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四階に用がある③

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/19 📚 シリーズ: 四階に用がある 📝 4,239文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

「俺は四階に用がある。何の用だったかは思い出せない」 不条理文学。実験作。問題作。エンディングテーマ曲あり。一部ボイスあり。ヘッドフォン推奨。 ボイス:音読さん ©ondoku3.com エンディングテーマ曲:SUNO AI

本文

三

気づいたら俺は六階に立っていた。

何故だ。

さっきまで四階にいたはずなのに。階段もエレベーターも使った覚えはない。二人と別れた後、空っぽになった廊下をぼんやり見つめていただけだ。ただ、次の瞬間、視界が一瞬だけ揺らいだような、そんな気がした。そして今、ここにいる。

六階。

壁は四階と同じ薄いベージュの塗装。床は同じ灰色のタイル。でも、何かが違う。空気の密度が。四階はまだ人の気配が残る商業施設のフロアだったが、ここはもっと事務的で、無機質だ。ドアには企業名のプレートが並び、どれも見覚えがない。廊下の奥からはコピー機の低い駆動音が響いている。

訳が分からない。

頭が混乱する。いや、混乱以前に、理解が追いつかない。階段を上った記憶がない。エレベーターのボタンを押した記憶もない。ただ、気がついたらここにいた。まるで映画のカットが突然変わったように。

「……田所か?」

声がした。

振り返ると、そこには三浦さんが立っていた。スーツの上着を脱ぎ、シャツの袖をまくっている。少し疲れたような表情だが、目はしっかりとこっちを見ていた。職場でいつも世話になっていて、寡黙だが、信頼できる人だ。

「三浦さん……」

声が出る。少し嗄れていることに自分で気づく。

「どうしたんだ? 顔色が悪いぞ」

三浦さんが一歩近づく。その動きに、安堵が胸をよぎった。訳の分からない状況で、知っている顔に出会えた。それだけで、少しだけ立て直せそうな気がした。

「いや、その……何故か六階にいて……」

言葉が続かない。どう説明すればいいのか。階段も使っていないのに、いきなり六階に飛ばされた? そんなこと言っても信じてもらえないだろう。

「四階に用があったんです。確かに四階に用があったんですが……」

「四階?」

三浦さんが首をかしげる。その仕草が、いつもの彼らしくて少し落ち着く。

「でも、ここは六階だぞ」

「はい。だから、訳が分からなくて……」

「まあいい。落ち着け。まずは四階に行くか」

三浦さんはそう言って、軽く俺の肩を叩いた。その手の温もりが、妙に現実的で、ここが夢や幻ではないことを確信させた。

「すみません、お忙しいところ……」

「別に良いよ。俺もちょうど用事が終わったとこだし」

彼はそう言って、階段の方へ歩き出した。俺は慌てて後を追う。

階段はコンクリート打ちっぱなしの、やや薄暗いスペースだった。手すりは金属で冷たい。一段降りるごとに、靴音がこだまする。三浦さんは二段ほど先を歩き、時折振り返ってこっちの様子を確かめる。

「で、四階のどこに行くんだ?」

「えっと……」

また詰まる。四階のどこだ? 何の用だった? 思い出せない。ただ、四階に行かなければならないという強迫観念だけが、胸の奥で脈打っている。

「……詳しいことは、四階に着いてから思い出せるかもしれません」

「ふーん」

三浦さんはそれ以上追及せず、ただうなずいた。彼のそういうところが好きだった。余計なことを聞かず、でも放っておかない。程よい距離感でいてくれる。

階段を下りるにつれ、下の階から人の声が聞こえてくる。五階だろうか。でも、三浦さんはそのまま通り過ぎ、四階のドアを押し開けた。

四階に戻ってきた。

先ほどまでいた廊下とは違う場所に出た。ここはどうやら商業施設の一角らしい。明るい照明の下、ショーウィンドウが並び、通行人がちらほらと歩いている。しかし、誰も俺たちには関心を示さない。ただすれ違うだけだ。

「ここでいいのか?」

三浦さんが聞く。

「……はい。多分」

何の根拠もない。でも、ここに来れば何か思い出すかもしれない。そういう気がした。

「じゃあ、用事が済むまで付き合うよ。急いでるわけじゃないし」

「ありがとうございます」

心からそう言った。一人でいたら、きっと立ち尽くしたままだっただろう。訳の分からない焦燥感に押し潰されそうだった。さっきまであんなに鮮明だった会話が、今では遠い記憶のように霞んでいる。敗北感。恥ずかしさ。それらも、今この不可解な状況の前では、些細なことに思えてきた。

いや、些細ではない。まだ胸の奥に引っかかっている。負けたという事実。でも、今はそれにこだわっている場合じゃない。

「何かあったのか?」

三浦さんが尋ねる。彼は俺の表情の変化に気づいたらしい。

「いえ、ただ……ちょっとした出来事で」

「そうか」

彼は深くは聞かず、ただうなずいた。

周りを見渡す。ここはどうやら雑貨や書籍を扱うフロアのようだ。奥にはカフェらしき店も見える。人通りはあるが、みな無表情だ。どこか虚ろな目をして、ただ前を見て歩いている。

