合わなさを愛用品にする

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/7/15 📚 シリーズ: ちゃんと戻る、っていう希望 📝 3,302文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

主人公の「俺」と同居恋人の千紗が、毎日のモヤモヤや刺さった気持ちを、合言葉と小さな合図で、暗くならないようにほどいていく連作です。 仕事の失敗、待たされる焦れ、二択の迷い、理不尽、家族の距離、言えない「好き」みたいな“よくあるけど地味に重い”出来事を、会話と行動でちょっとずつ整えて、最後はちゃんと前に進める形にしていく、生活系の短編つながり。

本文

人と人の間には、だいたい段差がある。

段差は悪者みたいに言われるけど、本当は手すりみたいなものだ。踏み外す前に気づけるし、登り方を工夫できる。

問題は、段差の存在を「ないことにする」癖だ。私の。

「大丈夫」

その一言で段差を埋めたふりをして、つまずいたのはいつも私だった。

玄関のドアが閉まる音がして、私は台所のスポンジを握ったまま固まった。

鍵が回る音。靴の踵が床を叩く音。

帰ってきた。

「ただいまー」

声は軽い。軽いのに、私は胸が重い。

重い理由は、さっきまでのチャットの未読数じゃない。洗い物の量でもない。

彼が帰ってきた瞬間、私は“段差”を思い出す。

私たちは、合わないところが多い。

彼は早口で、私は遅口。

彼は結論から言う。私は前置きで迷う。

彼は怒るとすぐ言う。私は怒ると黙る。

彼は「今すぐ決めよう」派。私は「一旦寝かせよう」派。

合わない。

でも、生活は回っている。

回っているのが、逆に怖い。段差があるのに回ってる。どこかで落ちるんじゃないか、と。

彼がリビングに入ってきて、コートをソファに放り投げる。

放り投げるのも、合わないポイント。

私は「ハンガーにかけて」と言いたい。言いたいのに言わない。言わない癖が、段差を大きくするのに。

「ねえ、聞いて」

彼が言う。

“聞いて”は、彼の合図だ。今から話したい。今ここで。

私はスポンジを置き、タオルで手を拭いた。

本当は、心の中で“段差注意”の標識が立っている。

今の私は、疲れていて、彼はテンションが高い。

段差が最大になるやつ。

「今日さ、上の人と話して、部署変われるかも」

彼の目が光っている。

嬉しい目だ。

私はその目を見ると、反射で嬉しくなる。

嬉しくなるけど、同時に怖くなる。

部署が変わる。生活のリズムが変わる。帰宅時間が変わる。私の段取りが変わる。

私の中の“変化が苦手”が、膝から立ち上がりかける。

「……すごいじゃん」

言えた。

言えたけど、声が薄い。

薄い声は、彼にはすぐバレる。

「なんか、反応うすくない?」

来た。

段差の縁だ。

私は息を吸った。

ここで「そんなことないよ」と段差を埋めたふりをすると、また私がつまずく。

今日は、段差を“ある”と言う。

「……嬉しい。でも、ちょっと怖い」

彼が瞬きをした。

驚き。

でも嫌な驚きじゃない。

たぶん、彼は“怖い”って単語を私から聞くのが珍しい。

「怖い? なんで」

私は台所のカウンターに寄りかかった。

寄りかかると、足が地につく。言葉が出やすい。

「変わるのが。

私、変わるの苦手。

あなたのことは応援したいのに、先に私の不安が出てくるのが嫌で……」

最後が尻すぼみになる。

私は自分の感情を言うと、すぐ謝りたくなる。

でも謝ると、彼は「謝らなくていい」って言って、話が流れてしまう。

流れるのは楽。楽は段差を見えなくする。

彼はソファに座り、両手を組んだ。

珍しく、すぐには言い返さない。

その間が、私にはありがたい。

彼が“私の速度”に合わせている。

「……そっか」

彼が言う。

「俺、嬉しすぎて、先に祝ってほしかった」

「うん……祝いたい」

「でも、祝う前に怖いが来た」

「来た」

「それ、悪いこと?」

悪いこと。

私は、悪いことだと思ってきた。

自分の凹凸は、相手の喜びを削る角だと思ってきた。

でも、角は削ると丸くなる。丸くなると、掴めなくなる。

凹凸があるから、持てるものもある。

「悪いことじゃない……たぶん」

私が言うと、彼が少し笑った。

「“たぶん”も、君っぽい」

「やめて。性格を愛玩物にしないで」

「愛玩物って何」

「かわいいって言われると余計に腹立つタイプ」

「そこも凹凸」

彼は言って、立ち上がった。

台所の方へ来る。

私は反射で後ずさりしそうになって、踏みとどまった。

「凹凸ってさ」

彼が言う。

言い方が、妙に真面目だ。

「合わないって意味じゃなくて、噛み合うって意味もあるよね」

噛み合う。

歯車みたいな言い方だ。

