第九章 初デート、浦島太郎のヒロイン
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
楓さんに教えてもらった商店街は、駅から少し歩いた場所にあった。
頭上を覆う古びたアーケードの屋根がどこまでも続く、下町情緒を色濃く残した通りだ。威勢のいい声が響く八百屋、氷の上に瑞々しい魚を並べた魚屋、そそる出汁の匂いを漂わせる大衆食堂。チェーン店の一画一様なわびしさが立ち並ぶ大通りとは違う、どこか肌に馴染むような、ほっとする空気がそこには流れていた。
レイさんは、商店街に一歩足を踏み入れた瞬間、不意に歩調を緩めて足を止めた。何かを探すように、きょろきょろとあたりを見回している。
「どうしたの?」
「なんか……ここ、知っている気がする」
レイさんが、怪訝そうに眉をひそめて呟いた。
「来たことある。なんだろう、すごく懐かしい感じがするの」
「そうかもしれないね」
俺はそれ以上、言葉を重ねなかった。楓さんから聞いていた『かつて毎週末のように三人で歩いた思い出の場所』だという事実は、そっと胸の奥に仕舞い込んでおく。
レイさんはしばらく佇み、光の斑点が入るアーケードの天井を見上げていたが、やがて何かを振り切るように、再び前を向いて歩き出した。
商店街の中ほどまで進むと、一軒の玩具店が目を引いた。
昭和の面影を残すレトロな佇まいだが、ショーウィンドウには最新のヒーロー玩具がこれでもかと所狭しとディスプレイされている。レイさんが、そのガラスの前で吸い寄せられるように足を止めた。
「ねえ、お兄ちゃん。中、入ってもいい?」
「もちろん。行こう」
一歩店内に足を踏み入れた瞬間、レイさんの視線が泳ぎ始めた。
仮面ライダー、スーパー戦隊、ウルトラマン。色とりどりのきらびやかなパッケージが、棚という棚を埋め尽くしている。レイさんは圧倒されたように、その棚の前をゆっくりと回遊した。そして、ある最新玩具のコーナーの前で、凍りついたように動きを止めた。
「……なに、これ?」
彼女が恐る恐る手に取ったのは、現在放送中の最新仮面ライダーの変身ベルトだった。パッケージには、彼女の記憶には存在しない、極彩色でサイバーな最新フォームのライダーが描かれている。
「今の、現役の仮面ライダーだよ」と俺は静かに応えた。
「今の?」 レイさんは信じられないといった様子で、パッケージを裏返したり表に戻したりしながら、困惑した声を漏らした。
「今の仮面ライダーって……ジオウじゃないの?」
「ジオウの後にも、新しいシリーズがずっと続いているんだよ」
「えっ……」
レイさんが、大きな眼鏡の奥の目をさらに丸くした。
「じゃあ、リュウソウジャーも、もう古いの?」
「そうだね。今の戦隊は……」
俺が現在進行形の最新シリーズについて大まかに説明すると、レイさんは「うそ……」と呆然とした呟きを漏らし、そのまま棚の並びを見渡した。彼女の知らないロゴ、知らないヒーロー、知らないギミックの玩具が、視界を埋め尽くしている。
「私、なんだか浦島太郎になったみたい」
「少し、時間の流れを飛び越えちゃったかもしれないね」
「なんか、すごいね。私が知らないうちに、世界はどんどん新しくなってたんだ……」
レイさんは最新の変身ベルトを名残惜しそうに棚に戻すと、吸い寄せられるように隣のコーナーへ移動した。そこには、型落ちした数年前の玩具が僅かにワゴンに並んでいる。それを見つけた瞬間、彼女の表情に目に見えて安堵の色が広がった。
「あ、ジオウだ」
「そっちの方が、見慣れていて安心するかい?」
「うん。私の知っているやつだから」
レイさんはジオウの変身ベルトを愛おしそうに手に取り、懐かしむように眺めた。それから、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「ねえ、お兄ちゃん。私、ジオウを見てから、初めて大昔の仮面ライダーを見たの」
「一号ライダーかい?」
「そう、一号と二号!」
レイさんが勢い込んで身を乗り出す。さっきまでの戸惑いは消え、特撮オタクとしての熱量がその小さな身体から放たれ始めていた。
「最初に見た時ね、本当にびっくりしちゃって」
「どんな風に?」
「だって……今のライダーと全然違うんだもん。ジオウって、CGとかビームとか映像が綺麗で、変身シーンも派手でかっこいいのが当たり前だと思ってたの。でも、初代を見たら、なんていうか……その……」
レイさんは一生懸命に言葉を選びながら、少し声を潜めた。
「ちょっとだけ、手作り感があるっていうか……スーツも緑色でシンプルだし、戦い方も今のライダーみたいに空中を飛び回ったりしなくて。最初は正直、ちょっと古臭いなって思っちゃったんだ」
「実に率直な意見だね」
「でもね!」 レイさんの瞳が、じわじわと確かな輝きを増していく。
「見続けていたら、だんだん『これ、すごいかも』って思い始めて。ショッカーの怪人とか戦闘員が、なんか妙にリアルで不気味で、本当にそこにいるみたいに怖いの。それに、本郷猛がバイクでノーヘルで爆走するシーンとか、スタントの人たちが本当に泥塗れで身体を張ってアクションしてるのが、画面越しにビンビン伝わってきて」
熱を帯びていく少女のトーン。俺はただ、その心地よい語り口に耳を傾けた。
