第12話 終電後の鈴の表紙画像

第12話 終電後の鈴

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/8 📚 シリーズ: 祓い師沙耶は、怪異を祓わない ――鳴らない鈴と見習いの記録―― 📝 2,524文字 ✅ 全年齢

あらすじ

祓い師見習いの蓮は、怖がりだ。 怪異を前にすれば足は震える。 札を握る指は汗ばみ、喉は乾く。 それでも、目を逸らすことだけはできなかった。 先輩祓い師の沙耶とともに、蓮は各地に残る怪異を訪ねていく。 灰をまとった狼。 雨の降らない町に増え続ける赤い傘。 誰もいない駅で鳴る鈴。 消えない灯り。 閉じた家に残る声。 だが、怪異はただの化け物ではない。 怒り。 悲しみ。 後悔。 待ち続けた想い。 言えなかった言葉。 見て見ぬふりをされた痛み。 人が受け取れなかった感情は、やがて形を持ち、夜の中を歩き出す。 蓮が使うのは、怪異の奥にある感情を観る札。 沙耶が鳴らすのは、届かなかった声を届ける鈴。 二人の祓いは、怪異を殺すためのものではない。 形になってしまった痛みを、もう一度、人が受け取れるものへ戻すためのものだ。 怖いまま、見る。 震えながら、聞く。 消すのではなく、ほどく。 これは、見習い祓い師・蓮と、過去に向き合い続ける祓い師・沙耶が、各地の怪異と未処理の感情をめぐる連作怪異譚。 祓うべきは、怪物か。 それとも、誰かが見なかったことにした痛みか。

