第14節 影の決断
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あらすじ
菖は引き出しから取り出した古い手帳を、しばらく無言で繰っていた。──── その手帳には、半年前のあの晩のお嬢様の様子が、菖自身の筆跡で書き留められている。
本文
菖は引き出しから取り出した古い手帳を、しばらく無言で繰っていた。
────
その手帳には、半年前のあの晩のお嬢様の様子が、菖自身の筆跡で書き留められている。
ワイドショーの放送のあった日。
旦那様が「あの男はお嬢様の御目に触れないように」と短く命じた、あの日。
そのとき、お嬢様は屋敷の使用人すべてに、ささやかな贈り物を配って回られた。
そのときお嬢様の頬は、ほんのり紅潮していた。
お嬢様の瞳は、いつもより二段階ほど明るかった。
それは私が長くお仕えしてきた中で、初めて見るお顔だった。
────
普段のお嬢様は人形のように静かで、人形のように礼儀正しく、人形のように笑う。
けれどあの夜のお嬢様は──人形では、なかった。
「生きている」と私はその夜、思った。
その記憶があるから、答えに迷いがある。
────
「楓」
「はぁい」
「お前は、お嬢様が、人形のままがいいと思うか」
楓は目を細めたまま、しばらく沈黙した。
それからぽつりと答えた。
「人形のお嬢様は扱いやすいですよぉ」
「指示に忠実、感情を爆発させない、道隆様の駒として一級品」
「ですが」
「"あの"人形は子を成しませんねぇ」
────
楓は、ふと、机の上に頬杖をついた。
「人形だと、たぶん、二十歳までしかもちません」
「電池切れみたいに、内側からぱきっと割れちゃう」
「私、そういうの、いっぱい見てきました」
楓は、にこにこと、糸目を細めた。
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私はゆっくりと、手帳を閉じた。
「決めた」
「はぁい」
「報告は、上げない」
楓はわずかに目を開いた。
光が、その瞳の奥でちろりと動いた。
「いいんですかぁ? 道隆様が後でお気付きになったら、面倒ですよぉ?」
「気付かれないように整える」
「で、お嬢様は」
「我々で、守護まもる」
「我々で」
楓はふふ、と笑った。
「菖さんも、けっこう、お甘いんですねぇ」
「甘いのではない」
────
私は立ち上がった。
パンツスーツの皺を、軽く払う。
「お嬢様が、初めて自分の意志を持たれた」
「そしてそれを潰すのは、影の仕事ではない」
「お父様の道具としては、間違ってますよぉ、それ」
「ああ、でも壊れないようにしないといけないですよねぇ」
「……道隆様の命令は絶対だ」
「でも」
「お嬢様を見ていたのは、我々の方が長い」
楓は両手で顔を覆って、くつくつと笑った。
「いいですねぇ、菖さん。利害は一致してます。それ。私それ、好きですぅ」
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二人の影はその夜から、独自の任務を始めた。
表向きはお嬢様の警護。
裏ではお嬢様の初めての執着を、観察し、見守り、必要なら手を回す。
食事、そして『教育』
長い任務が、始まる。
そして二人は、まだ知らなかった。
数年後、その「執着の対象」が自分たちの主の足下に、本当に転がり込んでくることを。
しかも、自分たちの手で、拾い上げなければならない形で。
────
時計の針が、深夜を、回った。
楓はもう一度、ノートパソコンを開いた。
画面の中で長髪の男が、机の上に上がり続けていた。
楓はふと囁いた。
「この人、生きてるんですかねぇ」
菖は振り返らずに答えた。
「生きていてもらわなくては、困る」
「我々がな」
「それ、矛盾してませんかぁ?」
「お嬢様のためが、我々のためだからだ」
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楓はしばらく、菖の背中を見つめていた。
それから、画面の中の男に、軽く投げキッスをした。
「お元気で、ねぇ──あなた様」
声に、温度がふた粒混じった。
ひとつは、お嬢様のための忠誠の温度。
もうひとつは、楓自身の中の何か別の温度。
────
それが何なのかは、まだ、楓自身にも、わかっていなかった。