に立てかけられていた。

捨てても、壊しても、翌日には新しい傘がどこかに現れた。

少しずつ、本数が増えていった。

俺と沙耶さんは、傘がある場所を地図に書き込んだ。

駅前。

バス停。

駄菓子屋の前。

神社の石段。

古い団地の入り口。

交番で話を聞いた後、町を半周した。

行く先々で、同じ光景を見た。

剥がれかけた横断歩道の白線の上。

自販機のゴミ箱の横。

閉鎖された児童公園のブランコの支柱。

どこにでもあった。

風景の一部として、完全に町に溶け込んでいる。

住民たちは、傘を避けて歩くことすらしない。

傘のすぐ横で立ち話をし、傘のすぐ横でタバコを吸い、吸い殻を捨てる。

誰も、傘に触れようとはしなかった。

地図を見て、すぐに気がついた。

どの場所も。

かつて、誰かが誰かを待っていた場所だ。

シャッターの閉まった店の並び。

一軒だけ、まだ開いている古い商店があった。

軒先には、色あせたガチャガチャの機械が二台並んでいる。

日よけのビニールテントは破れ、骨組みがむき出しだった。

ガラスケースの中に、色あせた駄菓子が並んでいる。

埃と、甘ったるい匂いが混ざったような空気が漂っていた。

店の中は薄暗い。

扇風機が、生ぬるい風をかき回しているだけだ。

奥の畳敷きの上が、老婆の定位置らしかった。

白髪の老婆は、団扇を持ったまま、しわだらけの顔をこちらへ向けた。

目はひどく濁っている。

店番をしていた老婆が、俺たちの持つ地図を見て、深くため息をついた。

「アカリちゃんやねぇ」

老婆は、しわがれた声で言った。

十数年前。

雨無町に「アカリ」という少女がいた。

いつも、赤い傘を持っていた。

晴れの日も。曇りの日も。

雨など滅多に降らないこの町で、彼女は自分の背丈ほどもある赤い傘を引きずって歩いていた。

当然、目立つ。

子どもたちからは、少しからかわれていたらしい。

傘を取り上げられそうになったこともあった。

それでも、アカリは傘を手放さなかった。

しがみつくように、柄を握りしめていた。

理由は、母親との約束だった。

「雨の日に迎えに来るからね」

母親はそう言って、町を出ていった。

雨無町には、ほとんど雨が降らない。

空はいつもひび割れている。

地面は白く乾いている。

夏は熱風が吹き抜け、冬は空っ風が町を叩く。

傘など必要のない町だ。

傘屋はとうの昔に潰れ、コンビニの傘立ても常に埃をかぶっている。

そんな場所で、小さな子どもが自分の背丈より大きな傘を引きずる姿は、どれほど異様だっただろうか。

それでもアカリは、赤い傘を持ち歩いた。

駅前で。バス停で。

いつか降る雨を。

いつか来る母親を、待ち続けた。

「あの子、どうなったんですか」

俺が聞くと、老婆は首を振った。

施設に引き取られたとも、遠くの親戚に預けられたとも言われている。

誰も、正確な行方は知らなかった。

ただ、彼女の『待つ時間』だけが、この町に取り残された。

灰ヶ谷村の時とは違う。

あの灰狼は、誰にも届かなかった強い怒りだった。

血の匂いがした。

暴力の気配があった。

でも、これは違う。

待ち続けたまま、からからに乾いてしまった悲しみだ。

ただ、町中に赤い傘を立てて、水滴をこぼし続けている。

「すぐに祓わないんですか」

帰り道。

西日が、乾いたアスファルトを赤く染めていた。

俺は、前を歩く沙耶さんの背中に尋ねた。

「……待つ怪異は、急いで祓うとこじれる」

沙耶さんは、歩みを止めずに静かに言った。

声のトーンは、いつもよりずっと低かった。

「待っていた時間ごと、折ってしまうから」

折る。

その言葉が、やけに生々しく耳に残った。

骨が砕けるような、残酷な響きがあった。

夕暮れの駅前に戻ってきた。

空はもう、深い藍色に沈みかけている。

改札口には誰もいない。

駅前のロータリーには、乾いた風だけが吹いている。

西日が、駅舎の白い壁を血のように赤く染めている。

長く伸びた影が、アスファルトの上を這っていた。

遠くで、カラスが二羽鳴いた。

それ以外は、完全な無音だった。

電車の来る気配もない。

タクシーも停まっていない。

世界から切り取られたような、静かで、乾ききった空間。

ベンチの隣。

昼間と同じ場所に、赤い傘が立っている。

いや。

立っているのではない。

俺は立ち止まった。

傘の下に。

少女の影が、立っていた。

顔は見えない。

足元はアスファルトに溶け込んでいる。

ただ、赤い傘を握る小さな手だけが、そこにあった。

手は、透き通るほど白かった。

骨と皮だけのような、か細い腕。

その腕が、傘の柄を痛いほど強く握りしめている。

誰にも奪われないように。

約束を、絶対に手放さないように。

風はない。

けれど、傘の内側から水滴が落ちている。

ぽたり。ぽたり。

乾いた地面に、黒い染みを作っていく。

その水音に混じって。

傘の下で、少女が誰かの名前を呼んでいた。

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作者について

中野ポン太

中野ポン太

燃料は札と火と湯気。中野ポン太です。ふざけた顔で近づき、読者の胸の奥に剥がれない「何か」を直貼りします。火曜は定休。主戦場『桝川劇場』は、爆笑の後に「たぶん。」という小骨が喉に刺さる深夜系哲学コント。...

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