本文

雨無町での「赤い傘」の処理を終えた俺たちは、そのまま県境を越えて山間部の町へ入った。

車を降りた瞬間、むせ返るような青臭い匂いが鼻を突いた。

先ほどまでのひび割れたアスファルトの乾きは、ここにはない。

代わりに、山の湿気と、深い森の匂いが肺の奥まで入り込んでくる。

時刻は午後十時を回っていた。

国道から一本外れた細い坂道を登る。

街灯は極端に少ない。

ヘッドライトの光が、両脇に生い茂る木々の枝を白く浮かび上がらせては、背後の闇へと流し去っていく。

坂を登り切った先に、その駅はあった。

小さな、木造の平屋建てだった。

ロータリーと呼べるような広場はなく、車が二台も停まれば一杯になるような砂利のスペースがあるだけだ。

足を踏み入れると、靴の裏で砂利がジャリ、と重い音を立てた。

駅舎の屋根は波打つように歪み、ところどころ瓦が剥がれ落ちている。

壁の白いペンキはまだらに剥げ、下地の黒ずんだ木目がむき出しになっていた。

「ここですか」

俺の問いに、沙耶さんは小さく頷いた。

今回の依頼主は、この一帯を管轄する地方自治体だ。

表向きの依頼名は『廃止予定施設の夜間安全確認および地域住民の不安解消調査』。

だが、俺たち祓い師の元へ回ってきたということは、当然ながらただの設備点検ではない。

自治体も警察も、そして俺たちも分かっている。

これは、行政の手が届かない領域に発生した『縁域(えんいき)』の案件だ。

報告書の内容は、短いものだった。

『廃止予定の当駅において、終電後に鈴の音がするとの苦情あり。また、誰もいない改札付近に人の気配があるとのこと』

それだけだ。

不審者が出たわけでも、事件が起きたわけでもない。

ただ、気配と音があるだけ。

普通の警察なら、いたずらか気のせいで片付けて終わる。

だが、この山間の限界集落に近い駅では、その『気のせい』が怪異の発生点になり得ることを、役場の人間は経験則として知っていたのだろう。

駅舎の中へ入る。

自動ドアなどない。

重い木枠の引き戸は開け放たれたままで、隙間風が自由に吹き抜けていた。

待合室のベンチは、プラスチックの表面が白く粉を吹いている。

壁の掲示板には、数年前で更新の止まった色褪せた観光ポスターと、日焼けして顔が青白く変色した選挙ポスターが画鋲で留められていた。

券売機は一台だけ。

画面は真っ暗で、硬貨を入れるスリットには几帳面にガムテープが貼られている。

壁には錆びた時刻表。

その下には、誰も使わなくなった古い傘立てが放置されていた。

誰もいない。

虫の鳴き声すら聞こえない。

不自然なほど静かだった。

「駅はね」

静寂の中で、沙耶さんがぽつりと言った。

彼女は、待合室の奥にある改札口を見つめていた。

自動改札機ではなく、昔ながらの鉄の柵が二本突き出ているだけの簡素なものだ。

「帰る人と、待つ人の記憶が、溜まりやすい」

その言葉の響きに、俺は左手を札袋へ入れた。

二本指で観符(かんぷ)を引き抜く。

札の表面の墨が、俺の体温でじわりとにじんだ。

視界が少しだけずれる。

物理的な風景の上に、感情の輪郭が重なる。

俺は、息を呑んだ。

誰もいないはずの待合室。

その一番奥のベンチに。

薄い、人型の影が座っていた。

輪郭が揺らいでいるが、はっきりと大人の男だと分かった。

くたびれたスーツを着ている。

膝の上には、四角いビジネスバッグのようなものを抱え込み、さらに足元には紙袋のようなものを置いている。

顔はない。

のっぺりとした闇の塊だ。

だが、その影が「列車を待っている」ことは明白だった。

男の顔の向きは、常に改札の向こうのホームへ向けられている。

「沙耶さん、あれ……」

「うん。でも、もうすぐ終電」

沙耶さんが手首の時計を見る。

夜の二十三時三十分。

遠くで、カン、カン、という音が響いた。

踏切の音だ。

山の向こうから聞こえてくる。

俺たちは改札を抜け、ホームへ出た。

雑草がコンクリートの隙間から伸び、足首の高さまで達している。

天井から吊るされた蛍光灯が、ジジジ、と低いノイズを鳴らしていた。

やがて、線路が微かに震え始めた。

足元から伝わる振動が、少しずつ大きくなる。

闇の中から、二つの丸いヘッドライトが現れた。

光がホームを舐め、俺たちの影を壁に長く引き伸ばす。

重い鉄の車輪がレールを軋ませる音が、空気を震わせた。

二両編成の短い列車が、ホームへ滑り込んでくる。

プシュー、と大きな音を立ててドアが開いた。

車内は明るいが、乗客の姿は一人も見えなかった。

俺は待合室を振り返った。

ベンチの上の影は、動かない。

立ち上がることすらしない。

ただ、開いた列車のドアをじっと見つめているだけだった。

誰も降りない。

誰も乗らない。

数秒間の停車。

ブザーが鳴り、ドアが閉まる。

列車は再び動き出した。

重いモーター音を残し、闇の中へ進んでいく。

赤い尾灯が二つ、どんどん小さくなり、やがてカーブの先へ消えた。

踏切の音が止んだ。

線路の振動も消えた。

圧倒的な静寂が戻ってきた。

残ったのは、頭上の蛍光灯が立てるジジジというノイズと、むせ返るような鉄と機械油の匂いだけだった。

男の影は、列車に乗らなかった。

まだベンチに座っている。

俺は小さく息を吐いた。

今日の列車は、これですべて終わりだ。

これ以降、朝まで列車は一本も来ない。

ちりん。

突然。

静寂を切り裂くように、音が鳴った。

俺は弾かれたように改札口の方を見た。

自動改札機のエラー音でも、列車のブザーでもない。

もっと古い、金属の玉がぶつかり合うような音。

ちりん。

もう一度鳴った。

音源は、改札の窓口だ。

カーテンの閉まった駅員室の前に、かつて客が駅員を呼ぶために置いてあった古い呼び鈴。

それが、勝手に鳴っている。

待合室の影を見た。

ベンチには、もう誰も座っていなかった。

代わりに、改札の柵のすぐ内側に、あのスーツ姿の男の影が立っていた。

男は外へ出ようとせず、ただじっと、改札の向こう側から俺たちを見つめていた。

終電は、もう行った。

それなのに。

誰もいない改札で、ただ鈴だけが鳴っていた。

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作者について

中野ポン太

中野ポン太

燃料は札と火と湯気。中野ポン太です。ふざけた顔で近づき、読者の胸の奥に剥がれない「何か」を直貼りします。火曜は定休。主戦場『桝川劇場』は、爆笑の後に「たぶん。」という小骨が喉に刺さる深夜系哲学コント。...

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