第六章 君が忘れても、俺は忘れない ・前編
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
翌日。三学期初日。
終業を告げるチャイムが鳴り響くと同時に、俺はカバンを掴んで教室を飛び出した。
駐輪場まで階段を駆け下りている最中、ポケットのスマホが震える。佐藤からだ。
『藤井さんと他二名の友達が会いたいって。近くのコンビニのイートインで待ち合わせたいらしいけど、OK?』
俺は迷わず『OK!』とだけ打ち込み、自転車に跨った。
冬の乾いた空気を切り裂き、ペダルを踏み込む。太ももの筋肉が熱く脈打ち、肺が冷たい酸素を求めて悲鳴を上げる。だが、この程度で脚を止めるつもりはない。
指定されたコンビニの店内に、佐藤の姿を見つけた。
自転車を止め、足早にイートインスペースへ向かう。そこには佐藤のほかに、ストレートロングが大人びた印象を与える藤井ゆりかさんと、見慣れない男女が一人ずつ座っていた。
「おー相羽、待ってたぞ」
佐藤が軽く手を振る。
「相羽くん、来てくれたんだね。こんにちは」
「こんにちは。……覚えていてくれて助かりました」
「もちろん。あの時は本当にありがとう」
ゆりかさんが、安堵したような笑みを浮かべた。
「急に押しかけてすみません」
「んーん、大丈夫」
彼女は隣の二人に目をやった。
「初めまして、住野です。レイから『特撮好きの友達ができた』って嬉しそうに聞いてたから」
カチューシャが特徴的なボブヘアーの女子、住野めぐみさんが懐かしむような目を向けてくる。
「初めまして、中川です。佐藤くんから信用できる奴だって聞いてる。よろしく」
中川くんは清潔感のある、いかにも女子にモテそうな好青年だった。
「江村さんのために来てくれてありがとう」
彼が深く頭を下げる。
「いえ、そんな…。相羽勇介です。こちらこそ初めまして」
恐縮しながら名乗る。
他校の俺をこうも快く迎えてくれたことが、純粋に嬉しかった。
三人の顔ぶれを整理する。
藤井ゆりかさんはレイさんの幼馴染で親友。
住野めぐみさんは元・生徒会長。元・風紀委員長のレイさんとは切磋琢磨した戦友だという。
そして中川トオルくんは元・風紀委員の副委員長。委員長であるレイさんを支えてきた右腕だ。……こういうポジション、俺もやりたかったな、と一瞬だけ邪念がよぎる。
その時だ。肩をいからせて入ってきた見覚えのある顔が、俺の視界に飛び込んできた。
「あっ、お前……!」
思わず声が出た。
「げっ、テメェ……ここで何してやがる」
岸田だ。以前、佐藤をカツアゲしていたところを俺がとっちめたヤツである。
佐藤がサッと顔を背けるのが見えた。
「お前こそ何してるんだ? またカツアゲでもしよってんじゃないだろうな」
「はあ!? 買い物に来ただけだよ! お、お前こそなんでいるんだよ!」
顔を真っ赤にしてビビりながら言い返す岸田に、ゆりかさんたちがざわつく。
「……ああ、そうか。すまない。ここは俺のホームタウンじゃなかったな。悪かったよ、岸田くん」
俺が柔和な笑みを浮かべてあしらうと、岸田は「なんなんだよアイツ……」と小声でブーたれながら、足早に店を出て行った。
「……なにあれ」
めぐみさんが呆れたように呟く。
「岸田があんな顔するの、初めて見たぞ」
中川くんの言葉に、佐藤が「だろ?」と誇らしげに鼻を鳴らした。
「相羽くんって、なんか…やっぱすごいね」
ゆりかさんが少し笑い、張り詰めていた空気が一気に解けた。
まずは一息つこうと、俺は冷たいカフェオレ、ホットコーヒー、アンパン、そしてホットドッグを買い込んだ。
イートインに戻り、まずはカフェオレを一気に流し込む。アンパンも、ほぼ一口で片付けた。
「……よく食べますね」
ゆりかさんが驚いたように言う。
