第八章 歪んだ憧れ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
病院を出て、自転車にまたがった。
講義が始まるまであと十五分。ペダルを漕ぎ出した瞬間、街灯の下に人影が見えた。
(……またこいつか)
梶山だった。壁に背中を預けて、俺が出てくるのを待っていたらしい。
あんなに脅したのに、本当しつこいヤツだな
口の中で罵りながら、俺はブレーキを握った。無視して通り過ぎることも考えたが、またどこかで絡まれるのも面倒だ。
「なにか用か?」
俺は自転車を止めて、短く言った。
梶山は、前回と打って変わって、妙にそわそわした様子だった。肩をいからせていない。目つきも、あの時ほど尖っていない。
「あ、いや……その」
梶山がもごもごと口を動かした。
「江村…さんの、お見舞いに来てたんだろ」
「江村」ではなく「江村さん」。俺は内心で少し驚いたが、顔には出さなかった。前回、よほど怖かったらしい。
「そうだが」
「俺も…俺も、特撮が好きなんだ」
聞いてもいないのに、梶山はそう言い出した。
「江村さんと、昔、同じ小学校でさ。特撮の話で盛り上がったこともあったんだ。俺、メタルヒーローとか宇宙刑事とか、そういうのが好きで」
俺は「おっ!?」と思った。
こいつが、メタルヒーローを知っているのか。
「ほ…ほぉー、メタルヒーロー…か。誰が好きなの?」
梶山が、少し表情を緩めた。特撮の話になった途端、さっきまでのそわそわした様子が薄れた。
「宇宙刑事シャリバンだよ。ギャバンの次の作品」
「シャリバンか…」
なかなか見どころがあるじゃないか君。
「ギャバンの方が有名だけど、俺はシャリバンの戦闘スタイルが好きなんだよ」
「そうか。シャリバンの殺陣はギャバンとはまた違う魅力があるよな」
「そうそう! ギャバンはどっちかというと、力強さがあって、シャリバンはもう少しスピード感があって。ってのが俺のイメージなんだが」
梶山が、身振り手振りを交えて話し始めた。
(こいつ、本物だな)
俺は内心少し笑った。さっきまで警戒していた相手が、特撮ヒーローの話になった途端に別人のようになっている。特撮好きというのは、どこかで人間の本質が出る気がした。
「ギャバンが好きな俺としては、やっぱりギャバンが一番だが」と俺は言った。
「シャリバンの良さも分かる。三部作の中では、一番内容も洗練されてると思うし」
「だろ!」と梶山が、思わず声を上げた。
それからはっとして、また表情を引き締めた。
「……って、なに普通に話してんだ、俺」
「いいじゃないか、別に」
梶山が、バツが悪そうに視線を逸らした。
「まあ、そういうことだ」
どういうことだ?なんだこいつ、俺と友達になりたいのか?だったらそう言えばいいのに。
「それでさ…」
急に話を変えてきた。
「あの頃、江村さんに、ちょっと、ひどいことを言っちまって」
「ひどいこと?」
「特撮は男向けの趣味だとか。女はそれを間借りしてるだけだとか」梶山が、ばつが悪そうに続けた。「バカにされても泣かず、それを乗り越えた子だけが、特撮を好きになる資格を持てるんだ、とか……」
俺の視線が自然と鋭くなる。
「それを、江村さんに直接言ったの?」
「……ああ」
「そうか」
俺はため息をついた。レイさんの心に刺さり続けたあの棘の、出所がこいつだったのか。
「それで、江村さんはなんと?」
梶山の顔が、妙な色に染まった。怯えとも、照れとも、違う何かだった。
「『何が資格よ。大きなお世話。舐めんじゃないわよ』って言われて……」
「言われて?」
「ビンタされた」
俺は一瞬、固まった。
(ビンタ……)
脳裏に、眼鏡のショートカットの女の子が、ためらいなく手を振り抜く光景が鮮明に浮かぶ。
(さすがは、レイさんだ)
込み上げてくる賞賛を、必死に飲み込む。
「それで?」と俺は続きを促した。
「それから……江村さんのことが、頭から離れなくなって」
梶山が、どこか遠い目をしながら言った。
「離れられ…えっ?」
俺は梶山の顔を見ながら思った
(こいつ、やべーヤツか?)
