2話 偽りの天才ピアニストの身代わりはもうやめます。~私を暗闇から救い出したのは、至高のサックス奏者の執着愛でした~

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

あらすじ

従姉妹イザベラの「影」として、地下の防音室でピアノを弾き続けるエレーナ。 才能を搾取され、幽霊のように生きる彼女を見つけ出したのは、冷酷な天才サックス奏者、ギルバートだった。 嘘にまみれた華やかなステージ。その裏で、ギルバートはエレーナの指と魂を執拗に暴いていく。 今夜、偽りのミューズが堕ち、地下の幽霊が真実の愛に鳴り響く――。

本文

 翌日の昼下がり。『ブルームーン』のフロアには、夜の喧騒が嘘のような、ひんやりとした静寂が漂っていた。

 高い天井に設置された空調の微かな音だけが響く中、ギルバート・ウィンストンはステージの中央、一脚の椅子に腰を下ろしていた。

 彼の傍らには、銀色に輝くテナーサックス。

 ギルバートは、昨夜の演奏を録音した音源を、ワイヤレスのヘッドホンで何度も、執拗なまでに聴き返していた。

「……ありえないな」

 彼はサックスのリードを指先でなぞりながら、低く独りごちた。

 再生されているのは、昨夜のセッションの終盤、彼が仕掛けた即興演奏のパートだ。

 ギルバートは、音楽に対して異常なほど潔癖な男だった。彼にとって音楽は、人間の肉体以上に嘘をつけない「魂の吐露」そのものだ。

 ヘッドホンの中のピアノは、神懸かっていた。

 ギルバートが故意にリズムを後ろへずらし、挑発するように吹き鳴らしたブルー・ノート。それに対し、ピアノはコンマ数秒のラグもなく、完璧な打鍵で応じている。いや、応じるどころか、彼の肺活量や、次に選ぶであろう音階を予見しているかのように、旋律の先回りをして彼を誘惑していた。

 その演奏は、官能的だった。

 まるで、薄い膜越しに互いの脈動を感じ合っているような、そんな生々しい共鳴。

 だが――ギルバートの脳裏に浮かぶのは、ステージ上で優雅に身を揺らしていたイザベラの姿だ。

 彼女は確かに、完璧なタイミングで指を動かしていた。けれど、その指先からは、この録音から溢れ出しているような「狂気」も「渇望」も感じられなかった。

「指が、笑っているんだ」

 ギルバートはヘッドホンを外し、無人の客席を見つめた。

 イザベラの指の動きは、確かにこの音をなぞっている。だが、そこには「音を選ぶ苦悩」がない。彼女の指は、まるで決まったレールの上を滑る機械のように滑らかすぎた。

 そして何より、スピーカーから流れる音の「重心」が、ピアノのある位置から微妙にずれている。

 耳が良すぎるがゆえに、彼はその歪みを看過できなかった。

「ギルバート様、お疲れですか?」

 背後から、甘ったるい香水の香りと共に声がした。

 イザベラだ。彼女は今日、ギルバートとの「打ち合わせ」という名目で、エレーナから借り受けた最新のファッションに身を包み、勝ち誇ったような笑みを浮かべて現れた。

「……いや、昨夜の余韻に浸っていただけだ。君のピアノは、実に素晴らしかったよ」

 ギルバートは、本心を霧の向こうに隠したまま、完璧な紳士の微笑みを向けた。

「まあ! 嬉しい。私、ギルバート様のサックスを聴いていると、指が勝手に動いてしまうんです。私たちの相性、世界中の誰よりも完璧だと思いませんか?」

 イザベラが彼の腕に手を添える。その指先を、ギルバートは鋭い眼差しで見つめた。

 爪先まで完璧に整えられたネイル。あのアグレッシブな打鍵を繰り返した人間の指にしては、あまりにも柔らかく、傷一つない。

「ああ、完璧すぎて、時々魔法でも使っているんじゃないかと疑いたくなるほどだ。……ところで、君の従姉妹――エレーナだったかな。彼女はどこに?」

 唐突な問いに、イザベラの眉がわずかにピクリと動いた。

「エレーナ? ああ、あの子なら楽屋の掃除でもさせていますわ。あの子、ピアノの才能はさっぱりですけれど、私の身の回りの世話だけは得意なんです。……ギルバート様、あんな地味な子に興味がおありで?」

「まさか。ただ、君のような天才を支える裏方には、それなりの苦労があるだろうと思ってね」

 ギルバートは、イザベラの瞳の奥に潜む、わずかな「焦燥」を逃さなかった。

 彼は確信した。この女は、嘘をついている。

 そして、その嘘の「中身」は、おそらくこの地下のどこかに隠されている。

「イザベラ。今夜も素晴らしいセッションを期待しているよ」

 彼は彼女の甲に、冷ややかな口づけを落とした。

 イザベラが頬を染めて去った後、ギルバートはサックスをケースに仕舞い、ステージの床に膝をついた。

 彼は、ピアノの足元付近にある、微かな床の隙間を見つける。そこからは、何本かの太いケーブルが地下へと伸びていた。

 彼は立ち上がり、迷うことなく、普段はスタッフしか使わない、地下への入り組んだ階段へと足を踏み入れた。

「……さて。幽霊の正体を拝ませてもらおうか」

 その瞳には、一人の音楽家としての激しい好奇心と、そして何よりも、自分を欺こうとした者への冷酷な独占欲が渦巻いていた。

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作者について

絹ごし春雨

絹ごし春雨

主になろうに生息しています。カクヨムに置いていたGemini小説を試しに置いてみます。

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