歯車は、平らだと回らない。凸と凹があるから回る。

私はその比喩が、少しだけ好きだった。

好きなのに、照れくさくて、むっとした顔を作る。

「……じゃあ、私の凹凸はどこ」

「不安が先に来るとこ」

「それ、欠点じゃん」

「欠点じゃない。注意書き」

彼が、私の目を見た。

「俺が嬉しい話をする時、君は“嬉しい”と“不安”が同時に来る。

なら、最初から二つ来る前提で話せばいい」

「前提」

「うん。例えば」

彼は胸の前で手を軽く叩いて、言った。

「『嬉しい話がある。まず喜んで。次に不安も聞く』」

私は思わず吹き出した。

吹き出したら、空気が軽くなる。

軽くなると、心の段差が少し低くなる。

「なにそれ、台本」

「生活って、だいたい台本だよ。

即興が得意なのは俺で、台本が得意なのは君。

そこ、噛み合ってる」

私は笑いながら、でも胸が熱くなった。

自分の凹凸が、初めて“使えるもの”に見える。

使えるという言い方は不器用だけど、私は不器用だから仕方ない。

「……でも、私も言う」

私は言った。

彼が眉を上げる。

「なに」

「あなたの凸が、たまに刺さる」

「凸って何」

「勢い。言い切り。結論から。

私が追いつく前に進むやつ」

彼は少し考えてから頷いた。

「なるほど。刺さる時は?」

「疲れてる時。余裕がない時。

あと……私が言いたいことを言えてない時」

最後は小さく言った。

でも、言えた。

言えたことが、今日の勝ちだ。

「じゃあ、それも前提にする」

彼が言う。

「刺さりそうな時は、速度を落とす。

君は、刺さったって言う。

言わないで黙るの禁止」

禁止。

言われると反発したくなる。

でも私は、禁止が必要なタイプだ。

黙る癖は、最終的に爆発する。

「……努力する」

「努力じゃなくて、合図にしよ」

「合図?」

「刺さった時、合言葉。

たとえば」

彼はにやっとして、言った。

「『凹凸』」

私は目を丸くした。

「そんなそのまま?」

「そのままがいい。短いし」

短い合言葉。

それは、段差に手すりをつけるみたいだ。

「凹凸、って言ったら?」

「俺は速度を落とす。君は、何が刺さったか一個だけ言う。

それで一旦、紅茶飲む」

「最後、紅茶入ってくるのなに」

「最近、うちの生活の万能薬じゃん」

万能薬。

私は笑って、ため息をついた。

ため息は、苛立ちじゃない。

息が戻る音だ。

彼は冷蔵庫から牛乳を出して、カップを二つ用意した。

紅茶じゃなくて、ホットミルク。

甘くない。

でも温かい。

「で、部署の話」

彼が言う。

今度は少しだけゆっくり。

「俺は、変わりたい。

でも君の不安も聞く。

順番、これで合ってる?」

順番。

私がずっと苦手だったのは、たぶん順番だ。

でも今、順番を共有できている。

共有できるなら、私は自分の凹凸を恥ずかしがらなくていい。

「合ってる」

私は頷いた。

「じゃあ、喜んで」

彼が言う。

私は笑って、ちゃんと言った。

「おめでとう。すごい。嬉しい」

彼が笑った。

私の中の“嬉しい”が、やっと前に出た。

不安はまだいるけど、今は後ろに座っている。

順番を守れた。

「で、不安も聞く」

彼が言う。

私はホットミルクを一口飲んでから、言った。

「帰りが遅くなる日、増える?」

「増えるかも。最初だけ」

「……私、最初が一番苦手」

「知ってる。じゃあ最初は、毎日一回だけ連絡する。短く。

『今どこ』とかじゃなくて、『今日も生きてる』ってやつ」

「それ、誰得」

「君得。俺得」

私は笑ってしまった。

笑いながら、胸の段差が少しずつ整地されていくのを感じる。

平らにはならない。

平らにしない。

凹凸があるから、噛み合う。

噛み合うから、回る。

夜、私はソファに座って彼の肩に寄りかかった。

寄りかかるのも、凹凸だ。

私は寄りかかりたい時と、離れたい時が極端にある。

彼は、その極端さに案外強い。

「ねえ」

私が言う。

「今日の私、ちゃんと言えた?」

「言えた。

凹凸の話を、凹凸のまま」

「……合言葉、まだ使ってない」

「使わない日もある。それはそれで、天気がいいってこと」

天気。

私は窓の外を見た。

夜の空は、雲が少ない。

でも、雲があってもいい。

凹凸があってもいい。

私は小さく言った。

「凹凸」

彼がすぐに顔を向ける。

「刺さった?」

「ううん。

ただ、覚えておきたかった。

私たちの手すり」

彼が笑って、私の頭を軽く撫でた。

撫でられると、私は少しだけ丸くなる。

でも凹凸は消えない。

消えないまま、生活は回る。

その回り方が、今日はちょっと好きだった。

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