第一章 マロン
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
本作は、往年の特撮ヒーローや特撮作品への深いリスペクトと愛をベースに描かれる、熱く切ない青春ジュブナイルストーリーです。 過去の傷やコンプレックス、そして「記憶喪失」という過酷な運命に直面しながらも、己の「好き」という純粋な気持ちを武器に立ち上がる少年少女たちの姿を描きます。 ……なんてまあ、堅っ苦しいことを書いてますが、基本的にはライト感覚な、等身大ヒーローの活躍を描いた青春譚なので、気軽に楽しんでいただければ幸いです。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
彼女のことが気になりだしたのは、いつからだろう。
そんなことを考えながら、俺はコーヒーをひとすすりした。
焙煎された豆の芳醇な香りと、古い紙が放つ独特の埃っぽさが同居した、不思議な空間。
古書カフェ「マロン」。
表向きはお洒落なカフェだが、店の奥へ進むほどに空気は変わり、突如昭和の古本屋へとワープしたような感覚を覚える。初めて来た時から、俺はこの隠れ家のような店が気に入っていた。
窓の外では、街路樹に残った最後の赤が、冷え込んだ北風に根負けして、カサリと乾いた音を立ててアスファルトを滑っていく。見上げた空は昨日より一段と高く、透き通るような硬質な青に変わりだしていた。
冬が、すぐそこまで来ている。
俺の名前は相羽勇介。十五歳。
このカフェの近くにある学習塾に、火・金の週二日通う、高校受験を控えた中学三年生だ。
自宅は隣町の閑静な住宅街にある。そこからいつも自転車で二十分ほどかけて通っている。バスで通えば楽なのだが、身体が鈍らないためのトレーニングも兼ねてのことだ。夏に引退するまで陸上部に所属していた俺は、引き締まった筋肉質な身体で、自分で言うのもなんだが運動神経は抜群—ただし、球技以外は。
顔立ちは、まあ悪くないと思う。周囲からは優しい雰囲気があると言われる。正義漢で前向きな性格だが、多少おせっかいというか、情に流されやすいところがある。先日のひったくり犯への「ライダーキック」も、つまりはそういうことだ。損な性分だとは思う。だが直す気はない。直らんだろうな。
そもそも、なぜまたこんな隣町の塾にわざわざ通っているのか。
答えは簡単だ。この店—「マロン」のためである。
一年前、中体連の大会へ向かうバスの車窓から、この店を見つけた。「古書カフェ」という文字と、レトロな看板が目に飛び込んできた瞬間、胸の奥で何かが反応した。夏に陸上を引退してから、真っ先にやったのは、この店の近くにある学習塾を探すことだった。受験勉強もできて、趣味にも浸れる。これ以上の選択肢はなかった。
親にわがままを言って、行かせてもらっているわけさ。
塾の前に「マロン」へ寄って、コーヒーを一杯飲む。それが俺のルーティンだ。
そして何より楽しみなのが、店の奥にある「レトロ特撮コーナー」だ。二十世紀の特撮作品を取り扱った書籍や雑誌が、壁一面にぎっしりと並んでいる。俺はそこで、まるで骨董品を値踏みするコレクターのように棚を眺め、気になった本を手に取る。この時間が、たまらなく好きだ。
そう、俺は特撮オタク—通称「特オタ」だ。
ウルトラマン、仮面ライダー、スーパー戦隊。特撮ヒーローと呼ばれるジャンルが特に好きだ。もっとも、幼い頃からずっと好きだったわけじゃない。ハマったのは中二の春からだ。まあまあ最近の話である。
元をたどれば、父親の影響が強い。
一九八〇年代に幼少期を過ごした父は、ブルース・リー、ジャッキー・チェン、ドラゴンボール、北斗の拳——そういうものを愛していた。
その空気の中で育った俺が、アクションエンターテイメントに惹かれるのは必然だった。そしてアクション後進国であるこの国の、数少ない本格アクション作品の代表格が「特撮ヒーロー番組」だ。傾倒するのは、まあ、当然の流れだろう。
数ある作品の中でも、俺が最も愛するのは「メタルヒーローシリーズ」——メタリックボディのヒーローが活躍する作品群だ。その元祖にして頂点、「宇宙刑事シリーズ三部作」の第一作目「宇宙刑事ギャバン」
もう四十年以上前の作品だが、洗練されたアクション、当時の最先端技術を駆使した特撮、そして主演・大葉健二氏の圧倒的な存在感。元スタントマンである彼の、愛嬌とカッコよさが調和したヒーロー演技に、俺は完全にやられた。
