幕間
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
帰り道は、一人だった。 自転車のペダルを一定のリズムで回しながら、俺はぼんやりと今日の出来事を反芻していた。
九歳のレイさん。記憶の断絶という深い淵に沈んでいても、特撮への無垢な愛だけは、消えずにそこにあった。笑い方も、瞳の輝かせ方も、そしてあの小指から伝わった微かな体温も、俺の知る彼女そのものだった。
トッキュウジャーを初めとした、愛すべき数々の作品群が、彼女の心にそこまで深く根を張っていたということだ。記憶が戻らなくても、消せないくらいに。それだけのことなんだろう。だが俺には、それがとてつもなく尊いものに思えた。
(必ず、元に戻してみせる)
始業式終わりの昼下がり。冬の柔らかな日差しを浴びながら、彼女との再会を糧に自転車を走らせる。
その時だった。
「おい」
背後から、低く刺々しい声が飛んできた。 自転車を止め、不審に思って振り返る。電信柱の影に、U中の制服を着た男子生徒が一人、立ち尽くしていた。 目つきが、妙に鋭い。
「お前、さっき江村の見舞いに来てたやつだろ」
俺を値踏みするような視線を投げつけ、男は続けた。
「江村と、どういう関係だ?」
俺は無言で、その男を観察した。瞳の奥に、不自然な「熱」が宿っている。友人を案じる温かなそれとは違う、歪んだ嫉妬と執着が混ざり合った、なんかどす黒さを感じる熱だ。
「君は?」と、俺は静かに聞いた。
「梶山」と男は言った。
「梶山誠。江村と同じクラスだ」
「同じクラス…」
「いや、同じ学年だ。クラスは違う」
梶山は訂正してから、また俺を睨んだ。
(なんだ、この変なやつは)と内心で訝る。
今の俺はかなり寝不足で、精神的にも摩耗している。一刻も早く帰り、レイさんの記憶奪還のためのシミュレーションに時間を割きたかった。こんなところで油を売っている暇はない。
「江村さんの知り合いか。それなら、彼女が一日も早く回復するよう、共に祈ろう」
話を切り上げ、ペダルに足をかけた。
だが、梶山が放った次の一言が、俺の動きを止めた。
「江村が記憶喪失なんだってな。—ざまあみろだ」
俺は、ゆっくりと首を巡らせた。
「…なんだと?」
「女のくせに特撮なんて生意気なんだよ。お前のことなんか、あいつはこれっぽっちも覚えてないんだろ? 良かったじゃないか、お前もようやく目が覚めただろ。あんな女——」
梶山の言葉は支離滅裂だった。レイさんを貶めたいのか、俺を挑発したいのか、それとも相手にしてもらいたいのか。支離滅裂な論理の根底にある「女のくせに」という侮蔑が、俺の逆鱗を静かに、だが確実に逆なでした。
こいつは、彼女の何を知っているというんだ。
だが、怒りよりも先に、呆れが来た。そもそも初対面の相手にいきなりこんな暴言を吐ける人種など、定義は一つしかない。
(ただの、底知れないバカだ)
相手にする価値もない。時間の無駄だ、疲れてるし。俺は再び、前を向いた。
「おい、無視すんなよ! 江村のことが好きなんだろお前。でも無駄なんだよ。あいつは全部忘れてんだ。なら、俺の方が—」
「さっきから、何なんだこの野郎!うるせぇなてめぇはッ!」
鼓膜を震わせる怒号。自分でも驚くほど、大きな声が出た。 要するに、堪忍袋の緒が切れたのだ。しつこいんだよ。
俺は自転車を降り、梶山の方へ一歩踏み出した。
「一体なにが言いたい?俺にケンカを売ってんのか?」
「っ!……」
梶山の肩がびくりと跳ねる。
「さっきから江村、江村と呼び捨てにしやがってこの野郎……おまえ何様だ!…『江村さん』だろ!。『さん』を付けんか、『さん』を!」
梶山の顔から、瞬時に血の気が引いた。先ほどまでの虚勢に満ちた瞳が、みるみる泳ぎ出す。
「俺は今、最悪に寝不足で、お前に絡まれて泣き出したい気分なんだ。…ダグバと戦う五代くんみたいに、泣きながら殴ってやろうか?」
俺は血走った目で、薄暗い路地の奥を指し示した。
「ちょっと裏まで、付き合ってもらおうかね。一緒に楽しく遊ぼうじゃないか?」
「ひっ!—」
梶山は短い悲鳴を上げると、脱兎のごとく踵を返した。そのまま情けないほど必死な足取りで駆け出し、あっという間に角の向こうへ消えていった。
俺は深い溜息をつき、その背中を見送った。
「何だったんだ、あいつ…」
せっかくのレイさんとの尊い余韻が、ドブネズミに汚されたような気分だ。 怒りの反動で、どっと疲れが押し寄せてくる。それと同時に、腹の虫が盛大に鳴った。
「ああ……腹減った。帰ろう」
俺は再び自転車に跨り、ペダルを踏み込んだ。
一方、角を曲がって全力疾走した梶山は、激しく息を切らせながら電柱の影で立ち止まった。 心臓が、鼓膜を打ち抜くほど激しく鳴っている。膝が、情けないくらいに震えて止まらない。
「な、なんなんだ……あいつ……」
あの顔が、脳裏から離れない。一見、優しそうな雰囲気だと思っていたのに、あの瞬間の瞳は何だ。
「あんな優しそうなツラして……めちゃくちゃ怖ええ……」
しばらく呼吸を整え、梶山は歯を食いしばった。
「……次は、見てろよ」
誰に届くでもない強がりを吐き出す。だがその声は、自分でも気づかないほど、小さく震えていた。