「三浦さん、ここって……」

「ん?」

「なんか、みんな……」

言葉に詰まる。どう表現すればいいのか。生きているのに、まるで亡霊のように感じる。そんなことを口に出していいものか。

三浦さんは少し間を置いてから、低い声で言った。

「気にすんな。みんなそうだよ」

「そう……ですか」

何を言っているのかよく分からない。でも、それ以上は聞けなかった。

ふと、ある店の前で足が止まった。古本屋だ。看板はぼんやりとした緑色で、店内は薄暗い。なぜか、そこに引き寄せられるような感覚があった。

「ここに用があるのか?」

三浦さんが尋ねる。

「……分かりません。でも、何か」

そう言いながら、俺は自動ドアをくぐった。

店内は思ったより広かった。天井は高く、本棚が迷路のように立ち並んでいる。紙の匂いと、ほこりっぽい空気が鼻をくすぐる。誰もいない。店員の気配すらない。

「人がいないな」

三浦さんが呟く。

「ええ……」

俺は一番近い棚に近づき、背表紙を眺めた。どの本もタイトルがかすれていて、よく読めない。手に取ろうとしても、なぜか指が届かない。目の錯覚か。距離感がおかしい。

「おい、大丈夫か?」

三浦さんの声が遠くに聞こえる。振り返ると、彼の姿がかすんで見えた。まるで霧の中にいるようだ。

「三浦さん……?」

三浦さんの姿がかすんで見えたのは、一瞬のことだった。次の瞬間、彼は明瞭に戻り、首をかしげた。

「床を黄色に塗り替える」

唐突な言葉が古本屋の薄暗がりに落ちた。俺は理解できず、ただ彼の口元を見つめた。三浦さんは床を見下ろしている。コンクリート打ちっぱなしの無機質な灰色。そこに何か特別なものが見えているのだろうか。彼の視線は一点に固定され、微かに震えているようにも見えた。

「裏表をひっくり返す」

続けて彼が呟く。声にはいつもの淡々とした調子がなく、どこか熱を帯びていた。まるで何か重要な発見をした直後の、興奮を抑えきれないような響きだ。彼の目は依然として床に向けられたまま、焦点が合っていない。天井の照明が彼の肩に落ち、影を不自然に長く伸ばしていた。光の加減がおかしい。先ほどまで均一だった明るさが、今では三浦さんの周囲だけがぼんやりと霞んでいる。

「三浦さん?」

声をかける。だが三浦さんは答えなかった。代わりに、スタスタと足早に歩き出してしまう。俺の方を振り返ることなく、本棚の間の通路を奥へと進んでいく。足取りは確かで、迷いがない。

「待ってください!」

追いかけようとする。しかし、足が思うように動かない。まるで水中を歩くような感覚だ。水の抵抗はないのに、膝から下が鉛のように重い。一歩踏み出すごとに、太ももの筋肉が軋む。空気が粘り気を帯び、服が皮膚に張り付くような圧迫感がある。耳の奥で低い唸りが続き、自分の呼吸音さえ遠くに聞こえる。

なぜ追いつけない。三浦さんはどんどん先に行ってしまう。距離が縮まらない。むしろ広がっていく。彼の背中が小さくなり、本棚の陰に隠れそうになる。

焦りが喉を締め付ける。この状況が理解できない。彼は何を見たのか。あの言葉は何を意味するのか。説明がない。いつも三浦さんは結論だけを投げて去っていく。でも、今日はそれでは困る。置いていかれる。この不可解な空間で、唯一の頼みの綱が消えていく。

「三浦さん!」

叫ぶ声も、ぬかるみに吸い込まれるように消えた。彼は振り向かなかった。最後に、通路の曲がり角で一瞬だけ姿を見せた時、彼の口が微かに動いたように見えた。何か言っていたのか。それとも、ただの錯覚か。次の瞬間、彼は視界から消えた。

一人になった。

重かった足の感覚が、ふっと抜ける。あまりに突然で、よろめきそうになる。手を伸ばして近くの本棚に掴まる。木の感触が冷たく、埃っぽい匂いが立ち上がる。深呼吸を一つ。肺に染み渡るのは、紙の腐ったような甘ったるい臭いだ。

周りを見回す。三浦さんがいた時と、何が変わったのか。物理的には何も変わっていない。同じ本棚、同じ薄暗い照明、同じ静寂。でも、気配が違う。彼がいる時は、そこに「人間」という確かな存在があった。呼吸音、衣服の擦れる音、視線の圧。それらが全て消え、空間が急に広がったように感じる。天井が高くなり、壁が遠のいた。自分の存在が、この場所に染み込んでいくような、そんな不安。

音がない。いや、あるにはある。遠くで何かが軋むような、かすかな響き。定期的に、間を置いて。でも、それが何の音か判断できない。照明の蛍光灯が微かに唸っている。その音さえ、今まで気づかなかった。

ふと、先ほどのことを思い返す。四階に戻ってきたこと。六階から階段で降りてきたこと。あの移動には確かな連続性があった。一段ずつ踏みしめ、手すりの冷たさを感じながら。だから、空間の飛び越しではない。それなのに、なぜこんなに違和感が募るのか。四階に着いた途端、全てがおかしくなった。通行人の無表情。三浦さんの謎めいた発言。そしてこの古本屋の歪んだ感覚。照明はさらに少なく、数メートル先が霞んで見える。

三浦さんは「床を黄色に塗り替える」と言った。

黄色。何の意味だろう。警告色か、あるいは単なる比喩か。この建物のどこかに、黄色い床がある場所があるのだろうか。それとも、彼はメタファーを使ったのか。裏表をひっくり返す。それは、物事の見方を変えよ、という意味か。それとも、文字通り何かを反転させる必要があるのか。

考えるほどに混乱が深まる。今必要なのはこの状況を読み解く手がかりだ。でも、何も浮かばない。頭の中が空白に近い。

通路の先に、ドアが見えた。木製で、古びている。取っ手は黄銅色で、錆びたような曇りがある。これが出口だろうか。それとも、さらに別の空間へ続くのか。

ためらいながら手を伸ばす。取っ手に触れる。冷たい。力を込めて回す。軋み音とともに、ドアが外側に開いた。

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冥界焔つむぎ

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