第六章 君が忘れても、俺は忘れない・後編
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
中央病院は、駅から歩いて十分ほどの場所にあった。
自転車を押しながら、五人で並んで歩く。
誰も多くを喋らない。それでも、一人ではないという事実が、俺の重い足をわずかに軽くしてくれていた。
病院のロビーに入ると、ゆりかさんたちは慣れた足取りで受付へ向かった。
ふと、待合室のソファに目をやると、見覚えのある大きな背中がそこにあった。
「本郷さん」
いつもの呼び名が口をついて出た。慌てて「江村さん」と言い直そうとしたが、その前に大きな体がゆっくりと振り返る。
本郷さんは松葉杖をついていた。左足には白いギプス。それでも、あの野太い声は以前のままだった。
「おお、相羽くん。来てくれたか」
疲弊した顔の中に、確かな安堵の色が滲む。
「ご無沙汰しています。お身体は……」
「脚を一本やってしまったが、命があれば十分だ」
本郷さんは笑ってみせたが、その笑顔の奥には、父親としての苦悩が色濃く影を落としていた。
「レイのことが、心配でな」
「はい……それで——」
「あなたが、相羽くん?」
背後から柔らかい声がした。
振り返ると、俺の母親と同年代くらいの、品のある女性が立っている。レイさんと同じ、穏やかで知的な瞳。
「レイの母、楓です。主人から話は伺っていました」
楓さんは俺を真っ直ぐに見つめ、静かに微笑んだ。
「娘がいつもお世話になっているようで。わざわざ足を運んでくださって、ありがとうございます」
「いえ、俺の方こそ……」
「レイ、あなたのことをとても嬉しそうに話していたんですよ」
楓さんの言葉に、本郷さんがさりげなく視線を逸らした。背後でゆりかさんたちがこそこそと耳打ちし合っている気配がする。耳の付け根が熱くなるのを感じながら、俺は深く頭を下げた。
「あの、レイさんに会わせてもらえますか。お見舞いを、と思って」
楓さんと本郷さんが視線を交わした。短い沈黙。やがて楓さんが頷いた。
「……ええ。ただ、今のレイは」
「聞いています。友人の方から、少し」
「そうですか。……驚かないでね」
病室のドアの前に、全員が並ぶ。
何度か訪れているはずの友人たちも、今は口を閉ざしている。中川くんは腕を組み、めぐみさんは唇を噛みしめる。初めての佐藤は、緊張からか珍しく神妙な面持ちでドアを凝視していた。
楓さんが先に中に入り、俺たちは廊下で待機した。ドア越しに楓さんの声が漏れ聞こえる。
「レイ、お客さんよ。ゆりかちゃんたちと……それから、『マロン』に来てくれていた、相羽くん」
静止した時間。
「……まろん? なにそれ」
息が止まるかと思った。
隣でゆりかさんが唇をぎゅっと噛み、めぐみさんが伏し目がちになる。声はたしかにレイさんのものだ。だが、響きが違う。あの思慮深い落ち着きは消え、そこには無垢で幼い、剥き出しの好奇心が宿っていた。
「入っていいですよ」
促され、俺はゆっくりとドアを開けた。
白いベッドの上に、レイさんが座っていた。
ショートカット。眼鏡。間違いなく彼女だ。だが、その瞳は俺たち全員を順番に、まるで初めて出会う「大きな大人たち」を見るような、所在ない色で見つめていた。
「ゆりかちゃんのお姉ちゃんたち、また来たの?」
ゆりかさんが「うん、また来たよ」と声を絞り出す。その声は微かに震えていた。
やがて、レイさんの視線が俺のところで止まった。
どこの誰かも見知らぬ存在。彼女は小首を傾げ、検分するように俺をじっと見た。
後ろに隠れていた佐藤が、絶句したように声を漏らす。
「……マジかよ。本当に……」
彼は、俺の後ろで呆然と立ち尽くしていた。あんなに快活だった同級生が、自分より年下のような幼い顔で見つめている。その異様な現実に、佐藤は言葉を失っていた。
「…だれ?」
その一言が、俺の胸に突き刺さる。
覚悟はしていた。それでも、やりきれない。俺は努めて穏やかな笑みを張り付け、口を開いた。
「はじめまして。相羽勇介です」
レイさんはしばらく俺を凝視していたが、不意に小首を傾け直した。
「……志尊淳に、似てる」
一瞬、思考がフリーズした。
背後でゆりかさんたちが「確かに」「やっぱり?思ってた」と囁き合う。佐藤だけが「誰それ?」と首を傾げ、めぐみさんに「テレビ見てないの?」と小突かれていた。
記憶は消えても、彼女の根源的な感性だけは、そこに息づいていた。
「……志尊淳に、似てる」
今度は確信を持った声。
「志尊淳、知ってるのかい?」