ギャバンは、俺にとって最も理想的なヒーロー像だ。そしていつか、自分もそうでありたいと思っている。
特撮コーナーの壁一面を埋め尽くす書架。そこには子供向けのカラフルな超全集から、往年のファンを唸らせる分厚い研究読本まで、多種多様な『特撮関連本』が所狭しと並んでいた。色褪せた背表紙の群れが、放つ独特の熱気。それは、なかなか壮観な眺めだった。
コーヒーカップを置いて、俺は立ち上がった。レトロ特撮コーナーへ向かう前に、カウンターの方へ視線をやる。
—彼女は、今日もそこにいた。
話を戻そう。
俺が彼女を初めて見たのは、まだ秋には程遠い十月のことだ。
いつものように店に入ると、古本コーナーのレジに、見慣れない顔があった。いつもそこにいる年配のパート女性ではなく、眼鏡をかけたショートカットの若い女性が座っていた。それが彼女だった。
古本コーナーは、レトロな雰囲気を演出するためか、中は少々薄暗い。最初はすぐに分からなかったが、近くで見てみると、どうやら自分と同世代らしかった。
(可愛いな。同級生か?それとも高校生かな?)
彼女はいつもレジで本を読んでいる。その姿が、妙に空間に溶け込んでいて様になっていた。時々、店内に向けられる視線が鋭いと気づいたのは、少し経ってからだ。
もっとも、この時点ではまだ、可愛い新人店員という認識でしかなかった。
俺が彼女を意識しだしたのは、それからしばらくした十一月頃のことだ。
その日もいつものように来店して、コーヒーを飲んでいると、奥の古本コーナーから客の男性が出てこようとしていた。
その瞬間だった。
「お父さん!」
よく通る声が、静かな店内に響いた。彼女の声だった。何かを必死に訴えている。その声に呼応するように、店主が男性客の前に立ちふさがった。
万引きだった。
彼女がそれを目撃して、父親である店主に知らせたのだ。しばらくして近くの交番からお巡りがやってきて、男は連行されていった。
この時点で俺は、彼女が「マロン」店主の娘だと知った。レジで本を読んでいるだけに見えて、店内の犯罪行為にしっかり目を光らせていたのだ。
(やるな)
素直にそう思った。
コーヒーを飲み終えた俺は、古本コーナーへ向かい、昔の特撮誌「宇宙船」を一冊手に取った。それをレジへ持っていくと、彼女が顔を上げた。
「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」
笑顔で立ち上がった彼女の声は、さっきの叫び声とはまるで別物だった。静かで、甘くて、思わず聴き惚れてしまうような声だった。
俺は声フェチなのだ。
だがそれ以上に目を奪われたのは、彼女が先ほどまで読んでいた本だった。数多くの特撮ヒーロー番組を手がけた、名プロデューサーの自伝本だった。
(まさか。彼女も俺と同じ、特オタか?)
「八百円になります」
考えていたら、彼女が言った。慌てて財布から千円を出す。お釣りの二百円を受け取るタイミングで、俺は声をかけた。
「さっきの万引き、悪いやつがいますね」
「あっ、はい」と彼女は言った。
「見つけた時はビックリしちゃって、ちょっと怖かったけど、任務ですから」
はにかみながら言った。
(任務? 面白い表現を使う子だな)
そう思っていたら、奥から店主がやってきた。
「ありがとうレイ。おかげで万引きを未然に防げたよ」
なるほど。彼女の名前はレイというらしい。
「へへっ、店の役に立てて良かった」
彼女は小さく親指を立てた。サムズアップ。
「さすが!我が家のヒーローだな」
「止めてよ、お父さん!」
人前で言わないでという素振りで、レイは顔を赤くしながら唇に指を当てた。
「ははは、悪い 悪い」
低く野太い、じつに見事な美声で店主は朗らかに笑った。
この「マロン」の店主は、格闘技でもやっているのか、やたら体格がいい。若い頃の藤岡弘—仮面ライダー一号・本郷猛を思わせる、ワイルドな風貌の持ち主だ。いつも元気よく挨拶をしてくれる。俺はひそかに彼のことを「本郷さん」と呼んでいる。
(そうか。本郷さんの娘さんがレイさんか)
あの武骨な店主に、こんなチャーミングな娘がいるとは—とは思ったが。考えてみれば、藤岡弘氏にも超絶美形の令嬢がいるのだから、別に不思議な話ではない。
それより気になるのは、彼女が読んでいた本だ。特撮作品の裏側を掘り下げたあの手の本を読んでいるということは、彼女は相当な年季が入った特撮好きのはずだ。
