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第16話 帰るための灯り

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/17 📚 シリーズ: 祓い師沙耶は、怪異を祓わない ――鳴らない鈴と見習いの記録―― 📝 2,417文字 ✅ 全年齢

あらすじ

祓い師見習いの蓮は、怖がりだ。 怪異を前にすれば足は震える。 札を握る指は汗ばみ、喉は乾く。 それでも、目を逸らすことだけはできなかった。 先輩祓い師の沙耶とともに、蓮は各地に残る怪異を訪ねていく。 灰をまとった狼。 雨の降らない町に増え続ける赤い傘。 誰もいない駅で鳴る鈴。 消えない灯り。 閉じた家に残る声。 だが、怪異はただの化け物ではない。 怒り。 悲しみ。 後悔。 待ち続けた想い。 言えなかった言葉。 見て見ぬふりをされた痛み。 人が受け取れなかった感情は、やがて形を持ち、夜の中を歩き出す。 蓮が使うのは、怪異の奥にある感情を観る札。 沙耶が鳴らすのは、届かなかった声を届ける鈴。 二人の祓いは、怪異を殺すためのものではない。 形になってしまった痛みを、もう一度、人が受け取れるものへ戻すためのものだ。 怖いまま、見る。 震えながら、聞く。 消すのではなく、ほどく。 これは、見習い祓い師・蓮と、過去に向き合い続ける祓い師・沙耶が、各地の怪異と未処理の感情をめぐる連作怪異譚。 祓うべきは、怪物か。 それとも、誰かが見なかったことにした痛みか。

本文

翌日の昼下がり、俺と沙耶さんは坂の下の住宅地を歩いていた。

空き家ばかりの区画を少し下ると、まだ何軒かの家に人の気配があった。

門扉の前が綺麗に掃き清められ、自転車が停まっている家。

庭先で、プラスチックのジョウロを持った初老の女性が、プランターのパンジーの手入れをしていた。

俺たちは不動産会社から委託された環境調査だと名乗り、少しだけ話を聞くことにした。

女性は持っていた小さなスコップを土に突き刺し、坂の上の家を振り返った。

「ああ、坂上さんのところね」

女性は、どこか気の毒そうな、少しだけ声を潜めるような口調になった。

「あそこ、今はもう誰も住んでないのよ。理佳子さんも、二年くらい前に遠くの施設に入っちゃってね。ほら、ここ数年で一気に足腰も悪くなっちゃったし。身寄りもないから、民生委員の人が手続きしてくれたみたいだけど」

俺は頷き、探りを入れるように尋ねた。

「あの家、夜になると二階に灯りが点くという話があるんですが」

「そうねえ」

女性は、特に怪異を恐れるような素振りは見せなかった。

プランターの湿った土の匂いが、風に乗って微かに漂ってくる。

女性は悲しい昔話をするように目を細め、土のついた軍手をパンパンと払い合わせた。

「理佳子さんが引っ越してからも、時々点いてるみたいね。ブレーカーは落としてあるはずなんだけど、あんな古い家だから、どこか見えないところで電線がショートでもしてるのかしらね」

女性の解釈は、あくまで物理的な故障だった。

それが、理佳子という人物の生前の行動と強く結びついているからこそ、近所の人間もそれを「霊的な異常」とは結びつけて考えないのだろう。

「理佳子さん、本当に健気な人だったのよ」

女性が、ポツリと言った。

「ご主人が、仕事の帰りに山道で事故に遭ってね。車ごと崖から落ちたらしいんだけど、警察がいくら山狩りして探しても、ご遺体が見つからなくて。もう十年以上前の話よ。でも理佳子さんは、ずっと待ってたんだよ」

女性の視線が、再び坂の上の家に向いた。

昼間の太陽の下で見上げるその家は、昨夜の不気味さはなく、ただ古びて色を失った死骸のように見えた。

「『あの人、暗いと怖がるから』『帰ってきた時に家が暗かったら嫌だから』って言ってね。ご主人がいなくなってから、理佳子さんが施設に入るまでの十年間。一日も欠かさず、毎晩二階の部屋の灯りをつけてたのよ。本当に、かわいそうだったわ」

