第二章 我が愛しのハンサム・ウーマンpart3
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
「マロン」を出た俺は、自転車にまたがって塾へ向かった。
ペダルを漕ぎながら、彼女との会話が頭の中を延々とリフレインしている。
特撮の話になった瞬間にパッと熱を帯びたあの瞳。「超世紀全戦隊」なんて単語をうっかり滑らせて、慌てて両手で口を塞いだあの仕草。
思い出すだけで、口元が勝手に緩んでいくのがわかる。
(やばいぜ、本当に)
思わず独り言が出た。
塾に滑り込み、自転車を駐輪場へ荒っぽく放り込む。息を切らせて教室のドアを開けた。 いかにも「死に物狂いで今しがた到着しました」という風を装い、ハァハァと大袈裟に肩を揺らしながら、申し訳なさ度一〇〇パーセントのフェイスで頭を下げる。
当然ながら、全員俺の方を見ていた。だが、遅刻はわずか十分。教壇の講師からは「今日は遅かったね。早く席につきなさい」と軽い注意を促されただけで、それ以上のお咎めはなしだった。セーフ。
今日もいつも通り、講義は夜8時前に終わった。
我が塾のルールとして、遅刻した分はきっちり補習で相殺しなければならない。だから俺は休憩時間を利用して、遅れた十分間の補習を自ら志願して片付けた。 今日の俺はすこぶる気分がいい。そのお陰か、恐ろしいほどに脳が数式を吸い込んでいった。
「よお、相羽。今日は珍しく遅刻だな。どうしたんだ?」 帰りの身支度を整えていると、佐藤がノートを鞄に突っ込みながら話しかけてきた。
「ああ、ちょっとトラブルがあってな」
適当に濁しながら、俺の脳裏にあるピースが繋がった。
「あっ、そういえば佐藤って、たしかU中だったよな。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「ん? なんだよ、改まって」
俺は佐藤と夜道を並んで歩きながら、核心を切り出した。
「同じ三年生で、レイ……江村さんって女子知ってるか?」
「江村さん? ……ああ、江村玲愛のことか?」
「おう、そうだ」
「なんだ、お前。風紀委員長に何の用だよ?」
俺は、思わず固まった。
「風紀委員長?」
「そうだよ。うちの学校の風紀委員長。十月で任期は終わったけどな 」
その瞬間、俺の脳内シアターが勝手に最悪のシミュレーションを開始した。
手にした竹刀を床にドツき、廊下の真ん中で仁王立ちしながら、「そこの走ってる生徒、止まれ!」とドスの利いた声を張り上げるレイさんのディストピア—。
「…お前、今ロクでもないこと想像してない?」 佐藤が俺の顔を覗き込み、心底呆れたような声を出す。
「顔に出てたか?」
「出まくりだよ。江村さんはそんなベタなキャラじゃないから。っていうか、なんで他校のお前が江村さんを知ってるんだ? ナンパか?」
「そんなんじゃないよ。彼女の父親が古本カフェを経営してて、俺はそこの常連なんだよ」
「ああ、前にそんなこと言ってたな」
「そこで知り合ったんだ」
佐藤が不意に足を止めた。その表情から、からかうような色が消える。
「江村さんはな、そんなベタなアニメキャラみたいに、生徒を取り締まるタイプじゃないんだよ。生徒みんなが安全で楽しく学校生活を送れるように、って感じで動いてた人なんだ」
「安全で楽しく…」
「そう。廊下を走ってる奴がいても、頭ごなしに怒鳴ったりしない。まず『何か急ぎの用事でもあった?』って感じで声をかけるんだ。何かトラブルが起きても、まずは話を聞く。相手の立場を理解してから動く。それが彼女のスタイルだった」
なるほど、と腑に落ちた。
『マロン』のカウンターの奥で静かに本を読みながらも、店内の不穏な動きを的確にキャッチしていたあの鋭い視線。根っこは完全に繋がっている。
「いじめ問題が起きた時もそうだったな」
佐藤が遠い目をしながら言葉を紡ぐ。
「いじめてた側の主犯格を呼び出して、サシで話し合ったんだ。一対一でな。怒鳴るわけでも、責め立てるわけでもない。ただ真っ直ぐに向き合って、言葉を聴いた。それで、その問題を綺麗に解決させちまったんだよ」
