第十二章 奇跡の光
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
(とにかく病院に連絡を…)
そう思って、肩に掲げているショルダーバックから、スマホを取り出そうとすると、中から何か光が漏れたような気がした。
バックの中にはレイさんが「相羽くんに持っていてほしいの」と、少しはにかみながら手渡してくれた、大葉健二氏の直筆サイン入りブロマイドが入っている。
それが今、静かに光ったと感じた。
(なんだ、幻覚か?)
そう思った瞬間、どこからともなく声が聞こえた。
「愛する者を、見捨ててはならない」
低く、穏やかで、しかし確かな重みを持った声だった。
俺は思わず、周りを見渡した。
レイさんは床に膝をついたまま、小さな子供のように俺のコートの袖を掴んで泣いている。少し離れた場所では梶山が顔を覆って俯き、ゆりかさんたちも張り詰めた面持ちでこちらを見守っている。
誰も、言葉を発していない。
(今度は幻聴か?勘弁してくれ)
次の瞬間、世界が変わった。
音が、消えた。
ショッピングモールの喧騒が、足音が、空調の唸りが、すべて綺麗さっぱり掻き消えた。レイさんも、ゆりかさんたちも、梶山も、その場に静止したまま、まるで時間ごと凍りついたように動かない。
俺だけが、その静寂の中に、一人取り残されていた。
足元を見ると、冷たいコンクリートの床のはずが、どこまでも続く薄明かりの空間に変わっている。光源がどこにあるのかも分からない。ただ、柔らかく、しかし確かな輝きが、辺り一面をうっすらと満たしていた。
(え?なに?ここどこ?魔空空間?幻夢界か?)
「不思議時空、いやバイパススリップだ」
(えっ…?)
その時だった。
薄明かりの中に、人影が現れた。
「ふふっ、冗談だ」
その人影は、おどけるように笑った。
背が高い。肩幅がある。砂埃の染みついたジャケットを着た、俺よりずっと年上の男だ。
ゆっくりと、こちらへ歩いてくる。
顔が、見えた。
俺は言葉を失った。
知っている顔だった。
中二の夏のあの日から、記憶の中で何度も見てきた顔だった。
当たり前だ。
それはかつての、俺自身の顔だったのだから。
男は俺の前で足を止め、静かに笑った。
「久しぶりだな」
「……ああ」
俺はようやく、声を絞り出した。
「久しぶりだ」
「羽月流星」が、そこに立っていた。
俺には分かっていた。この顔を、この声を、この立ち姿を。記憶の中に、ちゃんとある。
だがこうして実際に目の前に現れるとは。
「驚かないのか?」
流星が、少し面食らったように言った。
「幻覚か何かだとは思わないのか?」
「思わないさ」
俺は即答した。
「特撮ドラマじゃあ、ありがちな展開だ。これくらいじゃ驚かないさ。むしろ、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!だぜ 」
流星は、一瞬だけ目を丸くした。それから——低く、愉快そうに笑った。
「……なかなか、肝が据わっているな」
「まあ、あんたの記憶があるからな」
俺は流星の顔を改めてまじまじと見た。
記憶の中の彼よりも、少し疲れて見えた。それでも、その眼差しには——昔と変わらない、真っ直ぐな光があった。
「それで」と俺は聞いた。
「あんたは…レイさんを助けるために来てくれたのか?」
流星は少しの間、黙っていた。
それから、頭をかきながら言った。
「ああ、それはそうなんだが」
少し間があった。
「正直に言うと——半分は、お前のためでもある」
「俺の?」
「ああ」
流星は、どこか気まずそうに視線を逸らした。
「お前が今、あの子を救おうとして立ち尽くしてる。その姿を見てたら……昔の自分を思い出しちまってな」
「昔の自分?」
「大切な人の前で、何も言えずに立ち尽くしてた自分だよ」
流星の声が、少しだけ低くなった。
「俺には、それができなかった。母親にも、好きだった女にも。ずっと、後悔してた」
俺は黙って、その言葉を聞いていた。
「だから——お前には、同じ思いをしてほしくなかった。それだけだ」
流星は、そう言って軽く肩をすくめた。
「まあ、格好つけて言えばそうなるが。単純に、放っておけなかったってだけかもしれんな」
俺は、その言葉の重さを噛み締めた。
記憶の中にある。
余命わずかな母親に、素っ気ない態度を取り続けてしまった。自身が不治の病であることを知らされていない母に対し、不自然に優しい言葉をかけることで、病気であることがバレてしまうのではと思ったからだ。
