幕間 鳴らない鈴
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
祓い師見習いの蓮は、怖がりだ。 怪異を前にすれば足は震える。 札を握る指は汗ばみ、喉は乾く。 それでも、目を逸らすことだけはできなかった。 先輩祓い師の沙耶とともに、蓮は各地に残る怪異を訪ねていく。 灰をまとった狼。 雨の降らない町に増え続ける赤い傘。 誰もいない駅で鳴る鈴。 消えない灯り。 閉じた家に残る声。 だが、怪異はただの化け物ではない。 怒り。 悲しみ。 後悔。 待ち続けた想い。 言えなかった言葉。 見て見ぬふりをされた痛み。 人が受け取れなかった感情は、やがて形を持ち、夜の中を歩き出す。 蓮が使うのは、怪異の奥にある感情を観る札。 沙耶が鳴らすのは、届かなかった声を届ける鈴。 二人の祓いは、怪異を殺すためのものではない。 形になってしまった痛みを、もう一度、人が受け取れるものへ戻すためのものだ。 怖いまま、見る。 震えながら、聞く。 消すのではなく、ほどく。 これは、見習い祓い師・蓮と、過去に向き合い続ける祓い師・沙耶が、各地の怪異と未処理の感情をめぐる連作怪異譚。 祓うべきは、怪物か。 それとも、誰かが見なかったことにした痛みか。
本文
灯窓の案件を終えた翌日の昼下がり。
事務所の古いソファに座った沙耶さんは、珍しく手元の作業に没頭していた。
彼女の膝の上には、いつも使っている銀色の祓い鈴が乗っている。
沙耶さんは、鈴の持ち手部分に巻かれた赤い組み紐を、一度完全に解き、再び丁寧に編み直していた。
その指先の動きは正確で、音を立てることもなく、ただ黙々と紐の結び目を作っては引き締める動作を繰り返している。
俺は少し離れたパイプ椅子から、その様子を見ていた。
昨日、あの暴走する怪異の家の中で、彼女の鈴は鳴らなかった。
技術的なミスでも、物理的な故障でもなく、彼女自身が「鳴らさなかった」のだと、俺には分かっていた。
それでも、俺はあえて物理的な質問を投げた。
「壊れたんですか?」
沙耶さんは紐を編む手を止めず、顔も上げずに答えた。
「壊れてない」
キュッ、と絹の紐が引き締まる小さな音がした。
「少し、引っかかっただけ」
「引っかかった……?」
俺の問い返しに、沙耶さんはようやく手を止め、膝の上の鈴を見つめた。
秋の薄い日差しが、銀色の表面に冷たく反射している。
「音が止まる時は、私が止まってる時だから」
それは、ただの事実の報告だった。
言い訳でも、自己嫌悪でもなく、道具と自分の関係性をそのまま口にしただけの言葉。
沙耶さんは最後の結び目を作り終えると、鈴を持ち上げて小さく振った。
ちりん。
昨日鳴らなかったはずの金属音が、冷たく澄んだ響きを持って事務所の空気を切った。
その音が消えるまで、俺たちはどちらも口を開かなかった。