第二章 我が愛しのハンサムウーマン
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
それから一週間後。
塾への行きしな、いつものように「マロン」でコーヒーを飲み終え、店内を一通り眺めてから出ようとした時だった。
背中に、鈴が鳴るような声が届いた。
「あの、お客さん。特撮関連の珍しい本が入ったんですけど…見てみますか?」
心臓が跳ね上がった。振り返ると、レイさんが少しはにかみながら、カウンター越しに一冊の本を差し出している。
それは、二十年ほど前に発行された、伝説的な『宇宙刑事シリーズ大全』だった。
(…あ。これ、持ってる)
かつて父親から譲り受けた、俺にとってはお宝のような一冊だ。既にページが擦り切れるほど読み込んでいる。
一瞬、正直に言おうかと迷った。だがレイさんの、期待と不安が入り混じったような真っ直ぐな眼差しを見て、心は決まった。
「すごい!すごいなぁ!これ、ずっと探してたんですよ。……買います、買わせてください!」
自分が持っているものよりはるかに状態がよく、しかも中学生のサイフに優しいリーズナブルな値段だった。そんな上物を、レイさんが俺の好みを分析して取り置いてくれた。その事実が、とにかく嬉しかった。
「よかった。お客さん、いつもこの棚を熱心に見ていらっしゃるから……。気に入ってもらえるか、ちょっとドキドキしてたんです」
レイさんはホッとしたように、花が綻ぶような笑顔を見せた。
俺は胸の高鳴りを悟られないよう、慌てて財布を取り出した。
「ありがとうございます。大切にします、一生の宝物にします!」
「ふふ、大袈裟ですよ。でも、そんなに喜んでもらえると、仕入れた甲斐がありました」
まだ、お互いの名前さえ知らない。「お客さん」と呼ばれ、丁寧な敬語で会話するだけの関係だ。
それでも、琥珀色の光が満ちる店内で、一冊の本を介して、二人の世界が確かに重なり合った気がした。
「状態が良すぎて、開くのも緊張するな」
大切そうに本を抱える俺に、レイさんはくすりと笑って応えた。
「お客さんに大切に扱ってもらって、本も嬉しいと思いますよ。制作の舞台裏も詳細に描かれていて、スーツアクターさんの貴重なインタビューも載っていたり、見どころ満載だと思います」
「よくご存知ですね」
「はい。実は私、小さい頃に『トッキュウジャー』にハマってから、ずっと特撮が大好きなんです。最近は昔の作品のアクションとか火薬の迫力に惚れ込んじゃって」
来た。
「トッキュウジャー! 想像力(イマジネーション)ですね! まさか、えぇと……お姉さんも特オタ……いえ、特撮が好きだったなんて」
薄々気づいていたことは、知らないふりをした。
「そうなんです! 宇宙刑事のあのメタリックな輝きとか、今のCGとは違うリアルな感じがたまらなくて。レーザーブレードの殺陣なんて、もう…!」
やや興奮気味に話す彼女の姿が、やたら可愛かった。
「わかります! 僕もあの時代の殺陣がとても好きなんです。アクションも最高ですが、例えばギャバンなら、大葉さんのあの二枚目半のキャラが大好きで、そっちも魅力的ですよね」
俺は自然と目を輝かせていた。
「トッキュウジャーから宇宙刑事まで網羅してるなんて、世紀を超えてすごいですね」
「『超世紀全戦隊』ですから……あっ……!」
レイさんは慌てて口を手で閉じた。調子に乗って喋りすぎてしまった、という顔をしている。
「超世紀全戦隊」とは、スーパー戦隊シリーズ第十七作「五星戦隊ダイレンジャー(’93)」が放送された年に作られた、シリーズを総括する名称(のはず)だったが、その言いにくさからか、世間にまったく浸透することなく、自然消滅した言葉である。たぶん。
「おっ、その名称が出てくるんですか。さすがです」
まさかの発言に、俺は嬉しくなった。
「こちらこそ。こんなにお話が合う方に本を届けられて、すごく嬉しいです」
レイさんは少しバツが悪そうに、取り繕うように言った。
冬の冷たい空気も忘れるほど、俺たちの間には熱い何かが広がりはじめていた。
