第三章 赤いマフラーの夜
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
古書カフェ「マロン」の琥珀色の光の中で、二人は出会った。 特撮オタクの中学三年生・相羽勇介は、正義感が高まるとすべての能力がアップする特技を持つ少年。同じく特撮を愛する江村玲愛との出会いは、彼の日常を静かに、しかし確実に塗り替えていく。 クリスマスの夜、交わした小指の約束。だが新年早々、玲愛は交通事故に遭い、記憶を失って目覚める。彼女が覚えているのは、九歳までの記憶だけだった。 「好きという気持ちに、性別も年季も関係ない」 かつて彼女に伝えたその言葉を胸に、勇介は走る。歴代のスーパーヒーローたちが命を懸けて守り続けた「正義の心」を道しるべに、たった一人の少女の笑顔を取り戻すために。 これは、ヒーローに憧れた少年が、本物のヒーローになるまでの物語。 ※作中において実在の人物名などが出ることもありますが、あくまでもリアリティを出すための演出であります。
本文
期末試験シーズンが幕を閉じた、十二月の日曜の夜のことだ。
その日、俺は珍しく友人たちと連れ立って街へ繰り出していた。
メンバーは四人。中学校の同級生であり、陸上部時代の仲間たちだ。男子は田中と西村。女子は中島と木下。気心の知れた、とにかく賑やかで騒がしい連中である。
いよいよ本格的なカウントダウンが始まる受験シーズン。
その直前の息抜きとして映画を観て、ファミレスでくだらない駄弁りを繰り広げているうちに、時計の針は夜の七時を回ろうとしていた。
「もうこんな時間じゃん。明日も学校だし、そろそろ帰ろうよ」
木下のその一言で、宴は終了の流れになり、皆で駅前のロータリーに向かっていた、まさにその時だった。
人通りの途絶えかけた歩道の端から、不穏にくぐもった怒声が聞こえてきた。
街灯の薄明かりが落とす影の中に、二人の少女と、スーツ姿の中年男二人のシルエットが浮かび上がっている。男たちの足元は千鳥足で、ネクタイはだらしなく緩んでいた。完全にアルコールに呑まれている。
一人の少女は、男に強引に腕を掴まれて顔を恐怖に引きつらせていた。
そして、その男たちの前に身を挺して立ちふさがっている、もう一人の少女。
ショートカットに、眼鏡。 —レイさんだった。
「だから、関係ないって言ってるでしょ。今すぐ彼女を離してください」
毅然とした口調で、男を真っ直ぐに見据えている。 だが俺は見逃さなかった。レイさんの膝が微かに震えている。それでも彼女は、友人を守るために一歩も引かなかった。
「なんだお前、邪魔するなよ」
「邪魔をしてるのはそっちです。今すぐ離さないなら、大声を出しますよ」
男が苛立ったようにレイさんの肩を掴もうと手を伸ばした。レイさんはそれを鋭く払いのけ、懐からスマートフォンを飛び出させると、レンズを男の顔面に突きつけた。
「もう録画を始めています。これ以上続けるなら、このまま警察にデータを送信します」
ブラフかもしれない。だが、その声に一ミリの迷いもなかった。
「このガキが、調子にのるなよ!」
プライドを傷つけられた男が、さらにドスの利いた声をあげて威嚇する。
「おい、相羽、あれ」
隣で田中が声を潜めて呟いた。
それとほぼ同時だった。 脳幹の奥で、心地よい金属音が鳴り響いた。
—シュピーン。
あの感覚。俺の「変身」の合図だ。
「わかってる」
俺は短くそれだけを言い残すと、すでにアスファルトを蹴っていた。
駆け寄る俺の姿を、レイさんが視界の端に捉えたのが分かった。
男たちに気圧されながらも気丈に踏みとどまっていたその目が、一瞬大きく見開かれる。張り詰めていた表情の奥に、安堵と——それだけではない、何かもっと複雑な色が滲んだ。震えていた膝が、わずかに止まったのが見えた気がした。
「……相羽くん?」
声にならないほど小さな呟きが、彼女の唇からこぼれた。俺の名前を呼んだその一言に、彼女がどれほどの緊張を強いられていたかが伝わってくる
俺は弾丸のように間合いを詰め、男たちの肩へそれぞれの手を静かに置く。
「その人たちから、手を離してもらえますかね」
極めて穏やかに、しかし明確な圧を含んで告げた。怒鳴り散らすのは素人のやることだ。理性を失った手合いには、静寂の中に確実な「力」を込めて叩きつけるのが一番効く。
男の一人が重い動作で振り返った。アルコールで赤く充血した瞳が、俺を捉える。
「あぁ? なんだお前、邪魔するか——」
「邪魔をしてるのは、あんたらだと言っているんだ」
男が逆上し、酔った勢いに任せて拳を振り上げてきた。軌道が大きく、絶望的に遅い。
俺は半歩だけ重心を引いてその空振りを誘うと、伸びきった男の腕を捉えて背後へと回り込んだ。
そのまま流れるように、関節をロックする。
