平和を望むなら戦いに備えよ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
魔法文明と機械文明が両立する世界観になります。エーテルパンクというジャンルはあるそうですが、(資料が無かったので)不勉強なため、大いに作者の解釈で書いています。
本文
=4=
夕闇がエーテル大理石の柱に長い影を落とす空中庭園の中心に佇む元老院議事堂。かつては市民からの称賛を浴びる高貴なる円卓だったその場所は、今や議論の仮面を被った陰謀の巣窟となっていた。
「――では、閣下。改めて伺いたい」
列席する議員の一人が声を潜める。その目は前方で悠然と座する壮年の男――長老会議議長ヴィルヘルム卿に向けられていた。
「本当に……あの“実験”を継続させるおつもりか? 民間人を巻き込むリスクはあまりにも大きい。昨夜のコロシアムの惨状はご存じでしょう?」
会議場のモニターに正体不明のモンスターの出現で混乱し、阿鼻叫喚となったコロシアムの映像が映し出される。事故として処理するにはあまりの杜撰なトラブルだった。
ヴィルヘルム卿はゆっくりと顔を上げた。眉間に刻まれた皺は、計算された余裕と、底知れぬ深謀遠慮を雄弁に物語っている。彼は指を組み、虚空を見据えて言った。
「リスク? 愚かしいことを。今、我々が直面しているのは“危機”ではない。“終焉”なのだよ」
卿の低い声は、ホール全体の空気を揺らし切るように響いた。
「人間の自然状態は平和ではない――戦争だ。我々はそれを忘れてしまった。永遠の繁栄という嘘に酔い痴れ、警戒心を麻痺させてきたのだ」
彼は立ち上がり、窓の外――遥か下方に広がる街の灯りを見下ろした。
「贅沢という病がこの世界を蝕んでいる。それは戦争よりも残忍な毒だ。我々は平和に備えなければならない。戦争に備えなければならない!」
その声には狂信めいた熱がこもっていた。
「甘やかし、というぬるま湯が心身のあらゆる筋を麻痺させるのだ。迫りくる脅威は待ってはくれぬ! “奴ら”は我々が最も脆弱なときを狙ってくる。そして……」
卿は言葉を切った。背後の衛兵に合図を送る。
「……恐れることなく“奴ら”と対峙することこそが唯一の生き延びる道なのだ」
エーテル衛兵が円形の祭壇に石版を据え、紫色の結晶体を供える。古代語による詠唱が始まると同時に床に魔法陣が青白く浮かび上がった。それはエーテル文明黎明期に禁じられた『死者喚起』の印であった。
「我が名において命ずる。汝が罪の重さを慕い今ここに顕れよ――」
バリッ!
空間が裂けた。黒い孔――文字通り闇が凝縮したような歪み――が宙に生まれた。孔から這い出したのは不定形の“何か”。輪郭は煙のように揺らぎ、幾つもの異なる声が混ざり合って呻きを漏らす。スタッフとして常駐していた小間使いの何人かが金切り声を上げた。
「な……閣下! 何ということを!?」
「黙っていろ!」
卿が低く叱咤する。孔から現れた異形は次第に形を整え始めた。人の腕、獣の頭部、昆虫の羽根――互いに矛盾する部品を継ぎ接ぎにした怪物。
異変に気づいた警備兵が議場に一斉に飛び込んできて銃火器を構えたが、卿は制止した。
「愚かな。そんなものが通用すると思うてか」
異形はゆっくりと卿の方へ這いずる。その眼窩には何も宿っていない虚無があった。だが卿は怯まず、懐から銀のペンダントを掲げた。鎖につながれた水晶が脈動する。
「服従せよ! “黄昏の残渣”。お前の名はレベリオー」
水晶が淡い光を放つと異形は苦悶し、身震いを一つすると、光の中に自ら飛び込んだ。孔は泡沫のように消え失せた。議事堂に静寂が戻ったが、重たい恐怖だけが残留した。
ヴィルヘルム卿は眉一つ動かさず椅子に座り直すと、静かに手を打った。
「……さて、ウォロを呼べ」
「呼ばずともここに控えておりますとも」
卿の傍らの空間がユラリと揺れたかと思うと、深紅のローブに身を包んだ小柄な人影が現れ、卿に深々と敬礼した。顔を覆うフードの奥から覗く眼差しは狂気に濁りながらも澄んでいた。
少年のような声音。サイバとコロシアムの通路で話した人物。この者がウォロである。
卿は微笑した。
「居たか。頼むぞ」
卿はペンダントをウォロに託す。
「御意にございます」
ウォロは両の手のひらを差し伸べて恭しく受け取り頭を垂れる。その仕草は丁寧すぎるほどだったが、指先が僅かに震えていた。
卿が宣言する。
「次の儀式は既に準備が整った。次なる“試練”は――今召喚したレベリオーだ」
議員たちが息を飲む。その間にも卿の目は爛々と輝いていた。
「戦争に備える――『恐怖』を肌で理解するのだ。そのための戦場だ」
「恐れながら閣下! どうか進言に耳をお貸しください! 選手たちはただの賞金稼ぎなのですよ!?」
抗議の声を無視し、卿は最後の言葉を紡いだ。
「――次のコロシアムでの試合は、『終わり』を告げる第一歩となるだろう」
ホールの照明が不意にちらつく。誰も気付かなかったが、ヴィルヘルム卿の影が一瞬だけ異形と同じ形に変貌していた。
議事堂を後にしたウォロは夜の風を浴びながら独りごちる。
「次のシナリオは……“混沌”か。ふふっ……楽しいねえ」
彼の小躍りする足で踏まれ損なった小さな黒い羽虫が舞い上がり、夜空へと消えていった。