俺は思わず身を乗り出した。
「知ってるよ! トッキュウジャーのライト!」
レイさんの瞳がぱっと輝いた。先ほどまでの警戒心が、一瞬で瓦解していく。
「トッキュウジャー、好きなの?」
「大好き! お兄ちゃんも知ってるの?」
「もちろん。イマジネーションだろう?」
「すごい! 知ってる人、あんまりいないんだよ!」
レイさんはベッドの上で身を乗り出す。楓さんが「レイ、安静に」と苦笑した。
「ちなみに、お兄さんは横浜流星に似てるかな?」
つい、自分でも突拍子のない質問を投げかけていた。横浜流星もトッキュウジャーにトッキュウ4号として出演していた。実は俺は彼のファンであり、髪型も彼をかなり意識していたのだが。それを、この九歳の彼女に問うてみたくなったのだ。
「んーん、全然似てない」
即答だった。
「……あっ…、そうっすか」
背後で誰かが吹き出す音が聞こえた。
「そうか。……レイさんは、いつからヒーローが好きなの?」
「トッキュウジャーからかな。それからずっと見てるの。大きくなっても、見るのやめようとは思わないんだよね」
照れくさそうに笑う。
「……それは、すごくよく分かるよ」
「それでね、ジオウを見てから昔のライダーにも興味が出たの。昭和のライダーもかっこいいよね。ショッカーとか、あのレトロな感じが好き」
俺は思わず笑みがこぼれた。この子は—やはり江村玲愛だ。
ゆりかさんが小さく「レイだ」と呟き、中川くんが深く頷く。
話が弾んでいた最中、レイさんがふと真剣な顔になった。
「……ねえ、お兄ちゃん」
「うん? なにかな」
「お兄ちゃんも、思ってないよね?」
レイさんは真っ直ぐに俺を射抜いた。
「女の子が特撮好きなの、変だって。『男の子の趣味を間借りしてる』って、バカにしてないよね?」
病室が、しんと静まり返った。
かつて『マロン』で聞いたあの言葉。九歳の彼女は、すでにその棘を心に受けていたのか。
俺は、彼女の瞳を真剣に見つめ返した。
「バカになんかしない。絶対にさ」
「……本当?」
「特撮ヒーロー番組はね、みんなが楽しむものだ。男の子も女の子も、大人も子供も。楽しむことに資格なんていらない。好きだという気持ちに、性別は関係ないんだ。それだけは、絶対に、絶対にそうだから」
沈黙が続き、やがてレイさんの表情がゆっくりと解けていく。
「…お兄ちゃん、いいこと言うね。学校の男子にバカにされたことがあったから、お兄ちゃんみたいなこと言ってくれる人、初めてで」
レイさんは照れくさそうに視線を泳がせた。
「…なんか、いいかも。お兄ちゃんのこと」
背後でゆりかさんたちが一斉に息を呑む気配がした。佐藤が「おい」と声を漏らし、中川くんに肘打ちを食らっている。
俺は熱くなる顔をどうにか平静に保ち、答えた。
「ありがとう。嬉しいな」
レイさんがにっこりと笑う。眼鏡の奥の、あの瞳だ。
(必ず、取り戻す)
胸の奥で、静かに、だが熾烈な誓いを立てた。
時間は瞬く間に過ぎ、看護師による面会終了の告げが響く。
「もう帰っちゃうの?」
「また来るよ。約束する」
「本当に?」
「本当だよ。次は宇宙刑事の話もしよう」
「宇宙刑事? なにそれ、知らない」
「かっこいいよ。次に教えるよ」
「約束ね、お兄ちゃん」
俺は右手の小指を立てた。レイさんがぱっと顔を明るくして、自分の小指を絡めてくる。
ゆびきりげんまん。
この温度、この感触。俺は知っている。胸の奥が、きゅっと締め付けられた。
病室を出ると、廊下で楓さんと本郷さんが待っていた。
「レイ、あんなに楽しそうにしているの、久しぶりに見ました。本当にありがとうございます、相羽くん」
楓さんの目が潤んでいる。
「また来てもいいですか」
「ええ、ぜひ」
本郷さんが松葉杖をつきながら、俺の肩に分厚い掌を置いた。
「頼むぞ、相羽くん」
言葉は少なかったが、そこには全霊の信頼が込められていた。
病院の出口。
「相羽くんを連れてきて正解だったわ」
ゆりかさんの言葉に、中川くんやめぐみさんも同意するように頷く。
帰り際、俺の隣に並んだ佐藤が、ぽつりと溢した。
「お前、すごいな」
「そうか?」
「ああ。俺だったら絶対あんな風に振る舞えない」
佐藤は照れくさそうに頭を掻いた。
「なんか、お前のこと見てたら思ったわ。ヒーローみたいな奴だなって」
俺は少し黙ってから、笑った。
「特撮の見過ぎだぞ、お前も」
「俺は見てねぇよ」
冷たい冬の夜気の中、俺は前を見据えた。
九歳の彼女が見せる笑顔。その輝きを守りながら、十五歳の彼女へと繋がる道を探す。