俺の脳裏に、雨無町で会ったアカリの姿がよぎった。

来ない母を待ち続けた少女。

赤い傘の下から動けなかった悲しみ。

待つということは、それ自体が途方もない痛みを伴う。十年間、点くはずのない灯りを点け続けた理佳子の優しさと執着。

俺たちが頭を下げてその場を離れた後。

並んでアスファルトの坂道を登りながら、沙耶さんがぽつりと言った。

「灯りは、優しいとは限らない」

アスファルトを蹴るスニーカーの音が、やけに乾いて響いた。

俺は沙耶さんの横顔を見た。

いつも通り、感情を読ませないフラットな表情だった。

だが、その声のトーンは、ただ事実を述べているだけの響きではなかった。

「……どういうことですか」

俺が尋ねると、沙耶さんは坂の上の家を見上げたまま、一度だけ瞬きをした。

風が吹き抜け、路肩に溜まった枯れ葉がカラカラと音を立てて転がっていく。

「帰る場所って、時々、人を閉じ込めるから」

それ以上、沙耶さんは何も言わなかった。

俺も、それ以上は聞かなかった。

聞いてはいけない気がしたのだ。

駅鈴の時、沙耶さんは「帰らなかった怪異は嫌い」と言った。

そして今、帰る場所が人を閉じ込めると言う。

日が落ちた。

昨日と同じように、青黒い闇が住宅地を包み込む。

気温が一気に下がり、吐く息が白く濁り始めた。

俺と沙耶さんは、坂の中腹に立ち、あの家の二階を見上げた。

点いた。

昨日と全く同じ時間。

二階の一室の窓が、四角く切り取られたように、不自然に温かいオレンジ色の光を放つ。

電気系統が死んでいる家で点く、理佳子の十年の執着が生み出した光だ。

俺は、観符を引き抜いた。

視界が少しだけずれる。

物理的な風景の上に、怪異の輪郭が浮かび上がる。

窓の『外側』に、やはりあの黒い影がいた。

大人の男の背格好。

両手をガラスに押し当て、中から漏れる灯りに向かって、必死に顔を近づけている。

帰れなかった夫の影だ。

妻が自分のために点けてくれた灯りの元へ、帰ろうとしている。

俺はじっと、その影の動きを観察した。

影は、窓ガラスをすり抜けようとしているように見えた。

霊的な存在であれば、物理的なガラスなど障壁にはならないはずだ。

それなのに、影は窓の外側に張り付いたまま、一歩も中へ入れずにいる。

影が、強くガラスに身体を押し付けた。

中へ入ろうと、もがくように腕を動かす。

その瞬間だった。

二階の部屋の中から漏れるオレンジ色の光が、フッと、まるで溶鉱炉のように一段階強く輝いた。

同時に。

バンッ、と。

窓ガラスが物理的に震えるほどの衝撃音とともに、影の身体が、見えない壁に弾き飛ばされるように後方へ仰け反った。

「……え」

俺は思わず声を漏らした。

影が体勢を立て直し、再び窓ガラスに近づこうとする。

だが、光が熱を持つように強くなると、影はまるで猛烈な熱波に当てられたように、外側へ押し戻されてしまうのだ。

「中へ、入れない……?」

俺の呟きに、沙耶さんが静かに頷いた。

「あの灯りは、迎えるための光じゃない。あれは『待つ』という行為そのものを固定するための装置」

灯りは、道しるべではない。

夫の影を、この窓辺に縫い止めるための呪いだ。

影は、また窓に近づこうとした。

だが、温かくて優しいはずの光が、容赦なく夫の影を弾き返した。

帰る場所を用意されているのに、中へ入れない。

誰かの優しさが、彼をこの夜の闇の中に永遠に閉じ込めていた。

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作者について

中野ポン太

中野ポン太

燃料は札と火と湯気。中野ポン太です。ふざけた顔で近づき、読者の胸の奥に剥がれない「何か」を直貼りします。火曜は定休。主戦場『桝川劇場』は、爆笑の後に「たぶん。」という小骨が喉に刺さる深夜系哲学コント。...

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