ビンタされたことがきっかけで、相手に執着するようになるとは。けっこうな歪みっぷりだぞ。
「…今、俺のこと相当ヤバいヤツだと思ったろ」
図星を突かれ、俺は言葉に詰まった。だが、ここで変に誤魔化すのもおかしな話だ。
「いや、そりゃあな。叩かれて好きになるとか、ちょっとそっち系の趣味なのかと…」
「違う! そういう変な意味じゃねえよ!」
梶山は顔を真っ赤にして全力で否定した。それから、きつく拳を握りしめ、吐き出すように言った。
「小三のある日のことさ、いつものように二人で話をしてるうちに、ふと言っちまったんだ。…俺、どうかしてたんだ」
「…」
「実はさ…俺自身、周りから『いつまでヒーローなんか見てとか、幼稚だ』ってバカにされたことがあってさ。それがずっとコンプレックスだった。だから、特撮ヒーローが好きなことを隠して、どこか斜に構えるようになってたんだ。なのに、江村さんは違った。女子なのに、自分の『好き』を隠そうとしないで、堂々としていた。それが、たまらなく羨ましくて、同時に、そんな風に真っ直ぐ生きられない自分を見せつけられているみたいで、なんていうか…つい嫉妬したんだよ。だから、自分の価値観を押し付けて、偉そうにマウントを取って彼女を否定しようとした」
梶山は街灯を見上げ、ぽつりと呟いた。
「そしたら、江村さん、泣きそうな顔をしながら…それでも俺を真っ直ぐ睨みつけて、自分の『好き』っていう気持ちを守るために、俺に立ち向かってきたんだ」
梶山は自嘲気味に、きつく拳を握りしめた。
「その姿が……不謹慎だけど、めちゃくちゃ格好よく見えちまったんだよ。俺が憧れてた、どんなヒーローよりも。自分がどれだけ小さくて、ダサい悪党だったかって思い知らされて……気づいたら、彼女から目が離せなくなってた」
なるほどな、と俺は腑に落ちた。
こいつの歪んだ執着の正体は、マゾヒズムなどではない。自分がバカにされた過去の傷をレイさんにぶつけようとした最低の嫉妬と、それを一瞬で粉砕した彼女の、ヒーローのような気高さに撃ち抜かれた。ただの、不器用すぎる一目惚れだったんだ。
「江村さんにしたことは、彼女の信頼を裏切る行為だ。あと、「女子なのに」ってのも気をつけたほうがいい」
俺は静かに言った。
「そ、そうだな。分かってる」と梶山は言った
「それで、江村さんにはちゃんと謝ったの?」
梶山は少し間を置いてから、答えた。
「まあ……なんとか謝って、一応向こうも許してくれた雰囲気だったんだけど」
「それ以降は?」
「それ以降は、話をすることもなく……」
梶山がぼそぼそと続けた。しおらしい顔をしている。こいつなりに自分の過ちと向き合い、ずっと後悔を抱えてきたんだろう。俺はどこか放っておけない気持ちになりながら、黙って聞いていた。
その直後だった。
「普通、ここは仲直りして、お友達になりましょ、って流れになるはずなのに!」
梶山が突然、声のトーンを上げまくし立てた。
俺は思わず眉を上げ、目を見開いた。
「謝ったんだぞ? 俺は謝ったんだ! それなのに、あれ以来ずっと話をすることもなく。ずっと俺のことを無視しやがって!」
(へ?…急にどうした?)
