第十一章 悔恨・後編
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
俺は少しの間、沈黙の中で必死に思考を巡らせた。
彼女の魂に届くべき言葉を、一つずつ選ぶ。これ以上彼女の心を傷つけないよう、慎重に、丁寧に、かつてないほどの心を込めて。
「レイさん」
「なに?お兄ちゃん」
「今回、梶山が君に言ったことは、完全に間違っていた。何一つ正しくない」
「分かってる。でも…」
「言葉が出なかったのは、それだけ君の心が深く傷つき、困惑したからだ。それを、君の身体が、大切なものを守るために先に反応した。俺は、それだけのことだと思う」
「でも、暴力は…」
「言葉にできなかったからといって、君の『好き』という気持ちの価値が下がるわけじゃない。君が特撮を、ヒーローを愛しているというその純粋な魂は、誰の言葉によっても、どんな手段によっても、絶対に汚されることはない。それだけは、俺が全てを懸けて保証するよ」
レイさんが、顔を覆っていた指の隙間から、潤んだ瞳で俺を見つめた。
それは九歳の少女の目だった。しかし、その瞳の奥のさらに深い場所には、確かに、俺の知っているもう一人の『江村玲愛』が佇んでいた。
「暴力は…やっぱり良くないよね」とレイさんが呟いた。
九歳の無垢な口調だった。
「良くないね」と俺は真っ直ぐに答えた。
「でも、だからといって、君が悪いわけじゃない」
「どういうこと?」
「君は、自分の世界にある本当に大切なものを守ろうとしたんだ。その表現方法が、たまたま少し不器用で、うまくいかなかっただけだ。君の胸の中にあるその動機そのものは、正しかったんだよ」
俺は頭をフル回転させながら、一語一句丁寧に言葉を紡いだ。
レイさんは、しばらくの間、言葉を失ったように黙り込んでいた。
それから、長い時間をかけて、ゆっくりと顔を覆っていた両手を下ろした。目の周りは真っ赤に腫れ上がり、眼鏡がまた少しだけ不格好に傾いている。
「…お兄ちゃんは」
レイさんは微かに唇を震わせ、俺の目をじっと見つめた。
「なんで、そんなに…私の気持ちを、全部分かってくれるの?」
俺は少しだけ照れくささを覚えながら、それでも彼女の目から視線を逸らさずに答えた。 「俺も、君と同じくらい特撮ヒーローが好きだからね。そして…何より、君のことをもっと深く知りたいと思っているからさ」
レイさんの瞳に、じわりと、今度は温かい涙が溢れ出してきた。九歳としての純真な感謝と、十五歳としての深い安堵が、美しく入り混じったような―そんな、筆舌に尽くしがたい表情だった。
「…うん」
彼女は小さく、しかし明確に頷いた。
そして、レイさんの指先が、再び俺のダッフルコートの袖を掴んだ。さっきの甘えるような仕草とは違い、今度は、離さまいとするように、少しだけ強く、確かに力を込めて。
頭の痛みはまだ完全に引いてはいないようだったが、さっきのような精神の激しいせめぎ合いは、俺の言葉によって少しずつ、凪(なぎ)へと向かっているように見えた。
俺が彼女の隣に腰掛け、その背中に手を当てて宥め続けていた、その時だった。
「…知らなかったんだ」
背後から、ひどく掠れた、くぐもった声が聞こえた。
俺が鋭く顔を上げると、そこには中川くんに遮られ、少し離れた場所に呆然と立ち尽くす梶山の姿があった。
てめぇ、この野郎まだ居やがったのか。
梶山は両拳を強く握りしめ、地面を見つめてうつむいていた。その大きな肩が、小刻みに、情けなく震えている。
「そこまで……君が苦しんでたなんて、俺、本当に知らなかったんだ……」
梶山の声は、罪悪感と後悔で完全に割れていた。
「俺は…ただ、君に振り向いてほしくて。気を引きたい、それだけの幼稚な理由で…まさか、君をこんなに長い間、ずっと苦しめ続けてただなんて…」
梶山の目から、大粒の涙が一筋、その青ざめた頬を伝って床へと落ちた。
中川くんは彼の前に立ち塞がったまま、何も言わず、ただ軽蔑と憐れみの混じった視線を向け続けている。ゆりかさんもめぐみさんも、かける言葉を失ったように沈黙を守っていた。 当然、俺も何も言わなかった。こいつの身勝手な謝罪を受け入れるほど、俺の心は広くない。
梶山は涙を拭おうともせず、震える声で言葉を絞り出した。 「ごめん…江村さん。本当に、本当にごめんなさい…っ」
しかし、レイさんは最後まで、梶山の方を一度として見ようとはしなかった。ただ、俺のコートの袖を必死に掴んだまま、静かに、声を殺して泣き続けていた。
やがて、長い涙の果てに、レイさんが小さく口を開いた。
それは、今にも消え入りそうな、しかし決定的な響きを伴った、絞り出すような呟きだった。
「もう……やめる」 「え……?」
一瞬、自分の耳を疑った。
「特撮も、ヒーローも……私は、もう全部やめる」
(なんですと!?) 心臓を冷たい手で掴まれたような、衝撃が俺を襲った。
「レイ、何を言ってるの…!?」
ゆりかさんが悲痛な声を上げ、めぐみさんも言葉を失う。中川くんの目が、信じられないものを見るように見開かれた。
「こんなに辛くて、苦しい思いをするなら…もう嫌だ。好きでいると、自分が傷つくから。…誰かを、傷つけてしまうから。だから…もう、何もいらない…」
レイさんは、静かに泣き続けていた。声を荒げるわけでもなく、ただ透明な涙の雫が、眼鏡のフレームを静かに伝って、冷たい床へとぽつり、ぽつりと落ちていった。
その消え入りそうな呟きは、俺の胸の最も深いところを容赦なく突き刺した。
(そんな…哀しいこと、言わないでくれ…!)
喉の奥がカサカサに乾き、もはやこれ以上にかけるべき言葉が何一つ浮かんでこない。
正直に言えば、俺ももう泣き出したい気分だった。視線の先で、己のしでかした罪の重さに湿っぽく涙を流している梶山のアホを、今すぐこの拳で殴り倒してやりてぇ。
いや、そもそも俺がジュース代をケチって、レイさんと離れてしまったから、あいつにつけ入る隙を与えてしまったんだ。俺の責任だ。
ギャバン、シャリバン、シャイダー、ジャスピオン、スピルバン、メタルダー、ジライヤ、ジバン、ファイヤー、ソルブレイバー、レッダー、ジャンパーソン、ブルースワット、ビーファイター、カブト
心あらば教えてくれ。俺はどうすればいいんだ。
俺は心の中で泣き言を言った。情けない、もうこれ以上何もできないのか俺は…。