俺は購入した雑誌をカバンに入れ、「それじゃあ、また来ます」と言った。
本郷さんとレイさんが、綺麗に声を揃える。
「ありがとうございました」
イケボと癒しボイスのハーモニーが、なんとも耳に心地よかった。
店を出た俺の頭の中は、レイという名の女の子の情報で完全に占拠されていた。
ショートカット。眼鏡。癒しボイス。特撮好き。
俺の好みのストライクゾーンを、すべての球種で打ち抜いていくような条件が揃っている。気にならないわけがない。
それ以来、趣味に受験勉強に燃えるナイスガイ・相羽勇介くんは、恋するナイーブな純情ボーイと化してしまった。
それが数日前の話。
さっきまでコーヒーを飲みながら黄昏ていたのは、そういうわけだ。
話したい。同じ趣味を持つ者として、そして何より、一人の魅力的な女の子として、もっと彼女と言葉を交わしてみたい。
だが、今の俺の手元には、飲み終えようとしてる一杯のコーヒーカップがあるだけだった。
彼女が立つレジの前に進み出るための「大義名分」。つまり、購入する本が今の俺にはなかった。棚をざっと見渡してみても、どうしても今すぐ欲しいと思える、手頃な値段の一冊が見当たらない。
本を一冊レジへ持っていけば、客と店員として、ごく自然に一言二言の会話を交わすことができるだろう。お釣りのやり取りのさい、あのプロデューサーの自伝本について「あれ、面白いですよね」なんて、さりげなく共通の話題を振ることだってできたはずだ。
だが、俺はしがない中学三年生だ。自由に使える小遣いには限界がある。ただ彼女と話したいがためだけに、大して欲しくもない本に数百円を投じるような無駄遣いは許されなかった。たかが数百円、されど中学生にとっては貴重な軍資金なのだ。
(チッ。こういう時、自由に使える金のないガキってのは辛いぜ)
胸の内でそう毒づきながら、俺はレイさんと一言も話せないまま店を出るという、あまりにも切ない選択を受け入れるしかなかった。せっかく彼女の「レイ」という名前を知ることができたのに、自分の「相羽勇介」という名を名乗るチャンスさえ作れない自分が、酷くもどかしかった。
後ろ髪を引かれる思いを強引に振り切り、俺はカバンを肩にかけ直して席を立った。出口へ向かって歩き出すと、背後から店主とレイさんの声が、綺麗に揃って降ってきた。
「ありがとうございました」
イケボと癒しボイスの完璧なハーモニーは、相変わらず耳に心地よいが、同時に今の俺の胸をちくちくと切なく締め付けた。
ちょっとしたやるせなさを抱えたまま、俺は塾へ急いだ。
塾が終わったのは、夜の八時前だった。
冬の夜風は、来る時よりもずっと冷たかった。白い息を吐きながら、俺は自転車を押して駐輪場を出た。今日の授業は数学。そこそこ手応えがあり、悪くない内容だった。
帰る前に、コンビニに寄ることにした。温かいコーヒーが飲みたかった。それだけだ。
駐車場に自転車を止めて、店内に入ろうとした、その時だった。
店の裏手、薄暗い路地の方から、くぐもった声が聞こえた。
「……持ってんだろ。出せよ」
嫌な声だった。俺は足を止めた。
路地を覗き込むと、街灯の薄明かりの下に三人の人影があった。壁際に追い詰められているのは佐藤だった。同じ塾に通っている、別の学校の奴だ。顔が引きつっている。
佐藤の前に立っているのは、同じくらいの年齢の男が二人。制服は着ているが、ネクタイを外し投げやりに着崩している。先頭に立っているのが、おそらくリーダー格だろう。肩幅が広く、目つきが悪い。
「金ないとか言い訳すんな。ポケット見せろよ」
カツアゲだ。
俺は舌打ちをした。面倒くさい。しかし、見なかったことにできる性分でもない。
「おい」
路地に踏み込んで、声をかけた。三人が一斉にこちらを向く。
「何だお前?」
リーダー格の男ー岸田が、値踏みするような目で俺を見た。
「彼は、俺の知り合いなんだ。悪いけど、解放してやってくれないか」
できるだけ穏やかに言った。この手の連中は、刺激しない方がいい。
しかし岸田は鼻で笑った。
「あ? 関係ねぇだろ。引っ込んでろよ」
「引っ込めないね」
「……なんだって?」
岸田の目が細くなった。次の瞬間、奴の拳が飛んできた。
頬に、鈍い痛みが走る。
よろけた。もう一発、今度は腹に入った。息が詰まる。
「邪魔すんな、って言ってんだよ」
岸田が見下ろしていた。
俺は膝をついたまま、息を整えた。頬が熱い。腹の奥がじくじくと痛む。空きっ腹に効くぜ。
(ああ、そういうことかい)
シュピーン!
