第一章 マロン・その後
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
塾が終わったのは、夜の八時前だった。
冬の夜風は、来る時よりもずっと冷たかった。白い息を吐きながら、俺は自転車を押して駐輪場を出た。今日の授業は数学。そこそこ手応えがあり、悪くない内容だった。
帰る前に、コンビニに寄ることにした。温かいコーヒーが飲みたかった。それだけだ。
駐車場に自転車を止めて、店内に入ろうとした、その時だった。
店の裏手、薄暗い路地の方から、くぐもった声が聞こえた。
「……持ってんだろ。出せよ」
嫌な声だった。俺は足を止めた。
路地を覗き込むと、街灯の薄明かりの下に三人の人影があった。壁際に追い詰められているのは佐藤だった。同じ塾に通っている、別の学校の奴だ。顔が引きつっている。
佐藤の前に立っているのは、同じくらいの年齢の男が二人。制服は着ているが、ネクタイを外し投げやりに着崩している。先頭に立っているのが、おそらくリーダー格だろう。肩幅が広く、目つきが悪い。
「金ないとか言い訳すんな。ポケット見せろよ」
カツアゲだ。
俺は舌打ちをした。面倒くさい。しかし、見なかったことにできる性分でもない。
「おい」
路地に踏み込んで、声をかけた。三人が一斉にこちらを向く。
「何だお前?」
リーダー格の男ー岸田が、値踏みするような目で俺を見た。
「彼は、俺の知り合いなんだ。悪いけど、解放してやってくれないか」
できるだけ穏やかに言った。この手の連中は、刺激しない方がいい。
しかし岸田は鼻で笑った。
「あ? 関係ねぇだろ。引っ込んでろよ」
「引っ込めないね」
「……なんだって?」
岸田の目が細くなった。次の瞬間、奴の拳が飛んできた。
頬に、鈍い痛みが走る。
よろけた。もう一発、今度は腹に入った。息が詰まる。
「邪魔すんな、って言ってんだよ」
岸田が見下ろしていた。
俺は膝をついたまま、息を整えた。頬が熱い。腹の奥がじくじくと痛む。空きっ腹に効くぜ。
(ああ、そういうことかい)
シュピーン!
何かが、切れた。いや、繋がったと言ったほうが正確か。
俺には、少し変わった「特徴」がある。
何かのきっかけで勇気や正義心が高まると、まるで別人のように冷静で落ち着いた状態になることがある。視界が急速にクリアになり、判断が研ぎ澄まされ、身体が思い通りに駆動する。二重人格というわけじゃない。気分が高揚するとハイになるのと同じ感覚で、ただ全てが最適化される、そういう感覚だ。
俺はこの現象を「変身」と呼んでいる。特撮オタクらしい安直な命名だとは自分でも思う。だがほかに適切な言葉が見当たらない。
俺はゆっくりと立ち上がる。さっきまでとは違う、冷たくて澄んだ何かが頭の中に満ちていくのが分かった。視界がクリアになる。岸田の動き、重心、隙。全部が、妙にはっきりと見えた。
「……もう一回言う。彼を解放し、速やかに退散したまえ」
「あ? まだやんのか、このっ——」
岸田が踏み込んできた。右の拳が伸びてくる。
俺は上体をわずかに沈め、拳の軌道から首だけを外側へ逃がす。頬すれすれを、風の塊が通り過ぎた。
勢い余った岸田の腕が、宙を切る。
「だから早く解放しろって言ってんだよ、ブタゴリラ」
挑発するように、俺は言った。
「だ、誰がブタゴリラだ? テメー!」
怒声とともに、岸田の拳が突き出された。まっすぐ、力任せの一撃。
俺はそれを、首を傾けてかわした。
そのまま半身をひねり、右足を大きく引いて、後ろ回し蹴りを叩き込んだ。かかとが岸田の顎を捉える。
ガッ、という硬い衝撃。
岸田がよろめいた。
(見たか!新堀さん仕込みの回し蹴りだぜ!)
内心でつぶやきながら、俺は間合いを詰めた。
ちなみに新堀さんとは、スーパー戦隊シリーズ第一作「秘密戦隊ゴレンジャー(’75~’76)」に始まり、第三作「バトルフィーバーJ(’79)」から第十五作「鳥人戦隊ジェットマン(’91)」まで歴代のレッド戦士を演じた、昭和のミスターレッドこと、新堀和夫氏のことである。
彼の蹴りはカッコいいのよ。
そして俺は怯んだ岸田の胸ぐらを掴み、そのまま足を払い、体を一回転させ背中から地面に叩きつける。「ライダー返し」だ。
もう一人が背後から来た。気配で分かった。
俺は体を時計回りに回転させ、裏拳を振り抜いた。ちょうど奴の鼻先に入ったらしく、「ぐっ」という情けない声がして、気配が消えた。
振り向くと、そいつは壁にもたれてへたり込んでいた。鼻を押さえている。
かかった時間は、十秒もなかったと思う。
倒れていた岸田が、地面の上から俺を見上げていた。鼻から血が出ている。俺はしゃがんで、奴と目線を合わせた。
「お前も受験生なんだろう?」
静かに言った。
「あんまりバカなことするなよ」
岸田は何も言わなかった。ただ、黙って俺を見ていた。その目から、さっきまでの尖った光が消えていた。
その時だった。
「きゃあッ!」
鋭い悲鳴が、夜の空気を突き破った。コンビニの駐車場の方から、女性の声だった。騒ぎに気づいたのだろう。
俺と佐藤は、一瞬目を合わせた。
「おい、撤退だ。いくぞ」
「え、あ——うん!」
二人で路地を抜け、夜の街へ駆け出した。角を曲がり、また角を曲がる。ある程度走ったところで足を止めた。追ってくる気配はない。
しばらく、二人で肩で息をした。
「…お前、すごいな」
佐藤がぽつりと言った。
「ありがとう。本当に助かった」
「気にするな」
俺は首を振った。頬がまだ痛む。腹も、まだじくじくしている。
「いつも勉強を教えてもらってるからね。 お互い様だよ 」
それだけ言って、俺は自転車にまたがった。
結局、他のコンビニでコーヒーを買い、俺は家路についた。