—ショートカット。眼鏡。癒しボイス。特オタ。
(やばいぜ、これは……本格的にやばいぜ)
俺の心の中で、何かが決定的に傾いた瞬間だった。
会話が一段落した、その時だった。
レイさんの表情が、ほんの少し変わった。
さっきまでの弾んだ空気が、静かに沈んでいく。気のせいかと思ったが違った。彼女の視線が、どこか遠くを向いている。拳を、ぎゅっと握りしめているのが見えた。
俺は黙って、待った。
「あっ、あの……」
レイさんの声が、微かに震えた。
「実は、少し怖かったんです。私みたいな女が、アクションだの火薬だのってマニアックなことを語ると……『何を知ったかぶって』とか、『女のくせに』って…昔、言われたことがあって」
俺は何も言わなかった。
言えなかった、というのが正直なところだ。
彼女は俯いた。その横顔に、さっきまでの笑顔の余韻はなかった。冷たい記憶を、今もどこかに抱えているような顔だった。
沈黙が流れた。
情けない話だが、俺にも覚えがある。
かつて、今の特撮番組がつまらないのは女性ファンに媚びているからだと、半ば本気で斜に構えていた時期があった。SNSで炎上していた「あの」投稿を知って、自分の狭量さを恥じ、考えを改めたのだが。タイミングがズレていたら、俺が彼女を傷つける側になっていたかもしれない。
そう気づいた瞬間、胸の奥で何かに火がついた。
シュピーン
冷たくて澄んだ、あの感覚が急速に満ちてくる。
俺はゆっくりと、レイさんの目を見つめ直した。
「でも僕にとって、あなたは『女の特撮ファン』じゃなくて、『特撮作品を心から愛してる仲間』です。爆破の迫力や、アクションのカッコよさに惚れ込める感性を持ってるなんて、最高にかっこいいじゃないですか」
口から言葉が、淀みなく自然と溢れ出てきた。
「好きっていう気持ちに、性別も年季も関係ないです。ちなみに僕は、キャリア二年ほどですけどね」
Vサインを作って、いたずらっぽく笑う。
「…かっこいい、ですか?」
レイさんが、おそるおそる顔を上げた。
「ええ、かっこよくて、とても素敵です。だから、これからもいろいろと遠慮なく語り合いたいです」
我ながら、よくもまあこんなキザなセリフがスラスラと出てくるものだと思った。だが、嘘は一言も言っていない。本心だった。
レイさんの唇から、ふっと笑みがこぼれた。さっきまでの翳りが、嘘のように消えていく。その瑞々しい笑顔を見て、俺は心底胸を撫で下ろした。
気がつけば、いつの間にかあのクリアな感覚は消えていた。
そして同時に気づいた。塾の講義開始時間が、とうにオーバーしていることに。
まあ、公式の一つや二つ、聞き逃しても大した問題ではない。今日のところは、これ以上の大金星はないのだから。 そう確信した。
「そろそろ行かないと」
名残惜しさを押し殺して、立ち上がった。
「お話できてよかった。また、お待ちしています」
「楽しい時間を過ごせてよかったです。また来ます」
少し照れくさくなって、俺は出口へ向かった。
「あっ、待って!」
振り向くと、レイさんが頬をほんのり赤くしながら、まっすぐ俺を見ていた。
「あの、改めて自己紹介します。私は江村玲愛(れい)、U中学の三年生です」
「そうなんだ、やっぱりタメだったんだ」
嬉しかった。素直に、そう思った。
「ぼく…俺は相羽勇介。M中の三年生。隣町からこの近くの塾に通ってます。お互い受験生同士、頑張りましょう、江村玲愛(レイ)さん」
右手でガッツポーズをすると、レイさんは両手でガッツポーズを返してきた。
「ありがとう。相羽さ……相羽くん。お互い頑張ろうね」
俺はその笑顔を目に焼き付けて、店を出た。
カランコロン、とドアのベルが鳴る。冬の冷たい空気が、一瞬だけ流れ込んできた。
外に出ると、寒さが頬を刺した。それでも、胸の中は妙に温かかった。憧れの彼女と、あんなに深く話ができたのだ。
「このなんとも言い知れぬ多幸感、エンドルフィン溢れまくりだな」
普段は絶対に言わないようなダサいセリフを呟きながら、俺は意気揚々と足取りも軽く塾へと足を向けた。