彼が母に本音の言葉をかけたのは危篤状態になってから。自分が愚かな間違いをしたと気付いた時はすべてが手遅れだった。
彼はそれを生涯にわたり後悔した。
好きだという気持ちを、最後まで言葉にできなかった女性がいた。相思相愛だった。お互いに何も言わなくとも分かり合っていると信じていた。過信していたのだ。
「あなたの気持ちが分からない」と言われ、気持ちを伝えられることなく、あえなく破局した。
自分は何を学んだのか、と後悔した。
身体は動いた。炎の中でも、高所でも、どこへでも飛び込めた。
なのに——言葉だけが、いつも間に合わなかった。
(そういう男だったんだ、あんたは……いや、俺か)
「自分の気持ちを、言葉にできなかった」
流星が、絞り出すように言った。
「それが俺の後悔だ」
俺は黙って聞いていた。
それから——ふと、気になっていたことを聞いた。
「なあ、その別れた彼女。ミホさんって人だろ」
流星の目が、微かに揺れた。
「……記憶にあるのか?」
「ある。ショートヘアの、パーマがかかった人だろ。スピルバンのダイアナみたいな」
流星は何も言わなかった。ただ、静かに頷いた。
俺は少しだけ、レイさんの顔を思い浮かべた。
眼鏡の奥の、あの澄んだ瞳。ショートカット。どこか似ている、と思った。雰囲気が。佇まいが。
「どうやら」
俺は、口元を緩めながら言った。
「女性の好みまで、受け継がれちまったようだね」
流星が、一瞬だけ固まった。
それから——盛大に、噴き出した。
「…お前、本当に俺か?」
「あんたより少しマシになってるかもな」
「そうだな」
流星は笑いながら、しかしすぐに真顔に戻った。
「お前にとって、その子はなんだ?」
なんだと?そんなこと、考えるまでもない。
「知れたことさ。俺が愛する者。誰よりも、何よりも、守りたい人だ」
答えは、最初から決まってるぜ。
「そうか」
流星は、静かに頷いた。
「ならば、今こそその心を示す時だ」
「示す?……そう言われても、今の俺には、彼女の傷を癒やす言葉も方法も、何もない……」
俺は少し俯き、唇を噛んだ。
「その少女の心は今、かつての深い闇に呑まれようとしている」
流星は、静かに諭すように続けた。
「長い年月をかけて積もり重なった悔恨の痛みが、その子が灯し続けた『好き』という名の尊い光を、永遠に消し去ろうとしているんだ。今の彼女には、闇を払うもう一つの光が必要だ」
「もう一つの、光……」
「お前が抱く正義の心を、濁りなき魂の言葉を、今こそ彼女の心へと真っ直ぐにぶつけるんだ。お前の宿す正義の心の輝きをもって、彼女の閉ざされた心を開け。闇に抗いし、聖なる光の道へと誘(いざな)うんだ』
流星が、一拍置いた。
それから少しだけ、声を落とした。
「俺には、できなかったことだ」
好きでいることを踏みにじられて、言葉の代わりに手が出てしまって、そんな自分を責め続けた少女。
流星の後悔と、レイさんの傷が、鏡のように重なって見えた。
「やることが回りくどいというか、不器用な人だな」
俺は苦笑いしながら言った。
「まあ、だから俺に引き継いだんだろうけどな」
「そうだな」
流星が、どこか照れくさそうに答えた。
「俺にはできなかったこと…お前は俺より口が上手いからそれができる。頼む」
「少し言い方が気になるが…まあいい、頼まれた」
俺は少し口を歪めながら即答した。
迷いなどありはしない。
「あんたのやり残したこと、俺がやり遂げる。任せとけ」
「……頼もしいな」
「レイさんのためだ。必ずやってみせるぜ」
流星は、しばらく黙っていた。
それから静かに、深く、笑った。
その笑い方が、記憶の中の彼の笑い方と、ぴたりと重なった。
流星がゆっくりと踵を返した。
薄明かりの中へ、歩いていく。
「後は任せたぜ……勇介。シュピーンと行け!」
その声が消えた。
人影が、光の中に溶けていく。
最後まで見えていたのは、ヒーロースーツを着た、背の高い男の後ろ姿だった。
その背中はどこか、誇らしげだった。
世界が、戻ってきた。
喧騒。足音。空調の音。時間が再び動き出す。
レイさんはまだ、俺の袖を掴んで泣いていた。梶山も、ゆりかさんたちも、何事もなかったかのようにそこにいる。
あれは、ほんの一瞬の出来事だったのだ。
(俺に言葉をかけてくれたことに感謝する。後は任せてくれ、流星!)
俺は小さく、誰にも聞こえないように呟いた。
次の瞬間、胸の奥で何かが燃え上がるのを感じた。冷たくて澄んだあの感覚が、静かに頭の中に満ちていく。