いくら酔っているとはいえ、中学生に手を出す不届き者だ。少しお仕置きが必要だろう。
力を入れる必要はない。ただ、骨格の構造に従って駆動を封じるだけで十分だ。
「いたたたた……っ!」
「大きな声を出すと、余計に締まる。大人しくしてもらえんかね」
俺は冷徹に言った。
「いだぁ! ぐっ、ガキが…! ナマ言ってんじゃねぇ、離しやがれ!」
ガキ、か。俺の最も嫌う言葉だ。
「ほう…ガキ、ね。俺のことですかい?」
俺は慈悲深く、指先にわずかなトルクを加えた。
「がぁぁっ! たたたた!」
「誰が、何ですと?」
声音を一段落とし、耳元で囁く。
「だぁ〜! すみません! ごめんなさい、もうしません! だから、だから離してくれぇ!」
男は泣きそうな声を上げ、無様に許しを請うた。
完全に毒気を抜かれたのを確認し、拘束を解く。男は呻きながら、痺れた腕を必死にさすっていた。
もう一人の男の前には、俺の後を追ってきた田中と西村が、壁のように立ちふさがっていた。二人は何も言わなかったが、その表情は完全に「臨戦態勢」のそれだ。元陸上部のガタイのいい中学生二人に凄まれ、男は一瞬で戦意を喪失したらしい。二人とも、尻尾を巻いて夜の闇へ退散していった。
「悪酔いもほどほどにするんですな」
背中に向けて冷ややかに言い捨てる。
冷たく澄んだあのクリアな感覚が、潮が引くように静かに脳内から去っていく。
「大丈夫ですか、レイさん」
振り返ると、レイさんがようやく溜め込んでいた息を大きく吐き出したところだった。 さっきまでの張り詰めたポーカーフェイスが崩れ、眼鏡の奥の瞳が少しだけ潤んでいる。衝撃のせいか、眼鏡のフレームがわずかに傾いていた。俺はそれをそっと指先で直し、彼女の視線を受け止めた。
「……相羽くん」
「ええ」
「来てくれたんだ」
「たまたま近くを通りかかって。怪我はないですか?」
「うん、大丈夫。…ちょっと怖かっただけだから」
隣にいた少女も、青ざめた顔のまま何度も深く頷いていた。男に腕を掴まれていた子だ。
「藤井ゆりかです。……本当にありがとうございました。レイが守ってくれて、でも、本当に怖くて……」
ゆりかさんの声の震えを察し、レイさんがそっとその背中に温かい手を添えた。さっきまで自分自身が震えていたというのに、今はもう誰かを支える側に回っている。 やはり、とてつもなく強い人だ、と俺は思った。
俺はコートのポケットへ手を突っ込み、仕込んでおいた二つの使い捨てカイロを取り出した。今夜の寒さを警戒しておいて正解だった。
「どうぞ、二人とも。使ってください」
「…ありがとう」
レイさんとゆりかさんが、それぞれ両手で包み込むようにそれを受け取った。
後ろから近づいてきた田中が、俺の肩を強めに小突いた。 「やるじゃん、勇介。どこで仕込んできたんだよ、あのエグい関節技」 「俺たち陸上部だろ?」と西村がニヤニヤしながら続く。 「走るだけじゃなくて、いつから裏家業を始めたんだ?」
「見よう見まねのハッタリだよ」
「いや、凄かったって」
中島が感心したように言った。
「普通に少女漫画のヒーローみたいだったよ」
「ちょっと惚れそうになったわ」と木下がおどけてウインクする。
「勘弁してくれ」
俺たちの身内ノリを見ていたゆりかさんが、再び深々と頭を下げた。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
「気にしないでください。当然のことをしたまでです」
レイさんは、ゆりかさんの隣でまだ俺をじっと見つめていた。街灯のオレンジ色の光が、彼女の眼鏡の奥で静かに反射している。
「相羽くんって、本当にヒーローみたいだね」
不意を突かれ、俺は少し面食らってうなじを掻いた。
「そんな大層なもんじゃないですよ。タイミングが良かっただけです」
「そのタイミングで、本当に来てくれたでしょ」
レイさんは、今度はいつもの花が綻ぶような笑顔で言った。
しばらくして、各々の帰路につく時間になった。
ゆりかさんは親に連絡を取り、迎えの車を呼んだ。
田中たちは「また明日学校な」と手を振りながら駅の改札へと消えていった。
「勇介、あの子とどういう関係だよ」
去り際、田中がニヤつきながら耳打ちしてきた。
「めちゃくちゃ可愛いじゃん」
俺は笑顔でウインクを返し、田中の背中を見送った。
残された俺は、レイさんの方を振り向いた。
「良かったら、家まで送らせてください。夜道も危ないですし」
「あっ……」
レイさんが少し躊躇うような表情を浮かべる。すかさずゆりかさんが横から「レイ、送ってもらいなよ」と、気の利いたアシストを入れてくれた。
「……うん。じゃあ、お願いします」
二人で静かに夜道を歩いた。商店街のデジタルなイルミネーションが、冷え切ったアスファルトの上に色とりどりの光の波を落としている。街の空気は、完全にクリスマス一色に染まっていた。