「昨日、ショックでほとんど食べてなくて。皆さんに会って少しホッとしたら、急に腹が減っちゃって」
はにかみながら答え、ホットドッグの包み紙を剥いた。中川くんが身を乗り出す。
「ホッとした、というと?」
噛みついたところだった。飲み込むまで、指を一本立てて待ってもらう。
「少なくとも皆さんの表情を見る限り、俺が考えていた最悪の事態だけはない。そう直感したんです。じゃなきゃ、ここで一息つく気分になんてなれませんよ」
「なるほどな」「そこまで考えてるの?」
四人が顔を見合わせる。俺はホットコーヒーを啜り、温かさが胃に染みるのを待ってから、本題を切り出した。
「……ふう。じゃあ……単刀直入に聞きます。江村レイさんの容態は?」
空気が一変した。
ゆりかさんが、重い口を開く。
「レイ、意識は戻ったの。身体の方は大きな怪我はなかった。それは本当に幸いだったと思う。ただ……」
「た、ただ…?」
その先に、嫌な予感が走る。
「逆行性健忘……いわゆる、記憶喪失なの」
「記憶……喪失……?」
自分の顔が強張るのが分かった。
「今まで生きてきた、すべてのことを忘れてしまったと?」
「そういうわけじゃない。でも、ただの記憶喪失じゃないの」
めぐみさんが、声を潜めて後を継いだ。
「頭部への衝撃に加えて、強いストレスが引き金になった解離症状が出ているって。心が一番安全だと感じた時期に逃げ込んでいる状態なんだって」
理解が追いつかない。
すみません、もう一回言ってください。と言う前に、ゆりかさんがたたみかける。
「今のレイは、精神年齢が九歳……小学三年生までの記憶しかないらしいの」
「九歳……?」
思考がバタつく。
つまり、今の彼女は中学三年生の江村玲愛ではなく、まだ児童だった頃の自分として生きているということか。
「彼女が覚えているのは、どこまでなんです?」
「自分の名前、両親、あとは……自分が特撮好きだということは覚えているみたい」
ゆりかさんの答えに、俺はため息混じりに呟いた。
「じゃあ、『マロン』のことも。当然、俺のことも覚えていないわけか」
中川くんが困惑したように頭を掻いた。
「病院で話したけど、俺たちのことも『誰だか知らないお兄ちゃんとお姉ちゃん』って認識なんだ」
「私は小学生からの仲なのに、『ゆりかちゃんのお姉ちゃん?』って聞かれちゃった」
沈黙がテーブルを包んだ。
俺はカップを両手で包み、じっと見つめた。
九歳のレイさん。
あの聖夜、カイロを包んでいた彼女の手。ゆびきりげんまんで絡めた小指の温度。
すべて、彼女の中から消えてしまったのか。
俺はカップを置き、静かに尋ねた。
「……医者は、他にはなんと?」
「数日で戻るかもしれないし、もっと時間がかかるかもしれない。今の段階では何とも言えないって」
よりによって、一月のこの時期に。
二ヶ月後には、公立高校の入試が控えている。記憶が戻らないまま時間だけが過ぎれば、受験勉強のブランクは致命傷になる。
ましてや記憶が戻ったとき、すべてが終わっていた……なんて、そんな結末だけは絶対に避けなければならない。
「レイさんたちが入院している病院はどこですか?」
「駅から近い、中央病院よ」
「一休みしたら行きましょう。ゆりかさんたちも行くんでしょう?」
「もちろん。面会の予約も取ってあるから」
「わかりました。……少々お待ちを」
俺は残ったホットドッグを咀嚼し、コーヒーで流し込んだ。
逸る気持ちを抑え、あえてゆっくりと味わう。そうすることで、爆発しそうな焦燥感をなだめた。
ホットドッグを平らげ、ゴミを片付けてからカバンを掴む。
「よし、お待たせ。行きましょうか」
ゆりかさんたちが立ち上がる。
佐藤が少し迷うような顔をしたが、
「俺も、行っていいかな。江村さんのこと、心配なんだ」と志願した。
「もちろんだ。一緒に行こう」
俺は前を見据え、コンビニの自動ドアを抜けた。