何かが、切れた。いや、繋がったと言ったほうが正確か。
俺には、少し変わった「特徴」がある。
何かのきっかけで勇気や正義心が高まると、まるで別人のように冷静で落ち着いた状態になることがある。視界が急速にクリアになり、判断が研ぎ澄まされ、身体が思い通りに駆動する。二重人格というわけじゃない。気分が高揚するとハイになるのと同じ感覚で、ただ全てが最適化される、そういう感覚だ。
俺はこの現象を「変身」と呼んでいる。特撮オタクらしい安直な命名だとは自分でも思う。だがほかに適切な言葉が見当たらない。
俺はゆっくりと立ち上がる。さっきまでとは違う、冷たくて澄んだ何かが頭の中に満ちていくのが分かった。視界がクリアになる。岸田の動き、重心、隙。全部が、妙にはっきりと見えた。
「……もう一回言う。彼を解放し、速やかに退散したまえ」
「あ? まだやんのか、このっ——」
岸田が踏み込んできた。右の拳が伸びてくる。
俺はそれを、首を傾けてかわした。
そのまま半身をひねり、右足を大きく引いて、後ろ回し蹴りを叩き込んだ。かかとが岸田の顎を捉える。
ガッ、という硬い衝撃。
岸田がよろめいた。
(見たか!新堀さん仕込みの回し蹴りだぜ!)
内心でつぶやきながら、俺は間合いを詰めた。
ちなみに新堀さんとは、スーパー戦隊シリーズ第一作「秘密戦隊ゴレンジャー(’75~’76)」に始まり、第三作「バトルフィーバーJ(’79)」から第十五作「鳥人戦隊ジェットマン(’91)」まで歴代のレッド戦士を演じた、昭和のミスターレッドこと、新堀和夫氏のことである。
彼の蹴りはカッコいいのよ。
そして俺は怯んだ岸田の胸ぐらを掴み、そのまま足を払い、体を一回転させ背中から地面に叩きつける。「ライダー返し」だ。
もう一人が背後から来た。気配で分かった。
俺は体を時計回りに回転させ、裏拳を振り抜いた。ちょうど奴の鼻先に入ったらしく、「ぐっ」という情けない声がして、気配が消えた。
振り向くと、そいつは壁にもたれてへたり込んでいた。鼻を押さえている。
かかった時間は、十秒もなかったと思う。
倒れていた岸田が、地面の上から俺を見上げていた。鼻から血が出ている。俺はしゃがんで、奴と目線を合わせた。
「お前も受験生なんだろう?」
静かに言った。
「あんまりバカなことするなよ」
岸田は何も言わなかった。ただ、黙って俺を見ていた。その目から、さっきまでの尖った光が消えていた。
その時だった。
「きゃあッ!」
鋭い悲鳴が、夜の空気を突き破った。コンビニの駐車場の方から、女性の声だった。騒ぎに気づいたのだろう。
俺と佐藤は、一瞬目を合わせた。
「おい、撤退だ。退くぞ」
「え、あ——うん!」
二人で路地を抜け、夜の街へ駆け出した。角を曲がり、また角を曲がる。ある程度走ったところで足を止めた。追ってくる気配はない。
しばらく、二人で肩で息をした。
「…お前、すごいな」
佐藤がぽつりと言った。
「ありがとう。本当に助かった」
「気にするな」
俺は首を振った。頬がまだ痛む。腹も、まだじくじくしている。
「いつも勉強を教えてもらってるからな。 お互い様だよ 」
それだけ言って、俺は自転車にまたがった。
結局、他のコンビニでコーヒーを買い、俺は家路についた。
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