「一対一で、か…」
「高圧的なオーラが一切なくて、誰にでもフェアに優しい。それが江村玲愛って委員長のやり方だった」
俺は少しの間、沈黙した。彼女の中に一本通った、強固な芯のようなものが見えた気がした。
「岸田にも、ひるまずに向き合ってたしな」
「岸田?」
「ほら、この前。お前が路地裏で助けてくれたじゃないか」
脳裏に、先日ぶちのめしたあの目つきの悪い男の顔が蘇る。
「あの時の不良か」
「あいつに対しても、江村さんは同じスタンスを崩さなかった。岸田も最初はナメ腐った態度を取ってたけど、江村さんがひるまないもんだから、最終的には毒気を抜かれて話を聞くようになってたな」
あの獰猛な野良犬みたいな男を相手に、そこまでの立ち回りを演じていたのか。レイさんは想像以上の度胸の持ち主だ。
「そういやお前、なんであいつに絡まれてたんだ?」
俺の問いに、佐藤がバツが悪そうにうなじを掻いた。
「…実はさ、俺も風紀委員だったんだよ。江村さんの下でな」
「へえ、初耳だな」
「まあな。でも俺、岸田みたいな不良が嫌いだからさ、あいつらに対してかなり高圧的に接してたんだよ。注意の仕方も、常に頭ごなし。それで恨みを買ってたんだと思う」 佐藤が自嘲気味に苦笑する。
「江村さんのやり方を見習えばよかったんだけどさ、俺には無理だった。あんな風に、どっしり構えて相手と向き合うなんて芸当、真似できるわけがない」
「お前が絡まれてたのは、そういう背景があったからか」
「たぶんな。自業自得っちゃ自業自得さ」
佐藤が肩をすくめた。それから、少しだけ声のトーンを落とす。
「でもな。そんな江村さんにも、辛い時期はあったんだ」
「辛い時期? 何があったんだよ」
俺の語気が、無意識のうちに強くなる。身構える俺を制するように、佐藤は静かに告げた。
「一部の生徒からは、そのやり方を快く思われてなかったんだよ」
佐藤の言葉が、夜の冷気に混ざる。
「岸田に正面から向き合っても殴られなかったのは、『あいつが女だから』だって陰口を叩く奴がいてな。風紀委員長のくせに威厳がないとか、ナメられてるとか……。それだけじゃない」
佐藤が一息おいて、俺の顔を見た。
「江村さんが特撮ヒーロー好きだって噂が、誰かによって校内に流されたんだ。『ヒーロー気取りで委員長やってる』とか、『オタクが正義の味方ごっこをして遊んでる』とかさ」
「何言ってるんだ。風紀委員長なんで遊び半分でできるわけないだろう!」
そう言いながら俺は、つい佐藤の肩を掴んでしまった。
「わっ!おい、俺に怒るなよ」
「あっ、すまん」
俺は慌てて手を離した。
「気持ちはわかるよ。でもさ」と佐藤は言った。
「江村さんは、そんな雑音には負けなかった。ブレずに、最後まで風紀委員長としての任期を立派に全うしたんだ」
佐藤が俺の正面に回り込み、真っ直ぐに言った。
「俺さ。江村さんのこと、けっこう尊敬してるんだよ」
しみじみとした、嘘のない声だった。あの斜に構えた佐藤がこんなトーンで人を評するなんて、滅多にないことだ。
「そうか」。俺は短く応えた。
『マロン』のカウンターで静かに本を開いている、レイさんの横顔がリフレインする。
眼鏡の奥にある、あの静謐な瞳。
彼女は学校という戦場で、そんな風に戦っていたのだ。 誰かが傷つく場面を見過ごせず、リスクを背負って正面から向き合い、外野の雑音には目もくれない。
(彼女がそんなハンサムウーマンだったなんて…)
気づけば、俺の口元は完全にブレイクしていた。
「何ニヤニヤしてんだよ」
「ん? 別に」
「さては惚れたな? 顔に書いてあるぞ」
「ん? あっ? いや、それは……」
言葉を濁して誤魔化そうとしたが、佐藤の逃げ道のない視線に、最後は観念した。
「……おう!」
開き直って認めると、佐藤は呆れたように破顔した。どうやら俺は、嘘をつく才能が欠如しているらしい。
佐藤と交差点で別れ、俺は自転車のペダルを一気に踏み込んだ。 夜風は相変わらず冷たかったが、胸の奥のエンジンが熱い。
江村玲愛という女性へのリスペクトが、また一段と、深く塗り替えられていくのを感じていた。