「今の綺麗なCGとは違う、生々しい迫力っていうのかな。血が通った人間が本当に戦ってる感じがして、それが逆に、ものすごく格好いいなって気付いちゃったの」
「よく分かるよ」 俺は深く頷いた。
「あの時代の特撮が持つ「作りこみ」というか。フィルムのざらつきも含めて、全部本物の命を懸けて作っている感じが、いいんだよね」
「そう! 本当にそれ!」
レイさんが、我が意を得たりとばかりに弾けた。
「それでね、私、気になり始めたの。仮面ライダーって、一号から今のライダーまで、もう四十?五十年も歴史があるじゃない? その長い時間の間に、どんな風に変わってきたのかなって」
「それは、なかなか素晴らしい着眼点だよ、レイさん」
「だって、一号と今のライダーって、同じ『仮面ライダー』っていう名前なのに、見た目も中身も全然別物みたいじゃない」
「昭和から平成へ移り変わった時、シリーズの方向性がガラリと変わったからね」
「どんな風に?」
「昭和の頃は、世界の平和を守るために悪の組織と戦う、シンプルな勧善懲悪の構図が基本だった。でも平成になってからは、ライダー同士がそれぞれの正義のために戦ったり、主人公たちのドロドロした内面や葛藤を深く掘り下げたりする群像劇になったんだよ」
「へえ……」 レイさんは完全に一人の熱心な生徒と化し、真剣な眼差しで俺の解説に聞き入っていた。
「じゃあ、昭和から平成に変わる時、一番『変わった』って感じがするライダーはどれ?」 「俺の意見としては、やっぱり『仮面ライダークウガ』かな。平成シリーズの記念すべき第一作目なんだけど、それまでの昭和のフォーマットを徹底的に解体して、リアルな警察組織との連携や、言語の概念まで作り込んだ、明確なパラダイムシフト…時代の転換と言えばいいのかな。それを起こした作品だからね」
「クウガ…まだ観てないの。すごく観たい!」
「おすすめするよ。歴史を順番に辿っていくと、仮面ライダーという巨大な概念が、時代に合わせてどう変化してきたかがよく分かるはずさ」
レイさんは棚の前で、腕を組んでしばらく真剣に考え込んでいた。やがて、感嘆を溜息のように吐き出す。
「なんか、すごいことだよね。五十年もの間、ずっと続いてきたなんて」
「そうか、確かに言われてみたら奇跡みたいなことだね」
「作っている人たちが変わって、時代が変わって、それでも『仮面ライダー』は形を変えてずっとそこにあり続ける。なんか格好いいな」
彼女は、最新のライダー玩具と、自分の知っているジオウの玩具を、交互に愛おしそうに見比べた。
「最初は古臭いなんて思っちゃったのに、今はどっちも同じくらい好き。一号の熱さも、今のライダーの格好良さも」
「それが、特撮番組という文化の最も面白いところだよ。時代ごとに見せる顔は全然違うのに、その根底に流れている『誰かを守りたい』っていう熱の本質は変わらないんだから」
レイさんが、じっと俺を見上げた。眼鏡の奥の瞳が、冬の星のようにきらきらと煌めいている。
「お兄ちゃんって、なんだか話し方がすごく格好いいよね」
「そうかい? 普通だと思うけれど」
「ううん。ただの特撮好きなお兄さんじゃなくて、なんだか『特撮の先生』みたい」
「それは俺にとって、これ以上にない最高の褒め言葉だね」
レイさんがくすくすと無邪気に笑った。その細められた目の形、声音、笑い声の響き。それがあまりにも、俺のよく知る「普段の江村玲愛」そのものだったから、俺は一瞬、胸の奥を鋭く突かれたような錯覚に陥った。
(早く、こっちに戻ってきてくれよ……)
張り裂けそうな願いを心の中で噛み締めながら、俺は彼女の横で、棚に並んだ歴代のヒーローたちを見つめ続けた。
玩具店の外。少し離れた通りに置かれたベンチでは。 ゆりかとめぐみが、玩具店の大きなショーウィンドウ越しに、店内の二人の様子をじっと窺っていた。
「なんか、すごく楽しそうだね」とめぐみが言う。
「ね。レイってば、記憶がなくてもやっぱりレイなんだよね」
ゆりかが、どこか誇らしげに、そして切なそうに目を細めた。
「あの特撮の話をしてる時の目の輝かせ方、絶対にいつものレイだもん」
「早く、全部思い出して戻ってくるといいね」 「うん、本当に」
めぐみはゆりかと楽しげに顔を見合わせ声を弾ませる。
二人の後ろで、ずっと腕を組んだまま立っていた中川が、ぽつりと言った。
「江村さん、記憶を失う前よりも相羽くんに懐いてるんじゃないかな…」
その言葉には、勇介への信頼と裏腹に、やや嫉妬交じりの感情が見え隠れしていた。
元々、中川自身もレイに対して特別な想いを抱いていた。だからこそ二人の姿が、眩しく、そして少しだけ苦しかった。
「…もう少し早く、俺が彼女に気持ちを打ち明けていたらな」
胸の奥に仕舞い込んでいた本音が、寂しげな吐息とともに零れ落ちる。
「え? どうしたの、中川くん?」
その呟きを小耳に挟んだめぐみが、不思議そうに振り返って尋ねた。
「いや、なんでもない」
中川はすぐにいつもの表情を取り戻し、静かな微笑みを浮かべて首を振った。
もう、自分が割り込む幕ではないことくらい分かっている。彼は心の中で呟いた。
(委員長を頼んだよ、相羽くん)
レイの弾けるような笑顔を見つめながら、中川は静かに自らの恋に終止符を打った。