さっきまでのしおらしさは、どこへ消えた。
「あんたはカッコいいからいいよな!」
梶山が俺に向かって叫んだ。
「俺なんか鼻にもかけてもらえない。所詮は顔でしか男を見ちゃいないんだ! 結局そういうことだろ!」
俺は梶山の顔を、改めてまじまじと見た。
これを読んでる人は、彼を「電光超人グリッドマン」に出てくる、悪に洗脳されて怪獣を生み出す「藤堂武史」のような根暗で陰鬱なオタク少年、みたいなルックスをイメージしてるかもしれないが。
いや、これがけっこう精悍な男前で。背も高いし、スタイルもいいし、何ならそのムダに長い脚を俺に分けてほしいくらいだ。
本家と同じく、家庭環境に問題でもあるのか?それにしたって。
(なんちゅう被害妄想甚だしい…)
呆れを通り越して、少し可笑しみが湧いてきた。顔の問題じゃない。こいつは、女子に対して夢を見すぎているところだ。
「ケンカしても、謝ったら好きになる」なんて展開を本気で期待していたらしい。そんな都合のいい話があるか。
ただ、そのあまりにも尋常じゃない執着心が、妙な方向へ捻じ曲がっているのが気がかりだった。
梶山にとって、小学三年生のあのビンタは、自分の惨めなコンプレックスを叩き割ってくれた「劇的展開」だった。
だからこそ、謝罪を受け入れてもらった後も、彼女の中に自分の存在を刻みつけたかった。
かつて自分を否定した世界の中で、唯一「本物」だと信じられたレイさんに、対等な存在として認められたかった。
なのに、現実はただの気まずい過去として、綺麗にスルーされ続けている。
今回の出来事がきっかけで、何か妙な考えを行動に移すんじゃなかろうか…
俺が黙って考えていると、梶山が興奮を抑えるように息を吐いた。
「……だが、俺は別にストーカーなんかにはならないからな」
「そうなの?」
「本当だ。そこまで落ちるつもりはない。ヒーローが好きな人間として、最低限の筋は通す」
梶山が、妙な自尊心を見せた。
こいつの言っていることは支離滅裂だが、根っこにある特撮へのプライドだけは、かろうじて信じてもいいかもしれない。どこか不器用で、真っ直ぐなところもあるやつなのだ。
「一つだけ言っとく」
俺は静かに、しかしはっきりと言った。
「江村さんに、余計なことはしないでほしい。それだけだ」
梶山が、俺の目を見た。何かを言いかけて、やめた。
「……分かってる」
「なら、いい」
俺は自転車に乗った。そして振り向いて言った。
「江村さんのことは忘れて、次に進むんだ」
少し偉そうかなと思いながら、俺はペダルを踏み込んだ。背後で梶山が何か呟いたが、聞こえないふりをした。
冷たい夜風が耳元を通り過ぎていく。頭の中で、日曜日の段取りと、少し危ういが、どこか放っておけない梶山のことが、ごちゃまぜになっていた。
夜風を切り裂き、去っていく相羽勇介の背中を、梶山は見つめ続けていた。
遠ざかっていく赤いテールランプの光が、やけに眩しく、そして忌々しい。
――江村さんのことは忘れて、次に進むんだ。
あの声が、頭の中でずっと再生されている。
優しく言われた。憐れみでも侮蔑でもない。だから余計に始末が悪かった。
「次に進め」
次がある人間だけが言える台詞だ。
「……次って、どこにだよ」
梶山は空を見上げた。
胸の奥から、どす黒い感情がせり上がってくるのを止められなかった。
「相羽勇介。あいつは江村玲愛の隣に、あまりにもごく自然に寄り添っている。「特撮ヒーロー」という共通の、誰にも踏み込めない聖域で、彼女と対等に笑い合い、心を分かち合っている」
それは、梶山がどれだけ焦がれても決して手に入れることのできない、至高の特等席だった。
(なんでお前なんだ……)
激しい嫉妬と羨望が、憤りとともに梶山の内に潜む歪んだ独占欲に容赦なく火をつける。
視界の端で勇介の背中が小さくなっていく。梶山の瞳には、冷徹で、どこか狂気を孕んだ危険な熱が宿り始めていた。
(お前さえいなくなれば。お前のその『正義の味方』みたいな化けの皮を剥ぎ取って、彼女との仲をめちゃくちゃに引き裂いてやれば―)
そうなれば、江村さんは目の前の障害を失い、今度こそ俺という存在を真っ直ぐに見てくれるはずだ。あの小学生の時のように、感情のすべてを剥き出しにして、俺だけを強く、強く睨みつけてくれるはずだ。
激しい被害妄想と歪んだ執着に突き動かされながら、梶山は闇の中で静かに歯を食いしばり、去りゆく宿敵の背中をいつまでも睨みつけていた。