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3話 偽りの天才ピアニストの身代わりはもうやめます。~私を暗闇から救い出したのは、至高のサックス奏者の執着愛でした~

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

あらすじ

従姉妹イザベラの「影」として、地下の防音室でピアノを弾き続けるエレーナ。 才能を搾取され、幽霊のように生きる彼女を見つけ出したのは、冷酷な天才サックス奏者、ギルバートだった。 嘘にまみれた華やかなステージ。その裏で、ギルバートはエレーナの指と魂を執拗に暴いていく。 今夜、偽りのミューズが堕ち、地下の幽霊が真実の愛に鳴り響く――。

本文

 ギルバートが地下へと続く重い扉を押し開けた頃、エレーナはまだ、そこが「安息の地」であると信じて疑わなかった。

 狭い防音ブースの中、彼女は次の公演で使う予定の難解な譜面と格闘していた。イザベラが「これを一晩で完璧にしておけ」と投げ捨てていった、現代ジャズの複雑な変拍子。それは、プロのピアニストでも悲鳴を上げるような代物だ。

(……ここ、指が届かない。でも、ギルバート様のサックスなら、きっとここで一度タメを作るはず)

 エレーナは譜面を睨みながら、昨日、壁越しに、あるいは配線越しに触れた彼の呼吸を思い出す。

 彼との「共鳴」を再現しようとする時だけ、彼女の心は借金や叔父夫婦の冷たい視線から解放された。エレーナにとって、この暗いブースは檻であると同時に、彼と魂で逢瀬を重ねるための聖域でもあったのだ。

 その時、不意に背後の扉が開いた。

「あら、まだやってるの? 感心ね」

 現れたのは、練習を終えたばかりのイザベラだった。彼女は高価なレースのハンカチで額を拭いながら、蔑むような、けれどどこか「大切な道具」を慈しむような歪な笑みを浮かべていた。

「見て、エレーナ。これ、ギルバート様からいただいたチョコレートよ。一粒であなたの月給より高いんじゃないかしら」

 イザベラは一粒のショコラを口に放り込み、見せつけるように咀嚼する。

「彼、私のピアノに心酔しているわ。今日もね、『君の指には魔法がかかっている』なんて囁いてくださったのよ。……ふふ、あながち間違いじゃないわよね? その魔法の杖を握っているのは、私なんだから」

 イザベラはエレーナの肩を、細い指先で強く、痛いほどに掴んだ。

「いい? 勘違いしないでね。あなたがこうしてピアノを弾いていられるのは、私がそれを望んでいるからよ。叔父様たちは、あなたを工場にでも売れと言ったけれど、私が止めたの。あなたがここで私に化けていれば、私はセレブになれるし、あなただって大好きなピアノを触っていられる。……Win-Winじゃない?」

「……はい、分かっています、イザベラ」

 エレーナは伏し目がちに答えた。

 イザベラにとって、エレーナは「愛すべき楽器」なのだ。自分が輝くために最高のコンディションに保ち、磨き上げ、けれど決して自分の意志で鳴ることは許さない。

「分かっていればいいの。……ああ、そうだ。今夜は少し指の動きを大人しくして。ギルバート様が私の指を見つめる時間が長くなっている気がするの。あんたが余計な装飾(デコレーション)を入れすぎると、私の指が追いつかないでしょ」

「……善処、します」

「『はい』でしょ? ……さあ、これ、お裾分け。食べたらすぐ、次の曲の練習に戻りなさい」

 イザベラは食べかけのチョコレートの包み紙をエレーナの譜面の上に放り投げると、満足そうにブースを出て行った。

 残されたエレーナは、カカオの甘い香りが漂う中で、震える指を鍵盤に乗せた。

 イザベラは知らない。エレーナが奏でるアドリブは、彼女が言うような「余計な装飾」などではなく、ギルバートの音が求めて止まない「唯一の答え」であることを。

(ギルバート様……もし、私の音があなたを困らせているのなら……)

 エレーナは悲しげに目を伏せ、音の出ない鍵盤をそっと撫でた。

 彼女は、自分の音が彼を「狂わせ始めて」いることに、まだ気づいていなかった。

 そして。

 ブースのすぐ外の暗がりに、一人の男が立ち、そのやり取りのすべてを「録音」していたことにも。

 暗闇の中で、ギルバートの瞳が獲物を仕留める猛獣のように、冷たく、そして激しく燃え上がっていた。

「……なるほど。魔法の杖、か」

 彼は手の中のボイスレコーダーを止めると、音もなく階段を上がり始めた。

 彼の計画は、ここですべてが決まった。

 欺かれた屈辱。そして、地下で見つけた「本物の音」の主が、あんなにも惨めに搾取されているという事実。

 それらは、ギルバートの中にある独占欲と加虐心、そして狂おしいほどの愛着を同時に爆発させた。

「待っていなさい、私のゴースト。……君を縛る鎖を、今夜、私がすべて買い取ってあげる」

 ギルバートの足音は、死神の足取りのように静かで、残酷だった。

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作者について

絹ごし春雨

絹ごし春雨

主になろうに生息しています。カクヨムに置いていたGemini小説を試しに置いてみます。

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